2019年5月4日土曜日

「本燃やす人への警戒訴える 『書物の破壊の世界史』フェルナンド・バエス著」書評 『日本経済新聞』2019年5月4日朝刊19面

 「本や図書館に関する 専門書は数あれど、それらの破壊の歴史を綴った書物は存在しない」と著者はいう。その欠落を埋めるべく書かれたまことにコンプリートな書物の破壊の世界史である。
 著者は図書館学者、作家で、べネズエラ国立図書館の元館長。2003年の連合軍のイラク侵攻直後に図書館破壊の調査にバグダッド入りした。そこは古代メソポタミア文明発祥の地。シュメール楔形文字を刻んだ粘土板は人類初の書物で、幾つもの図書館や文書庫が過去に存在した。しかし洪水や王朝の交代、戦争や征服で、書物の文明は書物の破壊の歴史とともに始まったことを考古学調査は教えている。
 古代アッシリアからエジプト、ギリシャへ、中国、ローマ帝国、アラブ世界、ビザンチンへ、書物、文書庫、図書館の破壊の年代記が、古代、中世から今日のデジタル時代まで、これでもかと延々と網羅的に書き連ねられていく。
現存するプラトンやアリストテレスの著作は、実際の著作の一部にすぎず、ギリシャ悲劇の多くは残っていない。中国でも始皇帝が書物を焼き払った「焚書坑儒」はよく知られている。
 古代アレクサンドリア図書館は、プトレマイオス朝が財を注ぎ込み、アルキメデスやユークリッドなど名だたる学者たちを集めて学芸の中心となり、蔵書はパピルス七〇万巻を超えて、ヘレニズム文化の栄華を誇ったが、戦乱と忘却の歴史のなかに消えていった。 
書物の殺戮は、ホロコーストならぬ「ビブリオコースト」と、著者により名づけられ、民族や文化の抹殺行為としての「記憶の殺害」と結びつけられている。
 宗教とりわけキリスト教による異端糾問、異教の排斥は猖獗をきわめ、新大陸征服による宣教師たちのアズテカ・インカ文明の抹消の記述には胸が痛む。
 ナチスのホロコーストが「焚書」の儀式化というビブリオコーストから始まったように、原理主義やヘイトやフェイクが何をもたらすのかに私たちは注意深くあらねばなるまい。
それが、著者が繰り返し引くハイネの警句、「本を燃やす人間は、やがて人間も燃やすようになる」の意味であろう。
一気に通読するにはあまりに重い著作だが、文明とは何か、野蛮とは何かを肝銘すべく座右にとどめたい一冊である。

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