2019年6月11日火曜日

「人工物と自然」:藤幡正樹×胴金裕司「Orchisoidプロジェクト」2001

III 人工物と自然 
 情報テクノロジーは、VRやロボットのような人工物にのみ関係しているわけではありません。遺伝子のような生命・生物現象にまで働きかけて、自然を操作するところにまで、その技術が及んでいることは皆さんも知っているとおりです。人間は自然に働きかけることによってそれを変形し、人工的な営為としての文化を生み出してきたと考えられるわけですが、「情報」のパラダイムはこうした「自然」と「文化」、「自然物」と「人工物」という区別自体に重大な変更をもたらしつつあります。
 現代日本のメディア・アーチスト藤幡正樹(1956年生まれ)とバイオ・メディア・アーチストの胴金裕司(1957年生まれ)によるコラボレーション「Orchisoidプロジェクト」は、環境によって変化する蘭の生体電位を植物の「脳波」のように測定し、植物の蘭が動かされたり、人が近づいたり、あるいは他の蘭を近づけたりするときにあらわれる波状の変化をとらえることによって、植物の「コミュニケーション」を想定し、植物の「脳波」にもとづいて植物の「意志」にもとづいて動くロボットを作ったり、あるいは、蘭を進化させて1万年後には「歩行する」蘭を作り出そうという、思考実験的なアート作品です。2001年に科学未来館の「ロボット・ミーム展」では、温室のようなコーナーにつるされた何種類もの蘭たちが植物同士であるいは環境とコミュニケートする電流波形がパソコンのモニター上に映し出され、また鉢植えの蘭が車輪型ロボットに載せられ、植物の生体電流の値にもとづく運動パターンにしたがって動く、「Orchisoid(蘭もどき)」として展示されました。藤幡によれば、ドーキンスの「ミーム(文化遺伝子)」論がいうように「人間」とは「ミーム」の「乗り物」であると考えられるとすれば、ロボットは「人間」のミームが「機械」に乗り移った姿である。その考え方を植物にまで適用していくと「蘭」のミームを仮定してみることができるのであって、その振る舞いを測定することができれば、蘭の「意志」行動に働きかけることができるだろう、というのです。
 このような「実験」としてのアート作品に表れているのは、「情報」がもたらした、「機械」と「生物」、「動物」と「植物」、「人工」と「自然」を分ける境界の消滅です。「人間」も「機械」も「動物」も「植物」も、ひとしく「情報」の「乗り物」という視点からとらえ、「情報」のプログラムをとおして、自然物をふくむあらゆる生き物とコミュニケートしうるというヴィジョンを提示することを通して、人間中心の人工物の世界を脱し、植物的な生命との連続性へと向かおうとする批評的意識を、そこに見て取ることも不可能とはいえないのです。
(『新訂 表象文化研究: 芸術表象の文化学』共編 渡辺保、小林康夫、石田英敬、放送大学教育振興会 2006年3月 第14章「表象メディア論(II):コンピュータ」)

2019年6月1日土曜日

「綿密な謎解きで天才に迫る ウォルター・アイザックソン著レオナルド・ダ・ヴィンチ(上・下) 」書評『日本経済新聞』 2019年6月1日朝刊26面

ベンジャミン・フランクリンやアインシュタイン、スティーブ・ジョブズの伝記で知られる手練れの伝記作家によるレオナルド・ダ・ヴィンチ伝。科学と人文・芸術、テクノロジーを自由に往き来してイノベーションを生みだす天才たちの創造を追ってきた著者にとって総仕上げの仕事だろう。
 レオナルドは、同性愛者でベジタリアン、ピンクの衣装に身をくるんだ美丈夫で、絵画・彫刻にとどまらず、祝祭イベントのプロデュース、建築や都市計画、さらには軍事のコンサルにまで手を広げようとする野心家でもある。権謀術数渦巻くルネサンスのイタリアで、メジチ家やローマ法王、殺戮王ボルジアやマキャヴェリ、フランス国王、若きライバル、ミケランジェロなど、彼の人生は歴史上の人物と交差して伝記の興味はつきない。
しかし本書の真骨頂は、「メモ魔」だったレオナルドが生涯にわたって残した自筆ノート7200ページを綿密に読み込み天才の創造の秘密に迫ろうという謎解き作業の方にある。
 「ウィトルウィウス的人体図」は、いかに人体の小宇宙と地球の大宇宙をアナロジーの関係で結んだか。「岩窟の聖母」や「白貂を抱く貴婦人」のポーズや表情や目差しはいかに解剖学の知識に裏打ちされているのか。「最後の晩餐」が静止画なのに止まって見えないのはなぜなのか。「聖アンナと聖母子」に記入された地質学の知識とは何か。自然界のパターンを見抜き、アナロジーで理論を構築していくレオナルドの方法が、図版を手がかりに解説されていく。
「モナリザ」の微笑にせまるためには、顔の皮膚をはぎ、唇の細かな神経組織をさぐり、表情をつくる筋肉と腱の仕組みを確かめなければならない。見つめられた気分になり微笑が揺れ動く絵の原理をとらえるには、網膜の仕組みと周縁視覚の原理を知っていなければならない。それらは今日の科学がようやく明らかにしつつある生理と認知のメカニズムでもある。レオナルドにとって絵画とは探究だったのだ。
レオナルドの天才とは、どこまでも純粋な好奇心に支えられた観察と想像の力なのだと著者はいう。私たち現代人がアートとサイエンスを横断して創造性を生むためのヒントが、このルネサンス・マンの伝記には見つかるはずだ。

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