2020年4月3日金曜日

官僚の文書改ざん〜「文明の死」招き「野蛮」到来へ 『北海道新聞』コラム「各自核論」 2020年4月2日朝刊

「官僚」の力の源泉とは何かお分かりだろうか。政治権力との近さだと思う人も多かろうが、それは不正解。答えは「文書」である。
  文明史的には官僚の権力の源泉は「文字」だ。 古代メソポタミアで発明された文字が歴史的に初めて国家を出現させた。中国の歴史も同じ、古代エジプトでもそうだろう。文字は「官僚」という書記階級を生みだし「国家」という「制度」を作ったのである。
 文字が出来る人、つまり「識字能力」が高い人が官僚になり「国家」を担う。人類の歴史では、これが「政治」の常道であり続けてきた。
 今日の日本でもいわゆる「勉強が出来る人」が、「偏差値の高い」とされる東大法学部に入るのは、識字能力つまり文字をコントロールする能力が高いからだろう。そういう人材が官僚になり国家を担うというのは、現代の科挙制度というべきだろう。日本や中国にとどまらず、ヨーロッパでもアメリカでも大きく見れば「官僚制」と「国家」の歴史的な関係は同じである。
 その官僚たちが、文書を偽造したり、文字を書き換えたり、記録を抹殺し始めるとどうなるだろうか。
 それは書記と記録の人としての自分たちの「天職」を否定することだ。自分たちの権力の元々の源泉を否定し、自分たちの墓穴を掘ることを意味する。
 現代日本の代表的官僚である財務省の国家官僚たちはそれに手を染めてしまった。これは自分たちの天職を否定し、ゆくゆくは「国家」をも破壊することに通ずるだろう。この国の官僚制はそこまで来てしまった。
 森友・加計問題にとどまらず、今日私たちが目撃しているのは、「官僚制の死」の兆候なのではないかと、メディア学者の私は危惧している。文字による支配、文明による支配がいま揺らいでいるのではないか、と。
 安倍政権による、「文書主義」の原則の破壊ぶりはすさまじい。数年前には、法律解釈の正統性を担保していた内閣法制局の人事システムが破壊された。今は、検察庁の人事システムが政権の都合に合うように変更され破壊されようとしている。その解釈変更は、「口頭」で決裁されたと法務大臣が答弁するのだから開いた口がふさがらない。政治世界のいたるところで都合の悪い記録の廃棄、議事録の非公開や書き換え、隠蔽が拡がっていく兆候がある。
 政治権力の恣意が官僚制をゆがめ国の根幹をないがしろにする。官僚たちがそれに抵抗せず従属するのはなぜなのか。
 今の時代、官僚に対する世間の見方は厳しい。福祉国家が解体され民営化が進むなかで官僚たちが権力資源を失った。
 世の中には官僚なんかいらない、官僚制度の死で何が悪いと思うひとも多いかもしれない。
 しかし、官僚制の崩壊は、「文明の死」に通じる可能性がある。「文字による支配」の死を意味し、「野蛮の到来」を意味しかねないからだ。文字(つまり言葉)によって統治が成り立たないところでは、むき出しの権力(つまり暴力)による支配が行われる。それが「文明」の反対としての「野蛮」である。
 世界を見渡せば、文字の能力に欠けた無知な政治家が主流となる時代になっている。我が国の首相やアメリカの大統領を見ればあきらかだ。メディア社会の発達はこの現象を加速する。これは「第二の野蛮」の時代を意味する。
 財務省森友文書改ざん事件で、「篆刻」と「書」を趣味としておられたと伝えられる財務省近畿財務局職員の赤木俊夫さんが、文書の改ざんに命を賭けて抵抗し、ご自身の遺書を書き残して亡くなったことは、本当の意味での「文明による支配」を守ろうとした「最後の官僚」の死を象徴する出来事と、私には思えてならない。                        

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