2019年7月24日水曜日

「夏休みのためのフランス語 ひよこ自習クラス」プロジェクト(第1回)

石田フランス語 2017/07/28
 「夏休みのためのフランス語 ひよこ自習クラス」プロジェクト(第1回) 
    
暑いね!
期末試験期間もそろそろ終わって、みんなも楽しい夏休みに突入でしょうか?
ぼくも大学院の修士論文中間報告会とかが今日で終わって夏休みに入ります。
さて、予告したように。「フランス語の自主夏期講習」を始めましょう。

 約束通り、ヴォルテールの『カンディード』を題材に取り上げます。

 『カンディード』については前に配った教材(7月4日付 UP)のWikiとかで読んで知識を持ってくれたかな?
 だいたいどんな話かを分かっていた方がいいから、翻訳文庫本とかを買ってひと通り読みましょう。簡単に読めるはずだよ。一章ずつが短い、波瀾万丈の面白い物語だから軽く読んでおこうね。

 なんでこの物語を読むかというと、あまり確たる理由はない。軽く読めるから、面白いから、読んでおいて損はない、教養書、古典だから、とか、でもじつはとても現代的なテーマが書かれているとか、ま、いろいろです。

 ぼくがこの作品のことを最近思い出していたのは、君たちの先輩で駒場の科学史を卒業して大学院の表象文化論で博士をとった東浩紀くんという思想家が最近『観光客の哲学』という本を書いて、そのテーマとこの『カンディード』は関係があって、その東君とはぼくは最近わりと話をする機会が多くて、ああ、『カンディード』を久しぶりに読み返してみようか、と思って机の近くに置いてあったからだ。

 東君は、ぼくが昔、駒場でフランスの哲学者のミシェル・フーコーについてゼミをやっていたときがあって(20年以上前)、そのときに彼は僕の授業に出ていて、まだ学部の学生だった(20才ぐらいか)のだけど、スゴいレポートを出してきて、それを読んだときに、ぼくはこいつはスゴいやつだな、ととても感心したことがあって、そのレポートのことは今でも覚えている。何十年たっても思い出されるような、珠玉のレポートに巡り会えるのも駒場の教師の楽しみなんだ!
 きみたちのなかにもそういう天才がきっといると思うのだな。きみたち駒場の若者たちにはいつもスゴい才能の持ち主がいるんだよ。だからみんなぜひがんばってほしいな!

さて、雑談はそれぐらいにして、

 これはフランス語の講習だから、目標設定は夏学期に勉強した文法知識を忘れないようにすることが重要。それに加えて、今回のような物語を読むために、もう少し文法の勉強を先に進める必要があるから、随時お勉強してもらうことになる。その文法知識は、クラスで使っている「石井文法」を教科書として参照しながら解説していきます。

1 『カンディード あるいは 楽天主義』
 まず、この作品についてのフランス語のWikipediaの項目「Candide」の始まりのところを読んでみよう。(今日現在のその項目は以下:
https://fr.wikipedia.org/wiki/Candide 2017/07/27/0:09にアクセス
因みに言っておくけど、ネットからの引用には、何年何月何日何時にアクセスしたと書かないとダメだよ。それがアカデミック・ルールです。 )

« Candide:
Candide ou l'Optimisme est un conte philosophique de Voltaire paru à Genève en janvier 1759. Il a été réédité vingt fois du vivant de l’auteur, ce qui en fait un des plus grands succès littéraires français.

Prétendument traduit du docteur Ralph (qui, en réalité, n'est que le pseudonyme utilisé par Voltaire), avec les « additions qu'on a trouvées dans la poche du docteur », cette œuvre, ironique dès les premières lignes, ne laisse aucun doute sur l’origine de l’auteur, qui ne pouvait qu'être du parti des philosophes.

Candide est également un récit de formation, récit d'un voyage qui transformera son héros éponyme en philosophe, un Télémaque d'un genre nouveau. »

一文ずつ読んでいこう。

(1) Candide :
Candide ou l'Optimisme est un conte philosophique de Voltaire paru à Genève en janvier 1759.
ここは、みんなは問題なく読めるはず 。
 « paru » < paraître のp.p. (過去分詞) (「石井活用表25 connaître 」と同じ活用パターン)un conteにかかっている。

« paraître » は、姿を現すという意味の自動詞だね、そこから発表される、出版される。
3 〔出版物などが〕出る,発売になる,刊行される;(新聞などに)発表される,出る.
Les Fleurs du mal ont paru en juin 1857.
「悪の華」は1857年6月に発刊された.
Ce roman est paru depuis peu.
この小説は最近発売された.(小学館 『ロベール仏和大辞典』)

(訳)「『カンディード、あるいは楽天主義』は、1759年1月にジュネーヴで出版されたヴォルテールの哲学的お話である。」

 つぎに、知識ですが、このタイトルでいう « optimisme »なんだけど、日本語でもオプチミズム、オプチミストというときの楽天主義、楽天家という意味で今日広く使われている言葉だけど、もとはもっと強い特殊な意味の言葉だった。
【語源】は[ラテン語 optimus 最良の]なんだが、英語のbestと同じ、ラテン語bonus[良い](フランス語だとbonだね)の最上級。
 で、みんなはライプニッツって知っているかな?
  https://ja.wikipedia.org/wiki/
 ゴットフリート・ライプニッツ、いろんな分野での大変な天才で、みんなが知っているのは「微積分」の発明者で、その点ではニュートンのライバルだ。彼はコンピュータの思想的な設計者でもある。ぼくの研究にとっても重要な人物で、ぼくは「新ライプニッツ派記号論」という学派を作ろうとしているのだけど、ぼくの「記号論」講義に出た人はそれを知っているはず。 
  そのライプニッツに、「最善世界論 Le meilleur des mondes possibles」というのがあって、この世界は神が「可能な世界」のなかから「最もよいものを」を選んだ、そのベストな世界こそこの世界なんだ、という理論だ。それをl’optimismeというのだ。
 「可能世界」論って知っているかな?その後、分析哲学や論理学などで発展した議論だけど、このライプニッツの説から始まっている。https://ja.wikipedia.org/wiki/可能世界論
 でね、この『カンディード』は、ディドロがライプニッツの最善世界論に挑戦する物語なんだね。ライプニッツは、カンディードの家庭教師のPangloss 先生の人物のなかに表現されているんだ。

(2) Il a été réédité vingt fois du vivant de l’auteur, ce qui en fait un des plus grands succès littéraires français.
この文なんだけど、前半の複合過去は問題なく分かるよね?
Il a été réédité : Il は Candideという作品( un conte philosophiqueといっているから男性形)。Il a été 分かるね。受け身表現だね。動詞être の複合過去はavoir を助動詞に使う。(例 :  Azuma a été un de mes étudiants à Komaba il y a vingt ans. 東君は20年前私の駒場の学生のひとりだった。)
rééditer : 再版する。ré (再び) + éditer (出版する)
vingt fois 二十回 二十度 :  何回 何度 という表現(英語のtime)は fois (n.f.)を使います。(例: J’ai visité Paris deux fois. )
du vivant de 〜 : 〜の存命中に という慣用表現。
du vivant de qn
…の存命中に.
du vivant des époux
夫婦の存命中に.
de son vivant
彼の存命中に.
 
 だから、
「Il a été réédité vingt fois du vivant de l’auteur, それ(=『カンディード』という物語)は著者の生きている間に二十回も再版されました」

ce qui en fait un des plus grands succès littéraires français.
 ここ、新学習事項なんだ。(新学習事項は青字で示しますね。)
 まず、ce qui … という表現のお勉強
 
石井文法の第8課まで坂本さんと勉強したよね。「関係代名詞」のお勉強(p.41~)。
その延長で、明示的な先行詞がないときには、形式的な先行詞として「ce」を使う表現があります。次のように・・・。

関係代名詞の先行詞・・・・・・ce qui / ce que
1. ce qui / ce que ・・・・のもの(こと)「節を先行詞として」そのことが、そのことを
Prenez ce que vous voulez.  お望みの物をお取り下さい
Il a menti, ce qui m'a fait beaucoup souffrir.   彼は私にウソをつき、それで私は大変悲しい思いをした
Elle a eu un accident de voiture, ce qu'il ne savait pas.    彼女は交通事故にあったのだが、そのことを彼に知らせなかった

Ce が主語格のときは  ce qui となり、目的格のときは ce que となります。英語であればwhatを使うところですね。
https://www.laits.utexas.edu/tex/gr/pror2.html

 
 つぎに、これはまだ勉強していなかった文法事項なんだけど、中性代名詞というものがフランス語にはあります。石井文法の、第11課で勉強します(p.56〜)。その中性代名詞のなか に  « en » があります。その用法の (1) が 〈前置詞 de + 他の諸要素>を受けるという機能です(p.56)。
https://www.laits.utexas.edu/tex/gr/pro7.html
ここのce qui en fait un des plus grands succès に出てくるenはこの用法で、なぜそれが使われているかというと、« faire A de B » : 「BをAと化す」というfaire 動詞の表現からです。
1 〈~ A de B〉BをAにする.
faire de l'école un instrument de sélection
学校を選別の手段にする.
Elle a fait de son neveu son héritier.
彼女は甥(おい)を相続人にした.
La vie a fait de lui un aigri.
生活の苦労が彼をとげとげしい人間にした.
Notre but est de faire de ce pays un élément de stabilité en Europe, et non un foyer de conflits.
我々の目的はこの国をヨーロッパの安定に寄与するような国にすることであり,紛争の火種にすることではない.

  Un des plus grands succès は分かるね。「最も大きな成功のひとつ。」

そうすると、ce qui en fait un des plus grands succès は、 「ce qui a fait de ce conte(= Candide) un des plus grands succès littéraires françaisそのことはこの物語をフランスの文学の最も大きな成功のひとつとすることになった」という意味だよね。

第一パラグラフを、まとめると、
Candide ou l'Optimisme est un conte philosophique de Voltaire paru à Genève en janvier 1759. Il a été réédité vingt fois du vivant de l’auteur, ce qui en fait un des plus grands succès littéraires français. Il a été réédité vingt fois du vivant de l’auteur, ce qui en a fait un des plus grands succès littéraires français 
『カンディード、あるいは楽天主義』は、1759年1月にジュネーヴで出版されたヴォルテールの哲学的お話である。それ(=『カンディード』という物語)は著者の生きている間に二十回も再版され、そのことはそれ[この物語]をフランス文学の最も大きな成功のひとつとすることになった。


(2) つぎに第二のパラグラフを読んでみよう。
Prétendument « traduit du docteur Ralph » (qui, en réalité, n'est que le pseudonyme utilisé par Voltaire), avec les « additions qu'on a trouvées dans la poche du docteur », cette œuvre, ironique dès les premières lignes, ne laisse aucun doute sur l’origine de l’auteur, qui ne pouvait qu'être du parti des philosophes.

長い一文からなるパラグラフだね。

A まずシンタックスをとらえよう:
主文は cette œuvre (S), ironique dès les premières lignes, ne laisse(V) aucun doute(O) sur l’origine de l’auteur,

Prétendument « traduit du docteur Ralph » (qui, en réalité, n'est que le pseudonyme utilisé par Voltaire) , は 主文の主語を修飾する過去分詞句(過去分詞構文)カッコ«  »を補ったのは私石田だけど、そうしないと主文の主語(女性)と性が一致しないからだ。

qui ne pouvait qu'être du parti des philosophes. は関係代名詞節、先行詞はl’auteur

B 次にそれぞれのパートを理解しよう。
cette œuvre (S), ironique dès les premières lignes, ne laisse(V) aucun doute(O) sur l’origine de l’auteur,
シンタックスの骨格だけを取り出すと:
cette œuvre (S) ne laisse(V) aucun doute(O) sur l’origine de l’auteur

aucunはまだ勉強していなかったね。
aucun, une [o-k , -kyn]
[不定形容詞]
1 ((否定)) ((ne, sans とともに)) どんな…も…ない.
Il n'a aucun talent.
彼にはなんの才能もない.
Ils n'ont eu aucun mal à trouver le chemin.
彼らは難なく道を見つけた.
Il ne fait aucun cas de mon expérience.
彼は私の経験をまったく無視している.
Nous n'avons aucun moyen de nous en sortir.
我々に窮地を脱する手段は何一つない.
Elle ne prend aucun soin de ses vêtements.
彼女は衣服にはまるで無頓着(とんじやく)だ.
Il n'y a plus aucun remède.
もうどんな治療法もない.

aucun (feminine singular aucune, masculine plural aucuns, feminine plural aucunes)
1. no, none, not any
Il n'a aucun désir de construire des temples.
He hasn't any desire to build temples.

したがって、
「cette œuvre (S) ne laisse(V) aucun doute(O) sur l’origine de l’auteur
この作品は、作者の出自(=誰が作者か)についてはいかなる疑いの余地もない」

挿入句のironique dès les premières lignes, 「最初の数行から(=冒頭から)アイロニカルな」 dèsは 〜から 〜以来 

関係代名詞節 « qui ne pouvait qu'être du parti des philosophes. »
関係代名詞については石井文法第8課で勉強したよね。
関係詞節のなかで「 ne 〜 que 」の限定否定が使われていることに注目しよう(石井文法 p.21)
先行詞は l’auteur(作者) pouvaitは pouvoirの半過去だね。Qui ne pouvait qu’être で「〜でしかありえない」
du parti des philosophes : du parti de 〜 で 「〜 派の」 
だから 「les philosophes (哲学者=啓蒙主義者)」のグループ(「啓蒙派」)でしかあり得ない、という意味だ。


冒頭の過去分詞構文の意味だけど、
Prétendument « traduit du docteur Ralph » (qui, en réalité, n'est que le pseudonyme utilisé par Voltaire) , avec les « additions qu'on a trouvées dans la poche du docteur »,

Prétendumentは、prétendreから派生の副詞 「〜と称する、自称」
« traduit du docteur Ralph » 「ラルフ博士からの翻訳」
(qui, en réalité, n'est que le pseudonyme utilisé par Voltaire) :ここも関係代名詞節だね。それにne 〜 que の限定否定、「(実際には、ヴォルテールによって使用される偽名にほかならない)」

avec les « additions qu'on a trouvées dans la poche du docteur »,
ここは難しくないね、les qdditions以下は関係代名詞節だけどね。(on a trouvées と過去分詞が女性複数 es が着いているのは、先行詞のles additionsが女性複数だからです。こういうのを過去分詞の一致といいます。→石井文法 p .55)この前置詞句の意味はだから:博士のポケットのなかから見つかった付加」とともに

だから、
Prétendument « traduit du docteur Ralph » (qui, en réalité, n'est que le pseudonyme utilisé par Voltaire) , avec les « additions qu'on a trouvées dans la poche du docteur »,
「ラルフ博士から、博士のポケットのなかから見つかった付加」とともに、翻訳された」と称するものだが(実際には、「ラルフ博士」とはヴォルテールによって使用される偽名にほかならない)

ちょっと解説をしておくと、『カンディード』の表紙には、著者はヴォルテールとは書かれていない。

Candide ou l’optimisme
Traduit de l'allemand de M. le docteur RALPH..
Avec les additions qu'on a trouvées dans la poche du docteur lorsqu'il mourut à Minden l'an de grâce 1759.
「『カンディード あるいは 楽天主義』 ラルフ氏博士のドイツ語からの翻訳、博士が1759年ミンデンで没したときに彼のポケットから見つかった付記つき」と書いてあるわけだ。(https://candide.bnf.fr/candide.pdf)
そのことを言っている。

まとめると、
Prétendument « traduit du docteur Ralph » (qui, en réalité, n'est que le pseudonyme utilisé par Voltaire), avec les « additions qu'on a trouvées dans la poche du docteur », cette œuvre, ironique dès les premières lignes, ne laisse aucun doute sur l’origine de l’auteur, qui ne pouvait qu'être du parti des philosophes.
「ラルフ博士から、博士のポケットのなかから見つかった付加」とともに、翻訳された」と称するものだが(実際には、「ラルフ博士」とはヴォルテールによって使用される偽名にほかならない)、最初の数行から(=冒頭から)アイロニカルな、この作品は、(哲学者=啓蒙主義者)」のグループ(「啓蒙派」)以外ではない、作者の出自(=誰が作者か)についてはいかなる疑いの余地もない。」


(3) やっと三番目のパラグラフだね:
Candide est également un récit de formation, récit d'un voyage qui transformera son héros éponyme en philosophe, un Télémaque d'un genre nouveau.

Candide est également un récit de formation,
これは難しくないね。カンディードは人格形成(formation)の物語でもある、

formationは「形成」だけど、ここは人として成長すること。formationには養成とか育成という意味もある。

récit d'un voyage qui transformera son héros éponyme en philosophe,
構文は難しくないね。récit de formationと同格で、récit d’un voyage旅の物語と言い換えている。その不定冠詞つきのun voyage を先行詞にして、関係代名詞節が開かれている。
 transformera ここが新学習事項。ここは動詞の単純未来形です。「直説法単純未来」は石井文法では第9課に出てきます。P.50頁を見てください。単純未来形は語尾がすべての活用に共通しているから簡単だよ。第一活用と第二活用のパターンを覚えよう。不規則動詞についてもざっと見ておこう。それと、「直説法単純未来」は「条件法」の活用のベースになる。「条件法」は活用語尾のパターンだけが「単純未来」と違う。条件法は石井文法の第13課で勉強します。
 で、単純未来が初めて出てきたのだけど、単純未来は「(1)未来に起こるであろうことがらを表す」。(石井p.50)
 un voyage qui transformera son héros éponyme en philosophe
éponymeは「名の起源となった」、つまり「物語の題名の元となった主人公」、つまりカンディードのこと
 だから「その旅は、物語の題名の元となった主人公を哲学者に変える(成長させる)ことになる」という意味だね。

un Télémaque d'un genre nouveau.
Télémaqueテーレマコスはギリシャ神話の人物。ホメロスのオデッセイアに出てくる。お父さんのオデュッセウスを探して旅に出て成長を遂げていく人物。
https://ja.wikipedia.org/wiki/テーレマコス
不定冠詞のunがついているのは、「ひとりのテレマーコス(のような人物)」、d’un genre nouveauと書いてあるから「新しいジャンルの(つまり新しいタイプのといっていい)_


そこで、全文をまとめると、
Candide est également un récit de formation, récit d'un voyage qui transformera son héros éponyme en philosophe, un Télémaque d'un genre nouveau.
カンディードは人格形成(formation)の物語でもあって、物語の題名の元となった主人公を哲学者に変える(成長させる)ことになるような旅の物語であり、その主人公は新たなテーレマコスとも呼ぶべき人物なのだ。

こんな感じだね。


まとめ:

« Candide:
Candide ou l'Optimisme est un conte philosophique de Voltaire paru à Genève en janvier 1759. Il a été réédité vingt fois du vivant de l’auteur, ce qui en fait un des plus grands succès littéraires français.

Prétendument traduit du docteur Ralph (qui, en réalité, n'est que le pseudonyme utilisé par Voltaire), avec les « additions qu'on a trouvées dans la poche du docteur », cette œuvre, ironique dès les premières lignes, ne laisse aucun doute sur l’origine de l’auteur, qui ne pouvait qu'être du parti des philosophes.

Candide est également un récit de formation, récit d'un voyage qui transformera son héros éponyme en philosophe, un Télémaque d'un genre nouveau. »

『カンディード、あるいは楽天主義』は、1759年1月にジュネーヴで出版されたヴォルテールの哲学的お話である。『カンディード』は著者の生前二十回も再版され、フランス文学の最も大きな成功のひとつとなった。
「ラルフ博士の死後、博士のポケットのなかから見つかった付加とともに、翻訳された」と称する(実際には、「ラルフ博士」とはヴォルテールの偽名にほかならない)が、この冒頭からアイロニカルな作品は、その作者についてはいかなる疑いの余地もなく、紛れもなく啓蒙派の手になるものだ。
 『カンディード』は人格陶冶の物語でもあって、題名の名をもつ主人公を哲学者に成長させることになるようなひとつの旅の物語であり、その主人公とは、新たなテーレマコスとも呼ぶべき人物なのだ。

こんな感じでしょうかね。

ちょっと読むだけでもまだ一苦労だろうけど、ま、辛抱してください。

私もこれだけ解説を書くのは疲れた。
次は、いよいよ、『カンディード』自体を読んでみましょうね。



「夏休みのためのフランス語ひよこ自習クラス」プロジェクト(第0回)

(2年前の東大駒場フランス語初修クラスの記録を再掲します。使用教科書は、石井洋二郎『フランス文法要説(第3版)』朝日出版社 2016〉


石田フランス語2017/07/04
 「夏休みのためのフランス語ひよこ自習クラス」プロジェクト 

 S23 xx組の石田・坂本担当 フランス語「ひよこクラス」のみなさん、
もうすぐ大学に入って初の夏休みですね!

大学の夏休みはかなり長いですから、フランス語の勉強を深めたいという人も、少し休みたいという人も、それぞれだと思いますが、みなさん自身で過ごし方を決めて有意義な時間をもってくださいね[i]

長い人生のなかで、ああ1年生の夏はこんなことをしたな、あの頃はこんなことを考えていたな、と思い出せるような思い出をつくってくれたら、いいだろうなと引退を前にした老教授の私は思っています。

 とくにみなさんを無理に勉強させようとかいう考えはありません。ただ、夏休みの時間の一部をつかって、フランス語をもう少し勉強したいとか、いままで勉強した知識を忘れないように(なにしろ3ヶ月勉強しても、2ヶ月休むとせっかく勉強したことが無に帰す可能性さえありますし)、どれくらい使えるのかを経験してみたい人もいるのではないかと思います[1]
 学問は海のように広く、みなさんは本当に全面的な自由を享受できるので、いっさい強制のようなことはないのですが、もし教養としてのフランス語を夏休みに少し自習してみたいと思っているひとのために、次の計画を立てました。

*

「夏休みのためのフランス語ひよこ自習クラス」プロジェクト

読むテキスト:
Voltaire : Candide ou l’optimisme
翻訳はいろいろあります。岩波文庫もあるし、光文社文庫もあるし、単行本もあります。どれでもよいと思いますが、最初は一冊もっていた方がいいでしょうね。

II 関連サイト:
フランス国立図書館(la Bibliothèque nationale de France) CANDIDE
https://candide.bnf.fr                                                                                            

登録の方法:(無料です
右の上の右端に「Connexion」というところをクリックして、次に「Se connecter à « Candide, l’édition enrichie »」という頁に行きますので、そこで自分のアドレスとPWを入力すると自分のアカウントが作れます。
使用法
Le livrehttps://candide.bnf.fr/livre#1
Le monde(世界) https://candide.bnf.fr/monde
Le Jardinhttps://candide.bnf.fr/jardin/1
という三つの方向へ行く扉があります。
Le livreは Candideのテキスト(現在の版のテキスト以外に初版のテキストなど), pdfテキストをダウンロード可能、サイトには音声テキストもついていますから、読み上げ機能を使えば音読が聞けます。
Le mondeCandideが旅をするそれぞれの章に関する知識がリンクされて解説や歴史的説明がされていく
Le Jardinはユーザ自身が「知恵の樹」をつくることもできるノート・コーナーです。
当面、Le livre Le mondeをみなさんは使えばいいと思います。

III 課題
 Candideは短い30章からなるピカレスク風の哲学小説です。1章ずつ読み進めていきますけど、同時に、上記の関連サイトに書かれていることも幾つか読んでいきます。
 夏休み前に学習した文法知識では足らないところもあるので、まだ勉強していない文法表現は私が解説して補っていきます。
 何章まで読めるかは、まだ分かりません。5章ぐらいまで読めるといいかな、と思っています。「リスボン大地震」の出来事ぐらいまでです。

IV 履修方法
 LMSに毎回コンテンツを載せていきます。「ほぼ毎週」更新していければ5章までで夏休み分(8月末ごろまで)になると思います。

評価
 履修者には、簡単な知識チェックを実施します(これもLMS上で)。それに答えた人が「プラス評価」の対象になります。履修しなかったことによる、「マイナス評価」はありません。

VI 質問、問い合わせ等
 質問や問い合わせは、ishida[a]....ac.jpまで。あるいは、LMS上でも質問できるはず。
 私は、夏の期間は、信州で過ごしていますから、そっちの方に来る人は会えます。それ以外は、スカイプとかならできます。

 以上です。

では、 Bon courage,  Mes enfants !

                                       Hidetaka Ishida





[i]私はみなさんがフランス語を専門的に研究する道にすすむとか、とくにフランス語に関係した分野に進むとかは、理科だしあまりないのではないか、と予想しているのですが、私が長い東大教師の生活をとおして出会った理科の尊敬できる先生たちのなかには、ご自身の専門に関係なくフランス語をよく勉強されてそれがとても役に立ったというひとは、想像以上に多くの方々いました。私の授業でもおしゃべりしたかと思いますが、日本数学会の会長をつとめられていたO先生は気の良い年長の友だちなのですが、いちど駒場のフランス語の授業でポアンカレの話をしてもらいました。医学部の高名な教授で、ヒヒを使って脳科学の研究をされていたM先生は、私とコレージュ・ド・フランスというフランスでは最高学術機関で行ったシンポジウムで素晴らしいフランス語で発表をされたので、どこでフランス語勉強したのですか?とお聞きしたら「駒場の第二外国語で勉強したんです」とおっしゃったので驚きました。理学部の学部長をされていた気象学のY教授も、フランスではフランス語で発表をしますとおっしゃっていましたし、現役の教授でも理学部の宇宙物理学の有名教授のS先生はフランス語がとても流ちょうで、かねて仲良しさせてもらっています。
理科だけでなく、文科もこの頃は英語が基本ですから、私もフランス以外では英語で講演することが多いのですけど。でももう一つ外国語ができると、またひとつ人よりも幅のある仕事ができたりするわけなので、そういう教養は将来クリエイティブな仕事をしていくときにきっと役に立つときが来るのですね。ちなみに私は、フランス語は駒場時代の第二外国語、第三外国語はドイツ語で、それ以外にラテン語、そしてギリシャ語を少々勉強しました。本当に使えるのはフランス語と英語までで、ドイツ語はなんとか読める程度、ラテン語やギリシャ語は辞書が引ける程度です。最近は中国に行ったり韓国に行ったりする機会が多いので、中国語も韓国語も勉強しておけばよかったと思うのですけど、歳をとって専門の仕事が増えると語学を勉強する時間はなかなかとれないのですね。


2019年6月11日火曜日

「人工物と自然」:藤幡正樹×胴金裕司「Orchisoidプロジェクト」2001

III 人工物と自然 
 情報テクノロジーは、VRやロボットのような人工物にのみ関係しているわけではありません。遺伝子のような生命・生物現象にまで働きかけて、自然を操作するところにまで、その技術が及んでいることは皆さんも知っているとおりです。人間は自然に働きかけることによってそれを変形し、人工的な営為としての文化を生み出してきたと考えられるわけですが、「情報」のパラダイムはこうした「自然」と「文化」、「自然物」と「人工物」という区別自体に重大な変更をもたらしつつあります。
 現代日本のメディア・アーチスト藤幡正樹(1956年生まれ)とバイオ・メディア・アーチストの胴金裕司(1957年生まれ)によるコラボレーション「Orchisoidプロジェクト」は、環境によって変化する蘭の生体電位を植物の「脳波」のように測定し、植物の蘭が動かされたり、人が近づいたり、あるいは他の蘭を近づけたりするときにあらわれる波状の変化をとらえることによって、植物の「コミュニケーション」を想定し、植物の「脳波」にもとづいて植物の「意志」にもとづいて動くロボットを作ったり、あるいは、蘭を進化させて1万年後には「歩行する」蘭を作り出そうという、思考実験的なアート作品です。2001年に科学未来館の「ロボット・ミーム展」では、温室のようなコーナーにつるされた何種類もの蘭たちが植物同士であるいは環境とコミュニケートする電流波形がパソコンのモニター上に映し出され、また鉢植えの蘭が車輪型ロボットに載せられ、植物の生体電流の値にもとづく運動パターンにしたがって動く、「Orchisoid(蘭もどき)」として展示されました。藤幡によれば、ドーキンスの「ミーム(文化遺伝子)」論がいうように「人間」とは「ミーム」の「乗り物」であると考えられるとすれば、ロボットは「人間」のミームが「機械」に乗り移った姿である。その考え方を植物にまで適用していくと「蘭」のミームを仮定してみることができるのであって、その振る舞いを測定することができれば、蘭の「意志」行動に働きかけることができるだろう、というのです。
 このような「実験」としてのアート作品に表れているのは、「情報」がもたらした、「機械」と「生物」、「動物」と「植物」、「人工」と「自然」を分ける境界の消滅です。「人間」も「機械」も「動物」も「植物」も、ひとしく「情報」の「乗り物」という視点からとらえ、「情報」のプログラムをとおして、自然物をふくむあらゆる生き物とコミュニケートしうるというヴィジョンを提示することを通して、人間中心の人工物の世界を脱し、植物的な生命との連続性へと向かおうとする批評的意識を、そこに見て取ることも不可能とはいえないのです。
(『新訂 表象文化研究: 芸術表象の文化学』共編 渡辺保、小林康夫、石田英敬、放送大学教育振興会 2006年3月 第14章「表象メディア論(II):コンピュータ」)

2019年6月1日土曜日

「綿密な謎解きで天才に迫る ウォルター・アイザックソン著レオナルド・ダ・ヴィンチ(上・下) 」書評『日本経済新聞』 2019年6月1日朝刊26面

ベンジャミン・フランクリンやアインシュタイン、スティーブ・ジョブズの伝記で知られる手練れの伝記作家によるレオナルド・ダ・ヴィンチ伝。科学と人文・芸術、テクノロジーを自由に往き来してイノベーションを生みだす天才たちの創造を追ってきた著者にとって総仕上げの仕事だろう。
 レオナルドは、同性愛者でベジタリアン、ピンクの衣装に身をくるんだ美丈夫で、絵画・彫刻にとどまらず、祝祭イベントのプロデュース、建築や都市計画、さらには軍事のコンサルにまで手を広げようとする野心家でもある。権謀術数渦巻くルネサンスのイタリアで、メジチ家やローマ法王、殺戮王ボルジアやマキャヴェリ、フランス国王、若きライバル、ミケランジェロなど、彼の人生は歴史上の人物と交差して伝記の興味はつきない。
しかし本書の真骨頂は、「メモ魔」だったレオナルドが生涯にわたって残した自筆ノート7200ページを綿密に読み込み天才の創造の秘密に迫ろうという謎解き作業の方にある。
 「ウィトルウィウス的人体図」は、いかに人体の小宇宙と地球の大宇宙をアナロジーの関係で結んだか。「岩窟の聖母」や「白貂を抱く貴婦人」のポーズや表情や目差しはいかに解剖学の知識に裏打ちされているのか。「最後の晩餐」が静止画なのに止まって見えないのはなぜなのか。「聖アンナと聖母子」に記入された地質学の知識とは何か。自然界のパターンを見抜き、アナロジーで理論を構築していくレオナルドの方法が、図版を手がかりに解説されていく。
「モナリザ」の微笑にせまるためには、顔の皮膚をはぎ、唇の細かな神経組織をさぐり、表情をつくる筋肉と腱の仕組みを確かめなければならない。見つめられた気分になり微笑が揺れ動く絵の原理をとらえるには、網膜の仕組みと周縁視覚の原理を知っていなければならない。それらは今日の科学がようやく明らかにしつつある生理と認知のメカニズムでもある。レオナルドにとって絵画とは探究だったのだ。
レオナルドの天才とは、どこまでも純粋な好奇心に支えられた観察と想像の力なのだと著者はいう。私たち現代人がアートとサイエンスを横断して創造性を生むためのヒントが、このルネサンス・マンの伝記には見つかるはずだ。

2019年5月15日水曜日

(再掲)NHKニュースが死んだ日 メディアの「信用」は「番組」に内在する  初出:『論座』、朝日新聞社、2005年6月号

NHKニュースが死んだ日
メディアの「信用」は「番組」に内在する

 初出:『論座』、朝日新聞社、2005年6月号

噴出するNHK問題から、ライブドアによるニッポン放送株買収の「ホリエモン騒動」まで、このところ世間を騒がせてきた一連の出来事は、私たちの国のメディアが抱える構造的な問題をあらためて浮きぼりにした。しかし、せっかく芽生えかけた公共放送やメディア産業についての本質的な問いかけのチャンスを、興味本位の「狂騒劇」に紛らわせてしまってはならないだろう。少なくとも現在までのところは、本質的な議論は不発に終わっているし、むしろ意図的に避けられている感がある。うやむやや痛み分けで話題が閉じられるとき、残されるのは、以前よりも性の悪い居直りであり、あきらめとシニカルな現実追認であり、それでは私たちのメディア社会の行方にはますます濃い霧が立ちこめるばかりだ。

実際、最近の「ホリエモン騒動」と「NHK問題」とは、日本のナショナル・TVメディアの問題のほとんど全領域を覆うほどの一大問題であるはずだ。一方はメディアと資本との関係をめぐって起こった、メディア買収をめぐる「メディア劇」である。他方は、公共放送とはどのようなものであるべきか、受信料制度とはどうあるべきか、政治権力と公共メディアとの関係はどうあるべきか、放送の公共性をめぐる本質的な問題を提起していたはずである。NHKと民間放送というテレビ界全体の存立基盤を揺るがす問題がそこには集約的に現れているはずなのである。そして、わたしたちの生活にテレビが占める比重の大きさを考えれば、これは社会にとって重大で深刻なイシューなのだ。

ところが、視聴者の関心はそのような深刻な争点から遠ざけられている。なぜそうになってしまうのだろうか。おそらくテレビ界には現状を変えたくないという隠然たる力が働いているからである。テレビ界が自己の存在理由についてまともに答えようとせず、何事もなかったかのように元のゲームにもどるなら、こんどはテレビ界全体が視聴者から見放されることになりかねない。
「NHK問題」をニュースで釈明するNHK
「テレビ界」に対する嫌気ムードをつくりだしているのは、なんといっても「NHK問題」である。受信料不払いの拡大は、まさにこの「公共メディア」が、多くの国民から「不信任」されていることを意味している。NHKの存立基盤が大きく揺るがされているのだ。

NHKの危機は二つの、一見べつべつの姿をしている。ひとつは、職員による不正流用スキャンダルと、それを適切に処置し得なかった組織としての責任の欠如、社会とのコミュニケーション不全、不透明な内部権力機構と組織的な隠蔽体質の問題だ。もうひとつは、2001年に放送された教養番組シリーズ「ETV2001」の「番組改変問題」をめぐって行われた朝日新聞の報道と内部告発に端を発する問題である。

私が今回論じるのは、「番組改変問題」そのものではなく、それを報道したNHKによる説明と報道の姿勢である。もちろんこの問題の報道に関しては、NHK以外のメディアの責任も問われなければならないだろう。この事件と朝日新聞の報道、そして現役プロデューサーの告発に対してマス・メディアがとった報道姿勢には、まさにこの国を覆っているメディアの危機が全面的に露呈している。NHK対朝日という構図を作り、政治家の発言を野放しにするテレビ報道からは、「事実」への忠実さも、物事の「論理」関係をつめようとするジャーナリズムとしての基本的な姿勢も見受けられない。メディアの送り手たちが、メディア宣伝に呑み込まれてしまっているかのごとくだ。

しかし、ここではNHK自身の報道姿勢についてのみフォーカスすることにしよう。なにしろ、最もひどかったのは、「打ち消し」にやっきになったNHKのなりふり構わぬ姿だったのだから。そこに、深刻な危機に陥ったこの「公共放送」の病理が透けて見える。

NHK教育テレビで放送されたETV2001シリーズ「戦争をどう裁くか」の第2回「問われる戦時性暴力」が、政治家の介入によって改変されたと「朝日新聞」(2005年1月12日付朝刊)が報じ、翌13日昼には当該番組の担当デスクであった長井暁氏が内部告発の記者会見を行った。これに対してNHKは、長井氏の会見が行われた同日夜に、「関根放送総局長の見解」(以下、「関根見解」)を発表。「今回改めて調べた」結果として、指摘された事実関係を全面的に打ち消した (※1)。さらに翌19日には記者会見を開き、「コンプライアンス推進室」の「調査結果報告書」を発表した。

(※1)「関根放送総局長の見解」平成17年1月13日 NHK広報局 http://www3.nhk.or.jp/pr/keiei/news/001.html

そしてNHKはその後、延々と自己弁護を繰り返すことになる。しかもNHKはニュース番組枠を使い、自己をニュース化することによって、それを行ったのである。

「プロパガンダ」としてのニュース
1月のNHKニュースを見て、「異常だ」という感覚をもった視聴者は少なくないだろう。実際、一連のNHKニュース番組をつぶさに検証してみると、「番組改変問題」にかかわる報道で、実にさまざまな「操作」が行われていたことが分かった。やや専門にわたるが、私の研究室では、コンピュータ技術を使ってテレビ番組をデータベース化し、語りや映像を分析する研究プロジェクトを、NHKの研究所や関連団体の協力も得て進めている(※2)。このシステムを使って、1月のNHKテレビニュース「NHKニュース7」の分析を行った。その結果の紹介をしたい。

(※2)「TV分析の知恵の樹」プロジェクト http://www.nulptyx.com/chienoki/

周知のように午後7時の「NHKニュース7」は、現在の日本における最もベーシックな30分のナショナル・ニュースの番組枠である。NHK一流の「公正・中立」の基準についてはいろいろ議論はあろうが、「ニュース7」はわが国における「ニュースの文法」を作り出してきた番組なのである(※3) 。その特徴は、「一方」「ところで」「そのうえで」、といった表現を頻用して、くっきりとトピック文脈を描く事実確認の発話だけでなく、間接話法、直接話法、推測や伝聞などモダリティ語法を組み合わせた「語り」の構造化映像と語りのきっちりとした対応化トピックの論理的階層化の定型的手続き、などを特徴としている。アナウンサーの原稿読み上げによるオーソドックスな客観報道、丁寧な物腰と落ち着いた語りかけ 現在の日本のテレビニュースのなかでも最もスタンダードなニュースとして認知され準拠点となっている。

(※3)「NHKニュース7」の「ニュースの話法」については、拙著『記号の知/メディアの知』第10章「ニュースな世界」の項を参照。

最近は、ニュースで扱うトピックの序列を流動化させたり、「軽い」話題に時間を割いたり、アナウンサーの語りに情緒的な要素を取り入れたり、外国人の直接話法部分に吹き替えを思わせる語りの音声を採用するなど、ニュースとしての「定型」を崩す傾向(一種のバラエティー化への傾斜)を見せてきていた。しかし、1月に放送された「NHKニュース7」は、まったく冷静さを失った、異様に攻撃的な番組内容を示した。「関根見解」発表翌日の14日の放送(約3分)では、問題についてのニュースの語りは次のように始まっている。
【畠山アナウンサーの語り】
朝日新聞が、NHKの4年前の番組を巡る記事の中で、自民党の安倍晋三氏と中川昭一氏の2人が、NHKに対し、一方的な放送はするなと求めたり、中川氏が、それが出来ないならやめてしまえと述べ、NHKが放送直前に番組を改変したなどと報道した問題で、NHKは事実誤認に基づく記事、著しく信用を傷つけられたとして、今日、朝日新聞社に文書で抗議し、謝罪と訂正記事の掲載を求めました。

この問題で、NHKが、当時の記録を調べたり、関係者から事情を聞いたりしたところ、NHKの幹部が中川氏に面会したのは、放送前ではなく、放送の3日後だったことが確認されました。

これについて中川氏も、調査した結果、NHKの担当者が、事業計画の説明のため会いたいと言って私の所に来たのは、番組が放送された後のことだった。NHKも政治的圧力はなかったと言っており、私もそういうつもりはなかった。今回の一連の報道は、重大な名誉毀損、大変な誹謗中傷であり、間違った報道をしたことを明らかにしてほしいと述べています。また、安倍氏とは、NHKの幹部が放送日の前日頃に面会し、既に国会議員らの間で話題になっていたこの番組の趣旨やねらいを予算の説明と合わせて伝えましたが、阿倍氏から呼ばれたわけではなかった上、番組改変を促す意向を示された事実も無いことがわかりました。


これは「関根見解」を全面的に下敷きにして書かれたニュース原稿であることは明白である。これ以後、この問題に関する報道は、同じ発話のパターンを描いていくことになった。そのパターンとは基本的に
(1) 「朝日新聞」の報道についての論点導入
(2) 「NHKは」という主語による発話
(3) 自民党の2人の政治家の発言が、主語「NHK」の発話をさらに補強する
というものである。

しかし、「確認されました」、「わかりました」と述べているアナウンサーの語りによる断定の根拠は、(「関根見解」でも明らかでなく)、一貫してあやふやなものにとどまりつづけることになる。

それとは対照的に、論争相手である朝日新聞についての報道は、「事実誤認」、「著しく信用を傷つけられた」といったマイナス負荷の高い語彙が頻用され、さらに、政治家の発言によるアグレッシヴで刺激的な表現(「重大な名誉毀損」、「大変な誹謗中傷」)がたたみかけるというパターンが作られていく。

映像に現れるのは「事実誤認の記事 朝日新聞に抗議」であり、さらに字幕テロップには「NHK調査」という見出しで、「中川氏との面会は放送前でなく放送3日後と確認」などと原稿中の文句が強調的に主題化され、つづいて中川と安倍といった政治家たちの映像が、文字スーパーつきで続く。

本来、ニュースの語りにおける「一人称」は、世界のニュースを伝えるスタジオの「いま・ここ」で話しているアナウンサーの発話(これを発話の「ダイクシス(いま・ここ・わたし)」と呼ぶ)であって、この「一人称」が、伝えられるべき出来事の「三人称」(「彼・彼女・かれら」)と区別されなければ、ニュース番組の「中立性」は確保できない。

しかし、このニュースでは、事件の当事者である「NHK」が躊躇なく「一人称」で語ってしまっている。アナウンサーの発話は、「NHKは」という集団的一人称の一部になってしまってしまい、ニュートラルな立場からの発話を「放棄」してしまっているのだ。そうでなければ、「NHKが~調べたり、~聞いたところ、 ~だったことが確認されました」という発話はあり得ない。ニュース原稿は、「NHKは、~調べたり、~聞いたところ、~だったことが確認された、と発表しました」とでも書くべきである。これは決してささいな差異ではない。それがたとえ自局の、疑う余地のない見解であったとしても、「ニュースの発話」と、「自局の見解発表」とでは、メッセージの作り方がおのずから違うはずなのである。その区別を失ってしまえば、それはもはや「ニュース番組」ではなく、「宣伝」や「プロパガンダ」になってしまう。

しかもニュース原稿は、「中川氏も」と、政治家の発話を、一人称主語「NHKは」に同調させ呼応させている。番組制作者たちは、こんな発話の構成を「ニュース番組」だと考えたのか。報道番組作りのプロフェッショナリズムはどこに行ってしまったのだろうか。

そしてこの日以来、「ニュース7」の報道はますますエスカレートしていった。トピックに充てられる時間も、14日は約3分だったが、18日は約3分半、19日は約13分、20日は約5分が割かれた。30分枠のニュース番組のなかで、ヘッドライン、スポーツ、天気予報などの時間を差し引くと、番組全体の半分近くを、NHKの自己弁護が占めるようになったのである。この項目に付される題名テロップも、「朝日新聞記事」(14日、18日)から、「朝日新聞記事問題」(19日)へと変化し、そして、20日にはついに「朝日新聞虚偽報道問題」というタイトルを打つに至る。
はめ込まれた「説明映像」
番組全体の半分近く、延々13分間に及ばんとする長時間を費やしたのは、「コンプライアンス推進室」の調査結果の発表と、「番組改変問題」が発生した当時の放送総局長・松尾武氏の会見の様子を報道した19日だった。

「調査結果の発表」を「報道した」部分と、松尾会見部分とからなる、この「重大ニュース」の番組構成は異様かつ異常なものだった。トピック導入からすでに「取材内容から大きくわい曲」とテロップをうったうえで、記者会見の映像には、画面上部につねに「政治的圧力はなかった」という小見出しテロップが終始出続けている。「戦争をどう裁くか」シリーズについての簡単な争点紹介ののち、畠山アナウンサーが、「NHKは今日、記者会見を行い、図を使って、番組の制作過程を詳しく説明しました。」と述べるや、映像と音声は、(記者会見の様子の報道ではなく)「それによりますと」というつなぎの言葉をきっかけにして、あらかじめ用意されていた、別の語り手による「ナレーション」と「イメージ映像」に切り替わる。アナウンサーの語りの途中に、記者会見で映されたわけでもない、別撮りされた「説明映像」と「ナレーション」がはめ込まれているのである(※4) 。その箇所では、畠山アナウンサーに似た声による語りだが、おそらくは別人と思われる人物による淡々とした語りが、記者会見で使われた図ではなく、あらかじめ用意された編集室の「イメージ映像」とスライド式テロップとを組み合わせた映像にもとづいて、NHKによる事実経緯の説明を順序立てて説明していくのである。

(※4)2005年1月19日放送、「NHKニュース7」、タイムコード、19:08:12 ~ 19:09:39にほぼ対応
【畠山アナウンサー】
NHKは今日、記者会見を行い、図を使って、番組の制作過程を詳しく説明しました。

【ナレーターの声】
それによりますと、委託を受けた外部の制作会社が取材を行った後、この制作会社による編集作業が始まり、平成13年の1月19日に、教養番組部長に対する1回目の試写が行われ、大幅な手直しの指示がありました。
24日には、同じく、部長に対する2回目の試写が行われましたが、手直しが足りなかったため、編集作業を、NHK側が直接担当することになりました。(以下略)

録画して注意ぶかく聞き直さない限り、視聴者は、はめ込まれた語りを聞かされていることには気づかない。「それによりますと」とアナウンサーの発話を引き継いでいるので、視聴者は畠山アナウンサーが続けて語っているかのように錯覚してしまう。いや、錯覚するように作られているのである。

このような構成は、NHKが記者会見して発表した内容をあらためて映像化して提示するという「説明と説得」ではあっても、会見で発表された内容を「報道する」という「事実報道」としての「ニュースの語り」とは明らかに性質が異なる。その日に行われた記者会見の様子を「報道する」といいながら(じっさいニュース原稿は、「それによりますと」と言っているのだから)、「ニュース報道」とは、明らかに異質な構成が持ち込まれたのである。

そしてこれ以後、「ニュース7」の映像と語りは、会見の様子の報道ではなく、あらかじめ別に用意していた映像と語りによって、NHKの主張を繰り返し強調していくことになる。「ニュース」と「記者会見」とが一体化し、報道としての「ニュース」と、報道が伝えるべき出来事であるはずの「記者会見」の区別がなくなってしまっているのである。映像では「コンプライアンス推進室」の報告書の見解が黄色字テロップで強調されて次々に映し出されNHKの見解が執拗に強調されていく。ニュースが自己主張のプロパガンダの場と化してしまっているのだ。

さらに、このニュースの第二部では、朝日新聞の報道を打ち消す松尾元放送総局長の会見が延々と映し出される(約6分10秒)。しかも、この部分の構成も、「“私の発言とは全く逆の記事”」というテロップを出し、あらかじめ用意された朝日新聞の切り抜き映像と、松尾発言とを、「ジャーン」という効果音まで使って対比させるという、センセーショナルな演出をおこなってNHKの主張の正しさを強調していく構成をとっている。また、松尾会見のなかでは、報道された事実そのものよりも、取材のやり方が扇情的にクローズアップされ(「何回もしつこく」云々)、情緒的な部分が前面に出されている。そして、最後の部分では、定型化されたパターンにしたがって、政治家による否定のコメントが長々と流されることになる。

こうした番組構成のどこに、これが「ニュース」であると言える根拠があるのか。私は一人の研究者として、1月に流されたニュースの番組制作者に一度聞いてみたいと思っている。
ニュース番組のモラルハザード

NHKが、問題となった「番組改変問題」および、マスメディア他社によるその報道について、それが誤りであれば誤りを正し、正確な事実経緯を説明して見解を表明することは、もちろんあってしかるべきである。しかし、そのような「見解」の表明と、「ニュース」という番組ジャンルで出来事を「客観的に伝える」こととは、まったく違う別の事柄であるはずだ。

「見解」の発表は、それがたとえどんなに確実なものと考えられるとしても、「ニュース」で報道されるときには、「三人称」で語られるべき、伝達されるべき出来事なのである。そうでなければ、番組ジャンルとしての「ニュース報道」は成立しなくなってしまう。

もしも「ニュース」が、それぞれの局の一方的な見解表明や、都合のよい事実の断定を行い、局幹部の発言を延々と放送して、記者会見で使用されたわけでもない映像や図を多用して主張を繰り返す機会となってしまったら、それはもはや「ニュース」とはいえない。「ニュース」が、「プロパガンダ」に近づく―そのような「ニュースの死」を、番組改変問題をめぐる本年1月のNHKニュースの番組構成は示したのである。

多くの人たちは、強い違和感を感じながら視聴していたはずだ。なかには、少なからぬ人びとが、これが「いやな時代」の到来でなければいいが、という不吉な恐れさえも抱きつつ、NHKニュースを視、聴いていただろう。

自己弁護に血道をあげるばかりに、NHKは番組づくりという基本中の基本の部分において、「信用」を失ってしまったように私には思える。ニュースとは、公共放送の「命」ではないか。抑制的でニュートラルで、バランスと秩序のある客観的な事実報道。情緒的、感情的な表現は避け、きっちりとした話法にもとづいたアナウンサーの語り―そのような、公共放送のニュースという、戦後積み上げられてきた公共メディアの「信用」が今回、失われたのである。そのことの負の意味を、1月のニュース番組を制作し放送した人たちは、十分に認識しているだろうか。

番組制作に内在的な「モラル」の喪失がそこにはあるのではないのか。あるいはそれは、一部幹部による番組枠の私物化といえるものではないのか。そのような疑念が次々と浮かび、消えようとしない。「番組」に関して失われた「信用」は、職員の不正流用というモラルハザードによって失われた社会的信用よりも、さらに大きなものだと言えるだろう。

2019年5月4日土曜日

「本燃やす人への警戒訴える 『書物の破壊の世界史』フェルナンド・バエス著」書評 『日本経済新聞』2019年5月4日朝刊19面

 「本や図書館に関する 専門書は数あれど、それらの破壊の歴史を綴った書物は存在しない」と著者はいう。その欠落を埋めるべく書かれたまことにコンプリートな書物の破壊の世界史である。
 著者は図書館学者、作家で、べネズエラ国立図書館の元館長。2003年の連合軍のイラク侵攻直後に図書館破壊の調査にバグダッド入りした。そこは古代メソポタミア文明発祥の地。シュメール楔形文字を刻んだ粘土板は人類初の書物で、幾つもの図書館や文書庫が過去に存在した。しかし洪水や王朝の交代、戦争や征服で、書物の文明は書物の破壊の歴史とともに始まったことを考古学調査は教えている。
 古代アッシリアからエジプト、ギリシャへ、中国、ローマ帝国、アラブ世界、ビザンチンへ、書物、文書庫、図書館の破壊の年代記が、古代、中世から今日のデジタル時代まで、これでもかと延々と網羅的に書き連ねられていく。
現存するプラトンやアリストテレスの著作は、実際の著作の一部にすぎず、ギリシャ悲劇の多くは残っていない。中国でも始皇帝が書物を焼き払った「焚書坑儒」はよく知られている。
 古代アレクサンドリア図書館は、プトレマイオス朝が財を注ぎ込み、アルキメデスやユークリッドなど名だたる学者たちを集めて学芸の中心となり、蔵書はパピルス七〇万巻を超えて、ヘレニズム文化の栄華を誇ったが、戦乱と忘却の歴史のなかに消えていった。 
書物の殺戮は、ホロコーストならぬ「ビブリオコースト」と、著者により名づけられ、民族や文化の抹殺行為としての「記憶の殺害」と結びつけられている。
 宗教とりわけキリスト教による異端糾問、異教の排斥は猖獗をきわめ、新大陸征服による宣教師たちのアズテカ・インカ文明の抹消の記述には胸が痛む。
 ナチスのホロコーストが「焚書」の儀式化というビブリオコーストから始まったように、原理主義やヘイトやフェイクが何をもたらすのかに私たちは注意深くあらねばなるまい。
それが、著者が繰り返し引くハイネの警句、「本を燃やす人間は、やがて人間も燃やすようになる」の意味であろう。
一気に通読するにはあまりに重い著作だが、文明とは何か、野蛮とは何かを肝銘すべく座右にとどめたい一冊である。

2019年4月20日土曜日

(再掲)「『夢判断』フロイト」、東京大学出版会『UP』編集部編『ブックガイド 東大教師が新入生にすすめる本』、2012年4月25日刊、276頁、p.51

S. フロイト『夢判断』高橋義孝訳 新潮文庫 上・下 (原著Sigmund FREUD, Die Traumdeutung新訳は、『夢解釈』新宮一成訳、岩波書店刊『フロイト全集』第4巻・第5巻所収 )

 人間若い頃にはに関心があるものである。それは、自分の将来の夢というときの願望のことであったり、空想や想像といったことであったり、より具体的な表現としてイメージ化された作品であったりもする。あるいは、端的に、日常睡眠中に自分が見る夢にも若者は大いに興味を持つものである。そして、人生の始まりにある者にとって、これはとても大切なことであるはずだ。
 夢の解釈に関しては、古代以来幾多の書物が存在する。本書は、フロイトが一九〇〇年という日付を選んで世に送り出した精神分析の誕生の書である。同じ一九〇〇年には現象学の祖フッサールが『論理学研究』の第一巻を刊行し、ソシュールがジュネーヴで音声学や詩法を講義し、プルーストがベルクソンのコレージュ・ド・フランス開講講義に列席していた。世界が新しい世紀を迎えようとするとき、を手がかりに、人間心理や人間文化の成り立ちを読み解く新しい知の枠組みをフロイトは提示したのである。
 二十世紀以後の世界は、それ以前の時代とはまったく異なっている。産業と技術が、夢を加工し生産するようになった。夢は、家族や共同体を離れて、電話やレコードや映画、ラジオやテレビを通じて流通し、大衆無意識を作り出すようになった。ハリウッドの映画やディズニーのアニメ、あるいは、私たちの日常を取り巻く広告や、スターやタレントたちの存在を考えてみるといい。そうしたすべては二十世紀以後の世界における夢の存在を表している。
 あるいは、夢の心理の奥底には、言いようのない不安や暗い衝動が潜んでいて、やがてそれが世界戦争や全体主義を生み出していった。
 『夢判断』は、そうした全ての現代人の夢の原理を解き明かそうとした企てであって、ぼくたちの日常の眠りに訪れる夢を、この世界の存立をめぐる問いへと一直線に結びつけてくれている本なのだ。
                                   

2019年4月18日木曜日

[資料集] 石田英敬×津田大介×東浩紀「脳とメディアが広告と出会うとき」『新記号論』刊行記念イベント第2弾」2018.04.20

石田英敬×津田大介×東浩紀「脳とメディアが広告と出会うときーー
『新記号論』刊行記念イベント第2弾」2018.04.20. 19:00 p.m.開始 

参考資料集 (2019.4.20 6:43 更新)

(以下のリストは、あくまで石田が当日のトークのなかで言及するかもしれないと念頭においている参考資料です。当日のトークは三者の鼎談ですから、かならずしも、これらのすべてに言及するか分かりませんし、これ以外にも言及するものがあるかもしれませんし、また、この順番で言及するかも分かりません。
 そのような性格のリストであることをあらかじめご了承ください。
 また、当日本番まで、さらにこのリストに加えるものが出てくる可能性があり、このリストは随時更新してゆきます。)

第Ⅰ部 「方法の問題」



1       批評プラットフォーム CriticalPlateau

1)「テレビ分析の<知恵の樹>」(石田英敬、西兼志、高畑一路、阿部卓也、中路武士)、『東京大学大学院情報学環紀要』、No.70, 20061月、pp.3-64

2)「批評プラットフォーム<クリティカル・プラトー>」、石田英敬・西兼志・中路武士・谷島貫太 『情報学研究:東京大学大学院情報学環紀要』、No.79, 201011月、pp.1-46

2       ポンピドゥセンターIRI研究所

1)   IRIの研究開発概要

2)   ソフトウエア「タイムライン」 Lignes de temps

3       「ビールの四辺形」

1)   Semiotic square

2)   皆さん、各自、Youtubeなどで ビール、発泡酒、第三のビール、プレミアムビールの2007~2008年ごろのTVCMをご覧になってください。
例えば、松井秀喜が出てくるアサヒスーパードライとか、佐藤浩市が出てくるキリン一番絞りとか、アサヒ極旨とかキリンのどごしとか、サッポロエビスとか、所ジョージのジョッキ生とか、エビス・ザ・ホップとか、アサヒぐびなま とかです。


4 「顔分析」と「情動論的転回」

1)   日本経済新聞 2018/7/18
「私」が奪われる(3AI依存どこまで マネー・信用人生すら

2)   Prattle Micro-Expression Analysis - Powered by Emotics

5      アナログ広告とデジタル広告

1)   TDKビデオテープCM アンディ・ウォーホル
2)   UNIQLO GRID

3)   UNIQLO GRID UNIQLO cm

4)   Sierpinski carpet

6     0.1秒の世界」
1)   日本経済新聞2018.9.3 「あなたの知らない「狙う広告」 0.1秒の世界

https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/chaos-map/


第II部  マーケティングと「心のなかの隠された市場」


1 マーケティング・PR関係の参考文献



1) エドワード・バーネイズ『プロパガンダ』新版  中田安彦訳解説 2010 成甲書房
 分かりやすい翻訳です。しかし、目下絶版ですね。
ならば、原著を読みましょう。
Edward Bernays, Propaganda  Ig Publishing 2004 この本の初版は1928

2) Bernaysの1920年代最初の本は、
Crystallizing Public Opinion Wilder Publications 2019 初版1923 (アマゾン・キンドルあり)

3) 「心のなかの隠された市場 hidden market in personality」が述べられるのは、
Public Relations Norman 1952 (アマゾン・キンドルあり)

4) 「合意工作(engineering of consent)」については、以下からDLできます。
http://www.mcnuttphysics.com/uploads/2/3/6/9/23694535/engineering_of_consent-edward_l_bernays.pdf

5) リップマンで必読は、『世論』岩波文庫 上/下  英語原著は
Public Opinion Dover Publications 2013  初版1922

6) さらに、『幻の公衆』柏書房 2007

7) バーネイズ探訪記をふくむPRについての研究は以下が基本文献のひとつ。
スチュアート・ユーウェン『PR!―世論操作の社会史』法政大学出版 2003

8) PRの学術的研究として本格的な研究は以下が決定的の本。高いですがお薦めです。(お金のないひとは大学や図書館で閲覧してください)
河炅珍 『パブリック・リレーションズの歴史社会学――アメリカと日本における〈企業自我〉の構築』岩波書店 2017

2  TV番組


1) バーネイズの役割が強く認識されるようになった2002年放送のBBCの番組が、
The Century of the Self 全四回 Youtubeで見られます。

https://www.youtube.com/watch?v=DnPmg0R1M04
 https://www.youtube.com/watch?v=fEsPOt8MG7E&frags=pl%2Cwn
 https://www.youtube.com/watch?v=ub2LB2MaGoM&frags=pl%2Cwn
 https://www.youtube.com/watch?v=VouaAz5mQAs&frags=pl%2Cwn

2) リップマン、バーネイズに始まる知識人によるManufacturing of the consentを批判しているのがチョムスキーで
https://www.youtube.com/watch?v=7ddVmKS3AOo&frags=pl%2Cwn
これに対応する書籍が
Edward S. Herman , Noam Chomsky Manufacturing Consent: The Political Economy of the Mass Media Pantheon; Reprint版 (2002/

 

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