2022年1月12日水曜日

演劇とその分身 --渡辺守章先生の思い出 『図書』岩波書店 2021年12月号

演劇とその分身  --渡辺守章先生の思い出

 

パリ、1976年9月9日 夜

 今では印象派のコレクションで知られるパリのオルセー美術館の建物は、1900年の万国博覧会に合わせて建設されたオルセー駅の旧駅舎で、1970年代は五月革命でオデオン座を追われたジャン=ルイ・バロー・マドレーヌ・ルノー劇団の常打ち館「オルセー劇場」だった。最も野心的な演劇活動を繰り広げていた劇団で、日本の学生運動を逃れてパリで亡命生活を送っていた二十歳を過ぎたばかりの私は、そのシンプルな鋼材で組まれた劇場に頻繁に通ってベケットやデュラスやサロートなどの実験的作品を観ていた。

1976年の秋には日本の能「世阿弥座」がやってきて公演した。9月9日の夜のことだ。日付を正確に思い出せるのは、幕が上がる前、「中国で毛沢東が死んだ」という緊急ニュースが場内アナウンスされて客席がどよめいたのを覚えているからだ。

能の公演が始まる前、舞台には守章先生が裃姿で登場した。これから演じられる能の演目についてよく通る流暢なフランス語で解説した。あの精神的な日本の能を観ようと集まった、パリの知的な聴衆は、聞き逃すまいとじっと聞き入った(この時の様子は翌日のルモンド紙の一面に詳しい劇評が載せられている)。それが私が渡辺守章の「舞台」を間近に目撃した最初である。そのときの演目は、以後伝説となった、観世寿夫が舞った「砧」。生涯初めて能を観た青二才の無知な学生には猫に小判だったが、照明に照らし出されたオルセー大劇場の能舞台と謡の低い声、観客の静かな熱狂が記憶の底から甦ってくる。

今年4月に亡くなった渡辺守章先生が『ポール・クローデル――劇的想像力の世界』を上梓したのは、この公演の前年のこと。「守章」先生と呼ぶのが先生を知る人びとのつねであったから、この稿ではファーストネームを基調とすることお許しいただきたい。証言者の私はといえば、当時ソルボンヌの学生で「マリアへのお告げ」や「堅いパン」などクローデルの戯曲を読み、75年秋にはコメディ・フランセーズでアントワーヌ・ヴィテーズの演出によるクローデル劇「真昼に分かつ」、76年9月にはパリ市庁座でアンヌ・デルベによるクローデルの野心的な演出「交換」を観てはいた。守章先生と関係の深いミシェル・フーコーのコレージュ・ド・フランスの講義に出たりヴァンセンヌの森にあったパリ第八大学でジル・ドゥルーズやジャン=フランソワ・リオタールの授業に出ていわゆるフランス現代思想にもどっぷりとのめり込んでいた。

 

マラルメを読む

あとから考えれば、守章ワールドにかなり近いところにすでにいたはずだ。しかし、実際に先生の授業に出るようになったのは、帰国して東京大学本郷 仏文の大学院に進学した80年。そこで出会ったのが守章版「マラルメ」だった。当時の仏文は少数精鋭だったから、十名足らずの院生と教官で難解で知られるマラルメの原詩を徹底的に読解する。すべての単語についてあらゆる辞事典を調べあげ、それぞれの詩について蓄積された解釈史を精査する。そこまでならどの原書講読も同じだが、守章先生の演習では、読むとは身体の実践が伴わねばならない。詩を詠むのである。それには生きたフランス語が大変よくできる必要があるだけでなく、韻律詩法に裏打ちされてそらんずることができるのでなければならない詩の言語を身体的に演ずるパフォームが必要なのだ。

だから、先生の授業はまず詩の読誦から始まる。『エロディアード』詩群など長いものを読む場合には守章先生が朗々と詩を詠むことで初回の授業は終わる。そこからマラルメの詩的言語の宇宙へと分け入っていくのだ。マラルメの詩の読解は、いわば終わりなき分析で、つい先日、先生が亡くなるまで、私は守章先生とマラルメのコーパスについて40年以上の解釈の対話を続けたことになる。あの詩のあの箇所は、このように読むのではないか、新たな解釈についてどう評価すべきか、マラルメの蘊蓄について話が途切れることはなく、いつも緊張感をもってご高説を承ったものだ。その膨大な研究の蓄積が、岩波文庫『マラルメ詩集』に結実したことは、編集者泣かせの膨大な注釈と解説が明かしている。すでに日本近代詩史のなかに位置を占める鈴木信太郎訳の旧版を廃して成った偉業だが、これこそはマラルメ的な「墓」詩群の意味で、「渡辺守章の墓」なのである。

1980年代初めの東京で二年間みっちりとマラルメの詩について教わった。未刊行草稿も多かったが、守章先生のドゥーセ文学図書館の伝手つて貴重な書誌情報を入手して作業は続いた。詩人イヴ・ボンヌフォアが書写した「イジチュール」草稿群を先生のゼミでつぶさに読み解いた経験は、私たちのマラルメ研究を世界最先端の水準に引き上げたと今でも思う。マラルメという文学の極星を同時代の誰よりもよく知悉してその詩を身体化し得ていることは、バルトフーコーデリダドゥルーズを〈マラルメ〉から出発して読むことを可能にする。それをから教えていただいたと私は思っている。

 

身ぶりと言葉

1980年のラシーヌ「ブリタニキュス」から始まって、ジュネ 「女中たち」、「バジャゼ」、「フェードル」、「ハムレット」、ミュッセ「ロレンザッチョ」、さらに、「シラノ」、「内濠十二景」、そして、翻訳家としても演出家としても集大成となったクローデル「繻子の靴 – 四日間のスペイン芝居」の完全上演にいたるまで、ほぼすべての渡辺守章演出劇は観た。1986年のラシーヌ「フェードル」パリ公演は、ちょうど二回目のパリ留学中だったから、シャイヨー宮に出向き、プレスリリースの資料づくりの手伝いなどをしたこともあった。その頃から気になり始めたのが、ラシーヌ韻文劇のアレクサンドラン(十二音綴詩句)をどのように日本語に翻訳しているのかという問いである。

  フランスの古典劇は韻文で書かれ、そもそも音節言語ではないモーラ(拍)言語の日本語にその言葉の劇の構造を移すことは至極困難な作業である。守章先生の場合には、日本の能などの伝統的な拍構造に言語的身体が通じていることが、フランス古典劇を現代日本語の言葉の劇として翻訳する道を開いたのだと思う。 

渡辺版ラシーヌに慣れ親しんだ者であれば、「エロディアード 舞台」の七七五七五拍の独白のなかに、渡辺ブリタニキュスの絢爛たる〈守章節〉を聴き取ることができるはずだ。

 

おお、鏡よ!

冷たい水よ、そなたを囲む縁の中、倦怠によって凍れる水よ、

幾度(いくたび)となく、いや長い時の間、夢想に打ちひしがれて、

ただ独り、我が追憶を、さながら深い筒井の底、

そなたの氷の下に沈む 枯れ葉のように、追い求めつつ、

遥か彼方の亡霊か、そなたの内に現したのだ、この姿を、

だが、おぞましい!幾夜かは、そなたの畏るべき泉水のうちに

知ってしまった、散乱する我が夢の 裸形の姿を!(渡辺守章訳『マラルメ詩集』岩波文庫より)

 

 拍や節がないような詩や演劇の翻訳はありえない。渡辺訳では戯曲の翻訳においても、そして詩の翻訳においても、言語の内部へとその舞台を移した潜勢劇が、言語「態」 -- 言葉の「たたずまい」 -- として、演技する言語の身ぶりを濃い陰影をもって浮かびあがらせるのである。

 

表象とエクリチュール

言語と言語の間、文化と文化の間に開かれる、このような創造の場所を語るための〈知の言説〉を、20世紀後半のパリの思想界は発明していっていた。フーコーがドゥルーズ論に与えた表現を一般化して使えば、それが構造主義・ポスト構造主義という「哲学の劇場」だった。

 この思想の劇場の架橋にもまた、渡辺守章の演技する身体が十二分に活躍したことは周知のとおりだ。

 

昨年と今年お送り戴いた『ルプレザンタシオン』の創刊号と第二号をもう一度読み直しまして、貴兄のプロジェクトの大胆さに改めて感服いたしました。つまり、真にバイリンガルな雑誌という点であり、そこでは、フランスと日本の思想家が、詩人が、小説家が、互いに自分の仕事を提出し、みずからを現前させている。しかし、そればかりではありません。彼らは、この雑誌のタイトルである『ルプレザンタシオン』(表象であると同時に代表)が暗示しているように、互いに自らを「代表的表象として、あるいはそれぞれの表象を代表するものとして、提出している」のであり、これは、フランスと日本が旧世界の両極にあって占めて来た対照的な位置についての自覚に促された行動だと思われます。(1992年5月12日 渡辺守章教授へ クロード・レヴィ=ストロース 『渡邉守章評論集 越境する伝統』ダイヤモンド社、所収)

 

フーコーが古典主義の時代のエピステーメーについて語った「ルプレザンタシオン」を「再現= 代行=表象」と読み解き、「舞台上演」とも等号で結んだ。デリダの「エクリチュール」を、「態」の字のなかに「能」の文字を読み込むことで、「言語態」と捉え返した。このような翻訳の操作によって、守章先生の文化的な「仕掛け」は、知の変革のプログラムとされていったのだ。それはやがて、一九八七年には東京大学教養学部に「表象文化論研究室」 をつくり、1990年代の「教養学部解体」の危機から東大「駒場」を救い出すことにつながった。

 

「一つの演戯」

 「所詮、演戯であるかもしれない… 私がフランス語をなぜ学ぶか、という問いに答えようとする時に、私のつぶやく言葉。少なくともそれは、もう一つの言葉を引き出すための〈仕掛け〉としての一つの演戯なのである」。なぜフランス語を学ぶのかを問われて、守章先生は1974年にそのように書いている(「距離と構造 – あるいは、おのが分身を育てること」、渡辺守章『虚構の身体 -- 演劇における神話と反神話』中央公論社)。 

「十代後半からフランス語を始めた」自分が、ラシーヌやクローデルやジュネのような音声言語の精緻な演劇に殊更にひかれるのは、その絶対的な音声言語の先にある深淵から「〈影 =分身〉として、やがて、新しい言語態として、別の何物かが 立ち現われて来るのを見たからである」、と。

文化的な〈仕掛け〉としてのひとつの〈演戯〉。その演戯は、随分と遠くにまで創造の軌跡を延ばしてゆき、「この劇の舞台は世界である」という世界演劇の地平に辿りついた。

そして、これ以後、われらは、『繻子の靴』の開幕を告げる口上役の台詞に耳を澄ませ、渡辺守章演出劇の行方に胸をときめかせるばかりである – 

 

耳を澄ませてお聞きなさい。咳は我慢して、ちっとは理解するように努力していただきたい。お分かりにならないところが一番素晴らしい、一番長いところが一番面白い、それから、なにが面白いんだとお思いにならないような箇所が、実は最も滑稽なので。

(ポール・クローデル著 渡辺守章 訳『繻子の靴(上)』 岩波文庫)

 

 






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