2006年7月1日土曜日

「テレビ国家(2): 公共空間の変容について」、『世界』、岩波書店、No.754, 2006年7月号, pp. 138-146

テレビ国家 (2) 

 公共空間の変容について 

           
 前回は「テレビ国家」をめぐる政治権力の変容の全般的問題系を描き出してみた。今回は「記号のレジーム」としての「テレビ国家」を支えるメディア基盤とはどのようなものなのか、「テレビ的コミュニケーション圏」の成立による「公共空間の変容」を考えてみることにしよう。テレビ国家とは、テレビを中心としたメディアが編成されたコミュニケーション圏に依拠して成り立つ統治だとすれば、政治はテレビのどのような作用に支配の基礎を見いだそうとしているのか、人びとがそのような政治への支持を与える機制は何か、テレビの論理が明らかにされるべきである。

1.「政治的身体」のゆくえ

 9月の総選挙での圧勝の余韻さめやらぬ20051017日午前にコイズミが行った五回目の靖国神社参拝は「テレビ国家」の「政治的身体」の曖昧さをさらけ出すことになった。過去4年にわたって強行された参拝では、礼服や羽織袴で昇殿し「内閣総理大臣」と記帳し、あたかも「公的な身体」としての参拝が演じられていた。それらの公的なしるしを次々と脱ぎ捨てることに辿りついた「私的な身体」のパフォーマンスである。わずか10分あまり(?)の出来事は上空からもヘリコプターで同時中継され背広のポケットから賽銭を投げ入れるあまりに散文的ともいえる姿に、折から朝の時間帯の情報バラエティー番組のコメンテータたちは、それが一国の首相の「公的な身体」なのか、それとも一市民としての「私的な身体」なのか、その意図についてその意味についてあるいはこの出来事が引き起こすことになる外交的影響についてとコメントを加えていった。
 しかし、テレビ画面にただひたすら曖昧に<現前>したこの身体こそ、まさしく、テレビ国家の<政治の身体>というべきものではないのか。完全に私的ともいえないが、公的なものの下に自らを消そうとはしない身体、しかし、自らの曖昧さと戯れることによって、人びとの身近にもまた遠くにもイメージとして存在している、このスキャンダラスな身体…
 カントローヴィチのいう中世の「王の二つの身体」にまでさかのぼるにせよ、あるいはストア派の「統治する者は二つの身体を持つ」を思い返すにせよ、近代の書記国家の立憲主義においてより散文的に「役職」と「人」との区別として捉え返された、「公人」と「私人」との区別は政治を行うものにとって基本中の基本だろう。君主であれ大統領であれ首相であれ、「政治」をおこなうのは「公的な身体」である。首相は政治代議制をとおして「国家統治」をおこなう「代表制」の約束によって「公的な身体」を手に入れた存在である。
 しかし、テレビ時代になると政治家の「私的な身体」が、人びととのメディア的「接触」による「誘惑」をとおして「政治」を始めるようになる。政治家はむしろメディアに露出することで、メディア化した「私的な身体」を起点にして「政治の身体」を演じてみせる。テレビをとおして、「私的」なものがメディアに「露出」され、それがひとびとと感覚的に触れ合っていく。「気持ち」のコミュニケーションが成立するようになるのである。つまり、テレビ国家においては、メディア化した政治家の「私的な身体」の方が、国民の代表としての「公的な身体」をバイパスして「政治の身体」を構成するものであるかのようなのである。
 しかし、テレビ国家の首相が、そのメディア化した身体を「私的」と自称して、大日本帝国の「戦争の記憶碑」の前に政治家が姿を現すことになるとすればどうなるか。 「権力者」の「私的な身体」がその回路を使うとき、「公的な身体」を統御していたはずの立憲主義はなし崩しにされ、しかもいわゆる「私的な身体」はやがて捩れたかたちで「公」へと反転する契機を秘めることになる。じっさい、その後コイズミが持ち出した議論は、「心の問題」、憲法19条にいう「思想・良心の自由」、「精神の自由」という「私」の論理である。そこに垣間見えるのは、宗教心や民族的記憶に関わる「共同体的な価値」にまつわる自身の身ぶりを「私的」なもの「心の問題」へといちど収斂させたうえで、メディアに露出した「私的な身体」をとおして増幅するという新しいタイプの共同体主義であるともとれる。これを「メディア型プロテスタンティズム」と呼ぶこともできるかもしれない。「国家的価値」をいちど「私的信条」として「民営化」し、メディアによる「私的身体」の演出を通じて逆に、国家の権威を共同体主義的にプロモートしていく、ある種の「ナショナリズムの民営化」である。ネオリベラリズムとネオコンサーヴァティズムの連動はこのようなところにも見られるのだ。しかも、コイズミにあっては、「心の自由」をあげて、「知識人や言論人」を論難するという典型的にポピュリズム的な言動もそれは伴っている。
 公権力を縛る「憲法」に依拠して「公的な身体」が自らを解き放とうとするとき、憲法学者の樋口陽一が述べるように「立憲主義」のパラドキシカルな「反転」へといたる、なし崩し的な「私」の「公化」が引き起こされているのである。
 しかし、なぜこのような複雑で逆説的なオペレーションが行われているのかといえば、「私的な身体」の「現前」こそが自己の公的な現前の元手となるという「テレビ国家」の倒錯が関与しているからではないのか。「私的な」ものを露出し、人びととの共同性の交感を「私の身体」をとおして「情緒的・情動的なもの」へと収斂していくメディア政治の論理がそこには関与しているように思えるのだ。そのことによってどれだけ「政治」が「漂流」しているかは、外交問題をみれば明らかだろう。テレビ国家の「政治的身体」が、「私」を起点に、共同体主義を増幅し、立憲主義をなし崩しにし、「国家」の外交までをも危機に陥れる回路がそこには見えてくるのである。
 ちなみに同じようなメディアにおける「私的なもの」の現前を管理することによって、「私的なもの」にもとづく共同体主義をプロモートする姿勢がテレビ国家の政治家たちには共通している。ブッシュの福音原理主義には濃厚にその要素が見られるし、ブレアの家庭主義の演出や、ベルルスコーニやサルコジ(逆効果ではあったが)の私生活露出にも見てとれるだろう。

2. テレビ的コミュニケーション圏

 テレビ国家の<政治の身体>が成立するためには、それに対応するテレビ的な「公共空間」がなければならない。「テレビ的コミュニケーション圏」のなかに、テレビ政治が成立するための帯域がすでに出来上がっていなければならない。テレビ政治とは、いうまでもなくテレビが創り出しているコミュニケーション圏に適応するかたちで生み出された統治というべきだからだ。
 しかし、「公共空間」をめぐる論議においては、テレビ的コミュニケーション圏がそれとどのような関係をつくるのかについては議論がつづいている。
 本稿では、暫定的に、活字文化が生み出した理念型としての「公共空間」を相対化する傾向にある「記号のコミュニケーション圏」として、「テレビ的コミュニケーション圏」を想定することにしよう。このコミュニケーション圏は、ハーバーマスがいうような近代的民主主義をもたらした啓蒙の「公共空間」と重複する部分があるとはいえ、あきらかに異なった成り立ちをもちことなって原理に従うものではないのか、それゆえに私たちのデモクラシーの変質が起こってきていると考えるべきなのではないのか、というのがここでの問いの動機である。
 テレビが生み出したのは「親密圏」の近くに、人びとが自らの生活世界の外に出ることなく社会的コミュニケーションを享受できる疑似的な「私的空間」である。
 私たちの生活世界には、テレビ受像機から、音響・音楽や文字テロップ、声や顔、無数の眼差しや、イメージやことば、さまざまなイメージといった無数の記号が、感覚的刺激の帯域から高度に抽象的なシンボルの領域にいたるまで刻々と流れ込んでいる。ザッピングされ断片的なままに、日常生活の所作のあいまに「ながら視聴」されるテレビは、書記文化のリニアーな論理や理性的な議論の法則にしたがうとはかぎらない。
 だからといって、テレビ的コミュニケーション自体が理性を欠いていたり、ポピュリズムへと必ず導くわけでは決してない。テレビは活字メディアに比して、飛躍的に大きな記号の帯域をつかって、人間の知覚や想像、推論や思考を組織することができる豊かなメディアなのである。多くの場合、視聴率の圧力のもとで、理性的なものに対する感覚的なものの優位、内容よりは関係性を、スペクタクルや情緒的なものの優位が、具体的な社会的使用のなかで際だつことようになることも事実だが….
 現在の各国のテレビは、記号学者のウンベルト・エーコが言う「ネオ・テレビ」期のテレビであるといわれる。エーコは有名な論考「失われた透明性」で、民営化後の「ネオ・テレビの時代」のテレビは、コンタクト・コミュニケーションが前景化し、テレビが世界を伝えるのではなく、テレビ自身を語るようになったと述べていた。テレビは外部世界を語るのではなく、自己自身を語るのであり、また出来事をつくりだすリアリティ・ショーなどの番組ジャンルを生み出すことになった。
 じっさい、テレビが引き起こしたのは、スタジオの「いま・ここ・私たち」を起点とした公共空間の再編である。テレビにおいてはキャスターやタレントが個別の「顔」を起点に個別の「私的」位置から私的空間の「あなた」に向かってチャンネル(接触)を打ち立てるべく話しかけている。他方、スタジオの「いま・ここ・私たち」の向う側には、三人称の出来事の世界がひろがっている。テレビ的媒介項として、画面をとおして接触しているキャスターやタレントという媒介者が、このコミュニケーション世界においては重要な存在となる。同時的な社会的コミュニケーションをとおして、世界の出来事との媒介者の機能を彼らが担うことになるからである。テレビ文化における媒介者の役割は、書記文化における「作者」とおなじぐらい重要なものだといえば分かりやすいかもしれない。
 そして、テレビ受像機は現代の日常生活の奥深く入り込んでいる。「親密圏」の私的空間のなかに、時間的・空間的に埋め込まれ、人びとの生活のなかで世界へと通じる「窓」、「世界」をフレーミング(枠嵌め)している 
 このような媒介のシステムとしてテレビ的コミュニケーション圏は現れるのだが、問題は、親密圏や消費空間との隣接である。スタジオと「接触」しているコミュニケーションにおいて、キャスターが「話し言葉」で、「世界」の出来事を伝える報道番組を考えてみよう。「出来事」はスタジオでの語りの話題(トピック)へと変えられる。出来事を「分かりやすく」紹介しようとすれば、その分だけ、「話題」は、単純化をうけステレオタイプ化し、「情報」としての内容実質を下げていく。視聴者の注意を引きつけるためにワイドショー的な語りや効果音が使われるようになる。「私」が「いま・あなた」に対して語りかけているのですよ、という「語りかけ」(交話機能)が前景化し、何が語られているのかその内容は退いていくようになる。また「話題」(トピック)を提示する働きが前景化され、その話題について「何が語られるか」は後回しされる。話題はまた視聴者の心的努力を必要としないように、単純化、ステレオタイプ化されたものや身近なものに限られていく傾向が生まれる。そのようにして、「話題」として屈折されて世界の出来事は「親密圏」に次々と送り込まれているのである。
 ネオ・テレビにおけるテレビの一般的傾向は、日本のテレビにおいてもまた外国においても、「ジャンルミックス」や「バラエティー化」と呼ばれている現象である。スタジオの「いま・ここ・私たち」を中心に組織されるテレビ的コミュニケーションは、どのような番組ジャンルも放置すれば「バラエティー化」への傾向を強めることになる。バラエティーこそ、スタジオの「いま・ここ・私たち」に焦点を当てて、そこを起点に即興的に組織される、しかも経済的にも安上がりのコミュニケーションだからだ。そして、そこから、リアリティ・ショーなども生み出されるようになる。
 このようなテレビ的コミュニケーション圏において、公共空間はどのような変形を被ってきただろうか。テレビの媒介空間においては、つねに同時的に画面に現前している媒介者をとおしてしか世界に触れることができない。したがって、発話の内容よりは発話の行為方が前景化される傾向が生まれ、テレビコミュニケーションにおいて現前しているパーソナリティこそが有意な存在と見なされる。世界の出来事はトピックとして提示され、視聴者とチャンネルを作る交話能力をもち、トピックをコントロールすることができる媒介者こそがカリスマをもつことになる。そして、このコミュニケーション空間に参入するには、話題の中心を占めることが効果的であり、そこから自己をテレビ的「媒介者」として押し出すことができる社会的アクターこそが能動的媒介者としての位置を占めていくことになる。

3.討議空間の変容

 公共空間とはそもそも公開的に議論する空間であったはずだ。テレビがテレビ化するにつれて、政治を議論する空間はどのように変化しただろうか。
 どの国においても、テレビと政治との関係はテレビ放送の開始と同じほど古く最近に始まるわけではない。しかし、日本のテレビにおいて、現在のテレビ国家の問題につながる政治とテレビとの関係が生まれるのは1980年代半ば以降である。久米宏の「ニュースステーション」の放送開始が1985年、田原総一朗の「朝まで生テレビ」が、1987年、同じく「サンデープロジェクト」が1989年である。
 注目すべきなのは、この時期が歴史的には社会主義体制の崩壊と冷戦の終わり、日本国内においては55年体制の終焉と政界再編の時期に当たり、政治世界の変容と報道番組や討論番組の成立が同時に進行したことである。テレビと政治との新しい関係がこの時期成立し、現在のテレビ国家の現象は、この時代に淵源していると考えられる。
 本稿は個々の番組についての検討や評価を加える場面ではないが、「ニュースステーション」は、総合的な発話の構成によって、新聞とテレビ言語との新しいコンビネーションをつくりだした。テレビ的話しことばと、ジャーナリズムの言語との分節化、「批判的」ポジッショニングを「TV語り」をとおして実現する「語り」の文法を生み出した。また「映像」と「語り」の組み合わせによって、「批判的」ジャーナリズムの話法を創り出したり、コメンテータとキャスターの分節化、久米キャスターの、ワンフレーズコメントによる批判的位置どりなど、テレビ的コミュニケーションとジャーナリズムとの新たな組み合わせによる「報道番組」のフォーマットを創り出した。また「椿発言」問題にみられるように、テレビ報道することが政治的現実そのものを変える働きをもつことが認識されたことも重要である。テレビという媒介システムは、政治的現実を変化させたり創り出したりする、コミュニケーション理論がいう「行為遂行的」側面をもつことが明らかになったのである。
 田原の討論番組「朝まで生テレビ」および報道番組「サンデープロジェクト」は、テレビと政治および論壇との関係に大きな変化を引き起こした。「田原的なもの」とは、このTVジャーナリストが取材対象に働きかけ出来事(ハプニング)を引き起こすことを厭わない介入型ドキュメンタリーのディレクターから出発したことが示しているように、リアリティー・ショー的想像力を核にもったテレビと政治との関係の創出である。じっさい、田原の特徴は司会者の「介入」である。相手の発言を途中で遮り、歯に衣着せぬ「突っ込み」によって自分が設定したトピック配置へと議論を強引に引き込む談話管理のテクニック、「僕はそうじゃないと思う」など司会者が私見を差し挟むことによって文脈管理を徹底するやり方、挑発的な物言いなどによって、田原の番組は、「政局はスタジオがつくる」などという文句が示しているように、政治討論番組がリアリティー・ショーのように「政治的イベントをつくる」ことに成功してきた。
 あるいは長時間の討議アリーナ「朝まで生テレビ」においては、田原のいう「タブーとされていたテーマ」への挑戦、司会者の田原による「介入型」のトピック文脈管理によって、オピニオン配置の変容を引き起こしてきたといえるだろう。「論客」と称する人びとがテレビにおける「顔」をもって登場するようになる。さらに、論点の「対決」を軸に編成をとることは極論の参入を誘発する。冷戦後の「イデオロギーの終焉」状況にあって、田原の番組が、多くはグーテンベルグ型活字人間である左翼勢力や知識人の退場を準備し、政治的な討議アリーナを、「フォーラム」型ではなく、「闘技場」型へと変容させることに作用したことは特記されてよい。当然のことだが、「討議」や「討論」は行えばよいというものではない。どのような論議フォーマットでそれを行うかが重要なのである。「論理もワンオブゼム」(田原)というテレビ討論においては、「討議空間」が、「討議」型から「闘技」型へと横滑りする危険はつねにある。「発話内容」よりは「発話行為」の方に重きがおかれるテレビ討議にあっては、スタジオの「いま・ここ」において「対決」できる「キャラ」が「説得力」をもち、「観念」や「主義」や「原則」といった「三人称」で書きうる「非人称的」な観念の討議から、「顔」をもった個人による即興的な説得へという重心移動が確実に起こってきたのである。
 「TVタックル」のような、あからさまにポピュリズム的な討論番組的バラエティを見ればテレビ的討論のアリーナの変容はさらに顕著になる。理念からいえば、政治討議が「スポーツ合戦」や「バラエティー」トークショーと同じフォーマットで行われてよいはずはない。公共空間の討議が、テレビ・バラエティー化によってどれほどカリカチュアされうるものかをそれは示している。

4.政治マーケティング化される「公共空間」

 1990年代に進行したのが、テレビがネオ・テレビ的ジャンルとして政治を取り込み、政治に働きかける時代であったとするなら、2000年代には現実の政治の側が「メディア戦略」を政治アジャンダに組み込む時代がやってきた。2005年9月11日に頂点を迎えるコイズミ政治はこの面では画期的であったといえる。
 テレビ的アリーナは、有力政治家たちによってすでに「サンデープロジェクト」はアジェンダ(政策課題)の発表やサウンドバイトの場として位置づいている。そして、新聞その他のジャーナリズムもまたそのような場として活用している。それは「サンプロ」が「テレビ国家」のひとつの制度としてすでに機能していることを示している。
「朝生」もまた、あたかも、政治的オピニオンを「決する」アリーナであるかのごとく位置づけられている。
TVタックル」というポピュリズム・ショーも若手の政治家や論客たちの「登竜門」となっている。このように、テレビ番組自体が、テレビ国家の「オルガノン(機関)」となっているのである。ひと時代前の官製報道のための「機関」というわけでは決してないが、現実政治とテレビとの間の、アジャンダとトピックとのネゴシエーションの場として機能している。
 テレビ界と政治界との人的な融合現象も他の国では指摘されている。アメリカのフォックステレビ・キャスターの報道官就任、テレビ界自体をまるごと支配することによって大量に自己宣伝ビデオを配布したベルルスコーニのようになど、テレビ界と政治界との実態的なフュージョンはすでに存在している。フランスでは、各局のメインのニュース番組の有名キャスターがこぞって大物政治家や大臣と結婚する事例が相次いで問題となっている。日本でも、石原の息子がキャスターをしていたり、コイズミの息子が俳優になったりというケースもある。「テレビ国家」のノメンクラトゥーラ化が現実においても進行していると見るべきなのだろうか。そこには、「テレビ」と「政治」がフュージョンを起こすという事態が待ち受けているのかもしれない。
 テレビの番組編成においても、政治家が登場する番組がヴァリエーションを増し、ジャンル化する傾向さえも見せている。あらゆるカテゴリのテレビ番組をとおして遍在は「ベルルスコーニ」の悪夢が有名だが、みのもんたの「朝ズバ」であれ、香取慎吾のトークショーであれ、バラエティであれ、さんまの「エンタメ」であれ、政治家たちはいまやあらゆる番組ジャンルに進出しているのである。
 他方、ディジタル化するテレビという「ポスト・テレビ」時代の到来にともなう変化もある。進行しつつあるテレビのディジタル化、テレビとネットの融合の動きのなかで、同時放送のマスメディアとしてのテレビは、「現前」のメディアとして自己を特化していくことになると予想される。同時ライブ性、放送性、コンタクト性の部分を、テレビが占めることになるだろう。「フローなメディア」としてのテレビ、「ストック型メディア」としてのITという役割分担が進むと考えられるのである。
 このとき、マス・メディアとしてテレビへの「露出」は、政治家たちのメディアにおける「現前」にとって、極めて重要な掛け金となるである。政党や政治家たちのメディア戦略が、テレビへの現前を「出口」として、組み上げられていくことになるだろう。すでに政府・与党では、内閣のメールマガジンに始まり、政府インターネットテレビの設立、政治家たちのブログが増殖するなど、選挙のインターネット解禁をにらんだ動きが進行している。このような動きのなかでも、テレビへの露出の管理は重要なポイントとなるはずである。挫折したとはいえ、コイズミと武部、竹中という「メディア戦略」派のなかで位置づけられていた、「ホリエモン」の活用法が何であったのかを思い出す必要がある。ホリエモンは、テレビにおける「キャラ」であると同時に、IT戦略の要、ブログ・ジャーナリズムの提唱者でもあったのだから。

 テレビがマス・メディアにおける露出の出口であるとすれば、ITを駆使して視聴者に対してきめ細かなメッセージを送ったり、ナローキャスティングの手法によって、クラスター化した人びとにピンポイントで情報を出していくというようなことが進行するだろう。500万人を超えてひろがるブロガーたちのオピニオンをデータ・マイニングしてオピニオン分析をおこなったり、「政治マーケティング」技術を使ってによって政治家たちのテレビにおける「現前」を「管理」していく手法がとられることになる。そのようにして「公共空間」が政治マーケティング化され時代はすでにそこまで来ているといえる。「テレビ国家」は、「書記国家」を「壊す」ことによって立ち上がったが、「ネットワーク社会」のなかに、「現前の体制」を埋め込み自己を構造化することによって、さらなる進化を遂げることになるのかもしれない。

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