2014年12月18日木曜日

「〈百年の愚行〉は、まさしく百年前、1914年頃に始まった。...」『続・百年の愚行』、小崎哲哉(編著)




ベルナール・スティグレール(石田英敬 訳)

 〈百年の愚行〉は、まさしく百年前、1914年頃に始まった。

 ヨーロッパでは第一次世界大戦が、一千万の兵士を殺戮した。ポール・ヴァレリーやエドムント・フッサールが強調したように、この世界戦争は科学を死の役に立てる産業戦でもあった。ベルギー及びフランスの一部は破壊され、ドイツではナチズム、イタリアではファシズム、ロシアではスターリニズムの起源となるような歴史的な動きを引き起こした。

 アメリカでは、労働の科学的な組織化が実行され、生産者のプロレタリア化を極限にまで推し進めた。20世紀初頭には長編映画が生まれ、第一次世界大戦前に開発されたラジオが1920年から放送を開始し、その後はテレビ放送が始まる。こうした文化産業の発達が消費者のプロレタリア化を推し進める。商品開発のリサーチ・オフィスが生産者から〈作る知(すべ)〉を奪うのと並行して、マーケティング・オフィスは消費者たちに〈生きる知(すべ)〉を指図するようになり、消費者は広告の指示する消費行動を模倣するようになる。いる。アドルノとホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』は、そこに近代的「合理化」の本質を見いだすことになるだろう。近代の「啓蒙(Aufklärung)」が生み出した〈理性〉は、もはや大量生産される〈愚かさ〉へと変質したのである。

 21世紀初頭の現在では、暗雲が嵐を告げるがごとく、さらなるアポカリプス(黙示録)が告知されているかのようだ。プロレタリア化はさらに徹底されて、破滅的な段階に達している。それこそ、トマ・ベルンとアントワネット・ルーヴロワが「アルゴリズム的統治性」と呼ぶ、「ビッグ・データ」による統治として具体化したものである。それはまた、ジョナサン・クレーリーが描き出す、週七日二四時間私たちをコンピュータネットワークに繋ぎっぱなしの状態にしておく、ネットワーク状かつ純粋計算論的な資本主義として繰り広げられる統治である。
 その結果、私たちは眠りを妨げられる。夢見ることもできず、遂には思考することさえ妨げられる。この資本主義の原理は、マッツ・アルヴェソンとアンドレ・スパイサーが「機能性愚鈍(functional stupidity)」という言葉で描き出したものだ。ロンドンの金融街、また、おそらく日本の東電の中枢部に働いているのは、このような機能性愚鈍の原理である。

 『Wired』誌編集長クリス・アンダーソンは2008年に挑発的なタイトルの記事を発表した。「理論の終わり:データの洪水は科学的方法を過去のものとする。」だ。グーグルが確率論的数学を世界中のあらゆる言語表現に適用するさまを分析してみれば、アルゴリズムが言語を活用するためには、言語学者も言語理論ももはや要らないことが分かると主張するのである。彼が導き出した結論とは、デジタルなアルゴリズム計算が、科学的実験や科学的仮説、定理、モデルに取って代わり、科学を終わらせることになるだろうというものだった。しかし、フレデリック・カプランが指摘したように、彼が忘れていたのは、そのような言語の活用の仕方が行き着くのは言語自体の破壊であって、言語のエントロピーが増大してしまうだけだという事実である。

 2008年10月23日、ワシントンではアメリカ下院議会が、米FRB(連邦準備制度理事会)議長アラン・グリーンスパンに対し、FRBのいい加減な運営が導いた金融破局について説明を求めた。このとき、ノーベル賞受賞者を含む多数の経済学者たちが推奨した市場の自動化こそ、金融工学の粋を集めて作り上げたシステムにおける、完璧なる〈知性の不在〉の原因だったのだと彼は述べた。これこそ、「機能性愚鈍」が、グリーンスパンその人にまで及び、すでに1848年にマルクスとエンゲルスがすべての給与生活者がやがてはそうなると予言したように、FRB議長までもがプロレタリア化したことを示しているのである。

 以上の二つの事例は、いかなる意味で、アルゴリズム的統治性が不可避的に精神のプロレタリア化を生みだし、あらゆる知、それが、〈作る知(すべ)〉であれ、〈生きる知(すべ)〉であれ、〈思考する知(すべ)〉であれ、あらゆる知を破壊するものであるかを示している。

 では、世界はこの百年の愚行を、無限にとは言わずとも、世界の自己破壊にいたるまで継続するよう宿命づけられているというのか。別の未来はありうるのだろうか。惑星規模のデジタルなネットワーク化が辿り着いた統合的で全体化した自動化のプロセスにおいて、今後、新たな出発はありうるのだろうか。
(以下は、本書をお読みください。)

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