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安倍政権は9月18日に安保関連法案の成立を図って強行採決を重ねて行った。国会を取り囲んだ巨大なデモの声と野党の抵抗によって、最終的には参院本会議の採決は翌十九日にずれ込んだが、「1931年9月18日」は満州事変勃発の「柳条湖事件」の記念日である。満州事変から日中戦争、太平洋戦争へという「十五年戦争」へ突入していった過去の歴史 -- 「天皇機関説事件」(1935年)によって立憲主義が葬られ、「国体明徴」運動による国体ファシズムが進行し、「大政翼賛会」(1940年)により政党政治が終わる -- その〈いつか来た道〉と、現在の「アベ政治」の軌跡は、いまわれわれの前に完全に重なって見える。若者たちがまず声を上げた。
ファシズムを止めよう!
やつらを通すな !
¡No pasarán !
それは十分に可能である。
いまこの国でも〈新しい民主主義〉が姿を現して来たのだから。
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「ネット」と「直接民主主義」と「代議制民主主義」とを新しいかたちで組合せて、新しい時代のデモクラシーを創り出していこうという動きが、いま世界では拡がっている。グローバル化による国民国家の政治の閉塞、ネオリベラルな経済秩序の進行、労組、業界団体、地域コミュニティーなどの「中間団体」の組織力低下、選挙民の無党派化、メディア・ポピュリズムの進行などにより、代議制民主主義が、機能不全に陥る傾向が増した。
議会が機能せず代議制民主主義の限界が顕わになるとき、大規模なデモが直接民主主義を機能させ、国民の声を政治に反映させることは、成熟した民主社会の健全なメカニズムである。
現在の政治においては、さらに、もうひとつの「代表制」の問題が、これに加わる。「第四の権力」と呼ばれてきた「マスメディア」の問題である。いまでは一人一人が情報端末を持ち、二十四時間自分の必要とする情報を手に入れ、自分自身で発信し、情報を共有することができるようになった。二十年前までは、大規模な新聞社やテレビ局のような「マスメディア」しか持たなかったような手段を、国民一人一人がスマートフォンのような端末のかたちでもつようになった。
マスメディアが情報を独占し「第四の権力」をもつ時代は緩やかに終焉に向かい、「ネット」をベースにして、国民の政治生活も再構成される時代に向かっていると考えられる。
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二十一世紀の日本の代議制民主主義は、政党政治の閉塞、メディア政治化、政権交代、3/11の破局後の世界という激動を経験してきた。「政権交代」の失敗は、選挙への幻滅(総選挙投票率の低下)、両院制への不信、代議制民主主義への幻滅を引き起こした。メディア政治の進行と橋下現象のようなポピュリズムの激化をもたらした。3/11の大震災と原発事故は、政府とマスメディアへの不信、日常生活への不安を目覚めさせ、逆に、情報手段としてのネットへの信頼を高めた。 それはまた、日常生活を守ろうという、「新しいデモの時代」の幕開けとなった。
その間にも、日本経済の長期停滞、韓国や中国の経済興隆と産業国としての日本の自信喪失、非正規雇用の拡大、若者たちのプレカリアート化が、民心を不安定化させた。
二十世紀型の福祉国家の解体が進み、中間階級の没落、左翼勢力の退潮が進んだ。政治勢力として、台頭したのは、地方政治から進出し始めた「非伝統的保守」と呼ばれる極右政治勢力であり、勃興するネットに依拠する下からのファッシズムと、国家原理主義と市場原理主義とが結びついた上からのナショナリズムが結びつき、「非伝統的保守」が主導権を握るようになった。
現在の安倍政権は、このような社会的構図のうえに登場してきたものといえる。
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メディアの変動期にあって、私たちの社会では、「ネトウヨ」と呼ばれるような気分の政治が、下からのファシズムの温床となった。 どの国においても、ネット文化は、支配的メディアに対するアンチテーゼとして生まれる。カリフォルニアのコンピュータの発祥がそうであったように、市民社会の対抗文化として育つ場合もある。かつての韓国の民主化から近年の「アラブの春」にいたるまで、政治的自由がない独裁国においてネットは民主化のファクターとしも機能する。
しかし、我が国では、ネットは、産業界主導で商業メディアとしての活用が進められた。同時に、主流メディアに対する、オタク文化と呼ばれるようなサブカルチャーや、人びとのルサンチマンの捌け口としての「裏のメディア」としての使用が進んだ。2ちゃんねるやニコニコ動画などの掲示板や投稿サイトである。
ネットでは、内にこもって、匿名で、あらゆる事をあざ笑って引きずり降ろせばいいという捌け口としてのメディアである。ネットでなら、匿名性のコミュニケーションが、瞬時に組織化され、敵を攻撃し「炎上」させることができる。
ヒューマンな価値をなし崩しにすることで、人びとを「虚無」に陥れる「ニヒリズム」の横行である。
ネオリベラリズムの進行は、「規制」や「特権」に対する憎悪を生み出した。労働が非正規化し、プレカリアート化する若者たちにそのような感情が拡がっても無理なからぬ状況である。「福祉国家」や「進歩的」と考えられてきた価値観に対する憎悪は増し、攻撃の材料になる。
経済の閉塞、国家威信の低下による屈辱感と弱さの裏返しとして空疎なナショナリズムが肥大して、排外主義としてイデオロギー的に投影される。
ネットの「ニヒリズム」が進行して、「ヘイトスピーチ」とか、「反中」とか「嫌韓」とか「レイシズム」が社会に拡がっていった。 社会閉塞の原因を「他者」に転化して、「反日」「売国」のレッテル貼りや、「嫌韓」「反中」のスローガンが横行する。そのような動きが、「ネトウヨ」と呼ばれるようになって、隠然とした圧力グループとして、現実の政治に影響を与えるようになった。これが、下からのファシズムである。
この下からのファシズムに呼応するように進んで来たのが、上からの「保守革命」である。
心理的虚弱さとイデオロギー的強がり、論理性の欠如を特徴とする、安倍晋三とその周辺の政治的性格と対応している。じっさい、安倍は、「ニコ動」に生出演したり、メディア。イベントで戦車に乗ってみせたり、と、メディア戦略的にも意図的にネット右翼と連動する対応をしてきている。
朝日新聞やNHKのようなエスタブリッシュされたメディアを標的として揺さぶりをかけ、保守本流からは忌避される国家イデオロギー(「歴史修正主義」)を押し通し、下からのファシズムに依拠しつつ、保守政党内でのヘゲモニーを確立していく手法も見え隠れする。
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2015年夏、安全保障法案に反対する日本の若者たちによる直接民主主義の行動は、日本の民主主義の新しい時代を画すものとなるだろう。SEALDsを中心とする若者たちの運動は、以上に見てきた、上と下からのファシズムの動きに楔を打ち込んだ。(「やつらを通すな、ファシズム通すな、No passaran !」は、彼らの繰り返す呼びかけのひとつだが、いわれなくして、ファシズムに抗する歴史的スローガンが選ばれている訳ではない。)
近年、日本でもデモ文化が進化し、大規模なデモも出るようになった。
とくに3.11後の反原発デモ以降、SEALDSの前身となった特定秘密保護法反対の運動にいたるまで、デモ文化が進化を遂げてきた。
サウンドデモと呼ばれるイベント型の行進や、ネットを使った参加の組織化、ヒップホップ調のコール(「シュプレヒコール」とは言わない)の発明、フライヤー(「ビラ」とは言わない)やプラカード、ブックレットのデザイン、英語表現の頻用など、デモ文化の飛躍的な進化が起こった。
そのあるものは、世界的な広がりと呼応している(「ウオールストリートを占拠せよ!」運動のコール「Tell me what Democracy looks like ? – This is what Democracy looks like !」のように)。何十年にもわたって同じコトバ、同じ表現形式に凝り固まって停滞していた日本のデモの形式を打ち破った。
現代の若者たちのポピュラー・カルチャーが流れ込み、デモの革新が起こったのである。デモは長い間「ダサい」ものととらえられてきたが、「カッコいい」デモが登場してきたのである。
人びとにとって都市のメディア・カルチャーとデモとの段差が解消された。若者の誰でもが入りやすくなった。カッコいいデモは、メディアにも取り上げられ、ミュージシャンや有名人も応援したり参加したりするようになり、正の循環が生まれた。SEALDs現象はいまや2015年夏の文化革命の観を呈している。
これは決して形だけの問題ではない。
例えば、「安保反対!、闘争勝利!」は伝統的な七五調のリズムでしかも漢語でできている。現代日本人には感覚的に遠い表現である。
ヒップホップのリズムで、「民主主義って何だ!これだ!」と日常語で言える。「戦争したがる総理はいらない!」も日常語だ。「なんか自民党感じわるいよね!」も日常のフツーの言葉として取り入れることもできた。若者たちのヒップホップの発明で、「フツーの言葉」で「コール」(「シュプレヒコール」とは言わない)でき、「フツーの気持ち」でデモに出られるようになった。これこそ、民主主義が拡がる! 発明の出来事なのである。
繰り返すが、これは決して形の問題ではない。
若者たちの主張の核は、「自由と民主主義」の擁護である。憲法に基づく政治としての「立憲主義」の擁護であり、憲法が守ってきた「平和主義」の堅持である。
それは、今回のSEALDSの運動が、「ど真ん中の市民革命」の潮流であることを示している。この場合、「ど真ん中」とは、「中道」(「右」でも「左」でもない)ということとはまったく違う。イギリス市民革命やアメリカ独立宣言やフランス革命人権宣言のような、「立憲主義」と「市民革命」の本流の系譜のなかにきちんと位置づいているという意味で、ど真ん中なのである。
彼らの基本にあるのは、「私たち国民」という「主権者」のポジションである。「日本国憲法」前文の主語は、「われら日本国民」(英語訳 「We, the Japanese People」)だが、まさにその主語の位置から若者たちはこの国の政治を考え問い直し行動しようとしている。世界でも最も進んだ憲法のひとつである日本国憲法の発議者=主語の位置から、政府の行動を糺し掣肘しようとしている。その意味で、市民革命の本流に根ざした「自由」と「民主主義」の極めてまっとうな擁護なのである。
もちろんそれは、社会主義や共産主義の観念論(イデオロギー)とはまったく無縁である。
彼らの姿が感動的であるのは、ネットからの様々な中傷、卑劣な攻撃を受けても怯まないことである。これも、同調と沈黙への服従を拒否し、「おかしいことはおかしい!」と言わなきゃダメだと立ち上がった。市民としての「勇気」と「尊厳」という市民革命の基本にある倫理態度と響き合っている。
「日本国憲法」を体現する若者たちが戦後七十年の今年にこのように姿を現して、リベラル・デモクラシーの文化を更新し始めた。これは、奇跡的なこととさえ思える。それだけ、この憲法に基づく政治が伝統として私たちの社会に根を張り、「われら国民」を「市民」として育ててきていたということだろう。
現在の危機的状況にあって、ネットやポピュラーカルチャーをフツーに使いこなして、この国の若者たちの手で、民主主義がヴァージョンアップされようとしている。そして、改めて「この憲法」が、自分たちの手で新しく選びとられようとしている。「民主主義って何だ?」、「それは僕たち、私たちだ!」、そう、「新しいリズム」で語られ始めた。
ネットをリアルな人と人との新しい結び付きを生み出すためのツールとして使いこなし、市民的価値と結びつけて、リベラル・デモクラシーの新しい表現を掲げた市民勢力が姿を現してきた。日本国憲法のいう「われら日本国民」を自分たちの主語とする、現代的な市民革命の姿がここにある。
この数十年にわたって、この国の民主主義の孤塁を守り続けてきた旧世代の人びともまた、この新しい政治の芽をともに育てていくことに、心を合わせるのでなければならない。