2012年1月31日火曜日

« Qu’est-ce que les Lumières ? : sur l’éthos d’un intellectuel universel », in Katô Shûichi ou penser la diversité culturelle, sous la direction de Jean-François Sabouret, CNRS Editions, janvier Paris 2012, 114 p.

「啓蒙とは何か?:普遍的知識人のエートスについて」
Qu’est-ce que les Lumières ? sur l’êthos d’un intellectuel universel
 石田英敬(東京大学)

1「啓蒙」のエートス
 まず私の発表のタイトルから説明したいと思います。
「啓蒙とは何か?」は周知のようにカントの有名なテクストであり、晩年のミシェル・フーコーがそこから出発して「近代性(モデルニテ)」に関する有名な講演を行ったテクストでもあります。
 このような二重の参照のもとに加藤周一についてお話をすることには理由があります。私は、加藤周一が、丸山真男とともに(あるいは、さらに鶴見俊輔のような幾人かの希有な同世代の大思想家とともに)、二十世紀後半以降の現代日本において、福澤諭吉や中江兆民など明治以降の日本の近代を生み出した「啓蒙」の系譜を引き継ぐ思想家であると考えているからです。
 その「啓蒙」とは、ひとつの「近代的な態度attitude moderne」に根ざすものであって、思考におけるその「態度」こそが、加藤を、「普遍的知識人」にしたものだということを、これからお話しようと思うのです。
 加藤は現代日本の最大の百科事典『世界大百科事典』の編集長でした。彼はまた丸山真男とともに、福澤諭吉に始まる日本の「啓蒙」の最大の理解者であり、近代の「人間の権利」や民主主義、知識人の責任といった、根本的な価値を擁護した点において、まさしく「啓蒙」の正統な継承者であったといえるでしょう。
 私が注目したいのは、「思想」や「体系」の手前において、「思想の可能性の条件」自体を形づくる「思考の態度 attitude dans la pensée」です。「エートス」というヴェーバー=フーコーの用語を私が使用することの理由はそこにあります。といいますのも「普遍」とは、近代以降(すなわちカント以降)においては、まさに、この「態度」と切り離せない「価値」のことであると私は考えるからなのです。
 時間が限られていますから、哲学的議論を振り返ることはできないのですが、カントがその「啓蒙とは何か?」で、「啓蒙」とは「未成年状態からの脱出 sortie de l’état de minorité」であり、「敢えて知れ(Aude saper)」を標語として「人類がついに自分自身の理性の行使をするモーメント le moment dans lequel l’humanité enfin parvient à excercer sa propre raison」であると捉えていたこと、それを受けてフーコーは、「啓蒙」の「哲学的エートス」とは「極限に立つ態度 attitude-limite」であり、「理性の普遍的で自由で公的な使用 l’usage universel, libre et public de la raison」が成り立った瞬間にこそ「啓蒙」はあるのだ、と述べていたことを指摘しておきましょう。
 お話したいのは、「西洋的な普遍」や「東洋的な普遍」、あるいは「超歴史的な普遍」が存在するのではなく、むしろ、人々を捉えている文化的価値の体系の外に出て、理性の自律的で自由な行使を果たしえたとき、すなわち「理性の公共的な行使」を行いえたときにのみ、「普遍」は成立するものであるという、歴史的な経験のことなのです。
 
2 「評論家」という「精神の自立」
 さて、そこで「加藤周一」という「精神の態度 attitude de l’esprit」が、どのように生み出されたのかを少し考えてみようと思います。
 自伝「羊の歌」第二巻に、「格物致知kakubutsu chi chi」と名打たれた最後の章のひとつで、医学の専門家であることに終始符をうち、「非専門化の専門家になろうと志した」と述べられています。「普遍的知識人」の「志(エートス)」が決定された時期のことを書いていると思われる。
 「格物致知」という朱子学の用語からとった章題自体が、非常に意味深い。朱子の「大学」(Tseng-Tseu La Grande Etude)のなかの標語ですが、作者にとってのあらゆる中心的な主題が込められている。「物の道理を窮め、判断力をたかめる」ことが、「理想の政治の基本条件」である朱子の命題は、まさに「啓蒙とは何か?」のカントと同じ標語であるといってもよい。
 さて、これ以後、加藤は職業的には日本では「評論家」と呼ばれるような文化的存在になるわけですが、この「評論家」という語を加藤の場合にはおそらく積極的な意味で捉え返す必要があると思います。「非専門化の専門家」というが実際の社会的存在としては「評論家」という姿で現れる。しかし、カント的な意味で、「critiqueによって立つ人」、フーコーが「極限に立つ人」と言うのと同じ意味で、文化の極限に立つ人、領域の極限に立つ人の活動が生まれたのだろうと考えてみることはできるはずです。
 
3 『日本文化における時間と空間』をどう読むか?
 さて、このセッションのテーマである『日本文化における時間と空間』という著作をどう読むのかというテーマに移りたいと思います。
  なぜ、90歳に近づこうとする最晩年の巨大な「評論家」が、このようないわば太い「巨匠の筆致」で要点を書き下したような、書物(「私が日本思想史についてきたことの要約」と著者は「あとがき」で述べています)を書くことになったのか、という「精神の軌跡」に関わる考察です。
 加藤の著作を読んできた読者であれば、ここには、1955年の論考「日本文化の雑種性」以後の加藤の思考のエッセンスが述べられていることを容易にみとめるでしょう。
 また『日本文学史序説』の読者であれば、あの大著(それを私は西洋におけるアウエルバッハの『ミメーシス』(Auerbach Mimésis)に比較しうる「文学の文明論」の書であると考えていますが)に述べられていた方法が維持され発展させられていることを読み取るでしょう。
 短い報告ですので、私は幾つかの特徴に注目して、この書物に述べられている加藤の思考の「態度」を描いてみたいと思います。
1) 「近代的定立(position moderne)」の態度:
 加藤の論述がつねにそうであったように、この著作においても、「類型」、「表現」、「行動様式」という展開が示しているように、明快な論理的枠組みを設定して「時間」および「空間」について論を立てている。このような組み立ては、加藤においては、比較文化論的な考察の場を設定するための「論理的枠組み」の「定立」の手続きである。丸山においても典型的ですが、「近代の啓蒙家」の思考に必ず現れるこの「定立」の手続き、それを私は「近代的定立」と名付けようと思います。
 加藤はこの「近代的定立」を「普遍の問い」を立てるための初発的身振りにしている。
 文体論は今日は詳しく扱えない問題ですが、加藤がこの著作においても(先行例は、『日本文学史序説』ですが)日本語の「シンタックス」の問題、つぎに日本語の時制という「アスペクトの問題」と、この啓蒙家の文体による「近代的定立」の問題を重ねてみると面白いことが分かると思います。
 日本語における「語順」の問題を、いわば捉え返すかたちで、加藤の「問題の定立」はつねに「ジェネラルな問い」から説き起こされます。いわば可能な限り「普遍」的な視点を確保するための「思考の文体」なのです。

 2) 「翻訳」の態度:
  加藤は、これもまた丸山と並んで、漢字文化(la culture de lettres chinoises)の記憶がまだ生きていた最後の知識人の世代であると思います。これもまた日本の「啓蒙」の特徴といえる。「近代の定立」と今し方名付けたジェネラルな問題の提起のあと、加藤の文明論的考察は、つねに、西洋と東洋(とくに漢字文化)との間の境界に立とうとします。「問題系」自体を、西洋の用語と東洋(中国)の用語とに相互翻訳しつつ、「日本文化」の「雑種性」を解き明かそうとするという思考の態度です。
 強調しておきたいのは、これは明確に日本特殊論からもナショナリズムからも遠い立場であることです。加藤の論は、文化の本質論ではなく、できる限りの知識をあつめて、おおよそこのように考えられるのではないかという、今の用語でいえば「間文化的考察 réflexions interculturelles」に終始していることに注目すべきです。(最初期の「日本文化の雑種性」以来加藤は一貫して、ナショナリスティックかつナルシシックな日本文化論に厳しい批判を加えてきていました)。「翻訳の近代」という丸山と加藤との対談録がありますが、加藤は丸山とともに文化「翻訳」としての「啓蒙」の系譜のなかから、日本文化を問い直すという姿勢を一貫した方法とした人であったといえるのです。

3) 人文学的態度 (attitude humaniste)
 上記の「翻訳」的態度と切り離せないのですが、加藤の特徴はなんといってもその「博学」です。西洋、中国、日本のあらゆる学識を網羅したその「百科全書」的と呼んでよい博学にもとづいて、「普遍的な視座」から、日本文化の位置を定めようと企てた大知識人でした。彼が、現代日本の最大の百科事典である平凡社「世界大百科事典」の編集責任者を務めたことが、加藤の現代の「百科全書」派としての位置を如実に表しています。「非専門化の専門家」は、現代では(少なくとも私たちの国では)珍しくなった、稀に見る「博識」の力によって、「普遍的」視点からの「総合」を行う人であったといえるのです。
 あるいはまた、「文学」の役割に注目してもよいでしょう。『日本文学史序説』に述べられたように、日本においては「文学」および「造形芸術」が文化における「思想の表現」であるとした、加藤の立場は、かれの文明論を基本的に「文献学的」かつ「人文学」的な性格のものとしています。じっさい、『日本文化における時間と空間』においても、文学、建築、住居などに与えられている、説明的位置をみればそれは明らかです。

4) 倫理的態度(attitude éthique)
 加藤は、政治的な意味でも、「大知識人」(おそらく「最後」の)でした。彼は、フランスでいえば「アンガージュマン」を回避しなかった。この著作でも文明論的な言明から、政治や外交や戦争の今日的問題へと議論が一般化される箇所が随所にみられる。文化の「類型」から「表現」へ、そして、「行動様式」へという著作の展開の論理は、「時間」と「空間」にもとづく認識論的な「批判」から、表現をめぐる「判断力」の批判へ、さらに、「行動」の批判へという、「実践的な批判」への移行の手続きを示しているようにも見える。
 そこに、やはり、近代的知識人における「行動」の問題が影を落としているのを私たちは認めないわけにはいかない。「個」や「個人」の自立の問題です。カントであれば「未成年状態からの脱出(sortie de l’état de minorité)」といったかもしれない「理性の公的な行使」の問題です。思考において「自律的な個人(individu autonome)」へと脱出する態度は、必然的に「他律的な集団 (groupes hétéronomes)」からの離脱を意味している。そのような意味で、漱石以来の近代的知識人の運命を形作ってきたテーマです。
 加藤の「政治的アンガージュマン」は、彼自身の「教養」による自己形成、すなわち「啓蒙のエートス」に根ざしているといえるのです。
 
4 「文化」における「時間」と「空間」
 おそらく、皆さんのなかには、この著作を、そのような加藤の生の軌跡、彼の精神の態度(エートス)として読むのではなく、むしろ、日本文化の特徴および特性を読み取り、その文化を理解する手がかりとして紐解こうという方も多くいらっしゃると思います。
 もちろん、それはもっともなことなのですが、私はこの本をむしろ加藤における「文化間の問い」のなかに位置づけて読む方向についてお話してきたつもりです。
 「時間と空間」は、人類にとってももっとも「普遍的な」所与であると、一応はいえる。カントのいう経験のアプリオリな形式です。しかし、それをどのようなカテゴリで捉えるかとなると、すぐさま私たちは極めて困難な問題に直面することになります。

 「時間」も「空間」も「経験」のアプリオリな形式であると言えば、それらは「普遍」概念であるといえる。しかし、時を指すために「時間」の語が、経験の起こる拡がりを指すために「空間」の語が、私たちの国で使用されるようになったのは、じつはとても最近のことなのです。「time」と「space」の語を訳すために1880年頃に作り出されたに過ぎないからです。中国においてはさらに最近です。
 このことを指摘しているフランスの現代哲学者もいて、中国における「時間」について彼が書いた書物のなかで、フランソワ・ジュリアン(François Jullien)は、そのように発明された用語が、その後、中国語に取り入れられ「shijian(時間)」の語が中国で使用されるようになるのは1908年を最初とすると記しています。
 『翻訳の近代』の共著者の加藤のことですから、日本および中国における「時間」と「空間」の「近代的発明」については、熟知していたに違いないのです。
  ニュートン以後の物理学にとっては、どれほど自明で普遍的でアプリオリな経験の形式であったとしても、時間も空間も「文化的カテゴリ」としては、文化間の「翻訳」を通してしてのみ初めて「比較のテーブル table des comparaisons」に載せることができる。文化の相互理解のための「可能性の条件 condition de possibilité」がうまれたものである、ということ。このことが重要だと思えるのです。
 そのような文化によるカテゴリ化の差異にもかかわらず、翻訳をおこない、比較し、対話することによって、文化間の再カテゴリ化(recatégorisaton) をおこない、批判的考察の幅を広げていくことができる。加藤のような博識家の仕事とは、そのような「雑種化」をとおした「普遍化」の仕事、それこそがまさに「啓蒙」にふさわしい、私たちの世界の「未成年状態から脱出」の仕事であったと思うのです。

パリ日本文化会館シンポジウム 
La Table ronde internationale à la Maison de la culture du Japon à Paris 
« Katô Shûichi ou Penser la diversité culturelle »
Grande salle, le 12 décembre 2009, de 14h30 à 19h 00 
organisée par la Maison de la culture du Japon et le Réseau Asie-Imasie (FMSH-CNRS)


2012年1月16日月曜日

「ハッシズムはもう止まらない!?」『月刊社会民主』2012年1月号

「ハッシズム」はもう止まらない!?

橋下徹現象はもはや現象では収まらない実質的「政治勢力」となりつつある。
この「ハッシズム」を勢いづけた、最大の原因と最大の責任は、本機関誌の発
行元である日本社会民主党をふくむ既成政党にある。各政党はまずこの現実を
直視すべきだ。
2009 年の政権交代以後、いやそれ以前から、この国の政党政治はいったい何を
してきただろうか。社会が大きな困難に直面しているのに既成政党の政治家た
ちはどのような行動をとってきただろうか。鳩山内閣から菅内閣へそして野田
内閣へ、2 年半のうちに三回も首相が交代し、マニフェストに述べられていた公
約も紙クズ同然となった。マイナー政党の社民党もまた、連立政権に参加した
かと思えば、実質のある仕事もきちんとした総括もしないうちに1 年足らずで
政権を離脱し現実性のないご都合主義でふらふらと無原則に振る舞ってきた。
「政権交代」で、政治の刷新が起こるかもしれないという国民のはかない期待
はみるみるうちにしぼみ、人びと無力感と空しさだけが残ることになった。そ
の間にも、日本をとりまく世界情勢は政治的にも経済的にも険しさを増し、国
力の退潮と人びとの将来の閉塞は目を覆うばかりとなっていった。
そして、「2011 年3 月11 日」がやってきた。
何千何万もの人びとが一瞬のうちに命を落としあるいは行方不明になった。幾
つもの町全体が津波にのみ込まれ、家々が破壊された。土地が放射能で汚染さ
れ何万もの人びとが故郷を追われ生業を失った。
この未曾有の破局を前にして、いくらなんでも政治は今こそ目を覚まし、対立
を乗り越え力を合わせて国難に立ち向かい、率先して困窮する人びとに支援の
手をさしのべ、被害からの復旧と地域の復興へと、今回ばかりは団結して事に
当たるだろうと誰もが考えた。いくらなんでも政治家たちはこの後に及んで政
争に明け暮れるほど愚かであるとは誰も想像がつかなかったからである。
しかし、現実はちがった。人びとの最低限のかすかな期待ももはや裏切られた。
もう、人びとには政治に対して信じるべき何もないのだ。国民はもはやこの国
の政党政治を見捨て始めたのである。


だったら、ここは、「ハッシズム」にでも賭けてみるしかないじゃないですか!
そう考える人びとがいて何の不思議もない。決して、すべてを信用しているわ
けじゃない。具体的に何をやってくれるのかはよく分からない。少々危なっか
しいところも感じられる。しかし、いまの政治には期待すべきことなどとうに
なく、自分の生活や将来に関しても失うべき何ものももはやないとすれば・・・。
ここはやっぱり「ハッシズム」でしょう!
ハシモトであれば、とにかく、ダメであることが分かっているものを一掃して
くれることだけはやってくれるかもしれない。世の中は、壮大なるムダ遣いと
既得権と、官僚支配と、働かない政治家と、事実を伝えようとしないメディア
とに牛耳られているのだから、少々手荒な方法をつかってでも、創造のために
はまず破壊が必要だ。そんななかには、いつもお題目のように同じ事を繰り返
して何の役にも立たない政治勢力、とくに、良識顔したやサヨクの連中、彼ら
こそ愚にもつかない非現実的な理屈を述べ立てるだけど最も何の役にも立たな
いリストラの対象だ。ハシモトなら社会の粗大ゴミを一掃してくれることぐら
いはやってくれそうだ。
沖縄のアメリカ海兵隊の県外移転が問題なら、関空に移動させてもよい。それ
こそが責任ある政治家の態度ではないか。原発は早いうちにやめにしてクリー
ンエネルギーに転換していくべきだ。関電の既得権益を打破すべきだ。「大阪都
構想」に市が反対するなら市長になって「合併」を果たそうと戦略を立て見事
にそれをやってのける。これほど、はっきりと物を言い行動に移せる政治家は、
ハシモトしかいないではないか。
だから、「ハッシズム」の進行は当面止みそうにない。政党政治が機能不全から
脱してまともな政治秩序が成り立つようになるならば話は別だが、参議院の権
限が強すぎる現在の政体を憲法改正するなどして変更でもしないかぎり、現在
の足の引っ張り合いからこの国の政治が抜け出せそうな気配はない。
嘆かわしいことに、既成政党の方では、ハシモト人気にあやかろうとすり寄り
を始め、関西財界もこの際ハシモト人気を活用して経済の地盤沈下を食い止め
ようと支援に動き出した。マス・メディアは60 パーセントから70 パーセント
の世論支持を誇るハシモトにもはや批判を向けることなどできず、指導力、決
断力、行動力を褒め称えて持ち上げるばかりだ。
「ハッシズム」はいまやこの国の政治の世界に根を下ろした「体制」になりつ
つあるのである。


「ハッシズム」が「コイズミズム」によく似ていることは知られている。とも
に「劇場型」と呼ばれるメディアを利用した政治コミュニケーションを資源と
して、改革に対する「抵抗勢力」を次々につくって政治的パフォーマンスを繰
り広げていく。「ハッシズム」も「コイズミズム」と同じように、都市型政治の
スタイルであり、既得権益の打破、「ムダ」の削減等の経費節減を打ち出し、「競
争原理」の導入を基本とするネオリベラリズム型の政策を推し進める傾向と見
られている。ただし、既得権益打破、ムダ削減、規制緩和といっても、地方自
治体の改革では、規制緩和すべき「市場」などないから、公共サービスを「売
り払う」パフォーマンスに終始せざるを得ない。学校の「自由化」のように、
学校間を「競争」させたり、福祉施設や文化施設を「格付け」したり「競争」
させたりして、市民を「顧客」に見立てた「サービスの競争」に拍車がかかる
ことになる。これが地方自治における「ネオリベラリズム」の姿だろう。「ハッ
シズム」はサービスの元の言葉「serf(農奴)」さながらに、サービスを「奴隷」
化するのだ。
だから、「ハッシズム」の方が「コイズミズム」よりも人間にやさしくない!コ
イズミが固執したのは自分の靖国参拝だったが、ハシモトは人びとに国歌を「強
制」して歌わせ、「命令」に従わない者を「処分」しようする。「コイズミズム」
は、例え「市場」をではあれ、「自由」にしようとしたが、「ハッシズム」は「強
制」したり、「命令」したり、従わない者を「退場」させたり「やめてもらった
り」することが大好きだ。要するに、「ハッシズム」とは「自由」がきらいな「ネ
オリベラリズム(新自由主義)」なのだ。「コイズミズム」はそれでも明るかっ
たが、「ハッシズム」は攻撃的でとても暗い。


さて、「ハッシズム」を支持しているのはおもに若者たちだ。その点で、かれ
らはまったく正しい。この国には希望がない。自分たちが生まれたときから、
この国は既得権に支配されている。富の分配は、世代間に不平等で、年老いて
いく人口の重荷を背負わされているのは自分たち若者たちだ。既得権者の老人
たちは、戦後福祉国家の恩恵を受けて、医療でも年金でも十分に保護を受けて
いる。そうした老人たちが、自民党や民主党に投票しているから、いまの政治
は保護された老人たちに手厚い保護の政策をおこなって、それでますます国の
借金は膨らんでいく。その借金を背負わされたうえで、まともな就職もできず、
非正規雇用に追いやられて結婚することさえできないのが、自分たち若者だ。
先行世代の既得権益を打ち破り、福祉という名のムダを削り、福祉国家が作り
出した数々の法人のような官僚の天下り機関を精算して、少しは希望をもてる
社会にするためには、「ハッシズム」は一つの解決法かもしれないではないか。
そのように多くの若者たちは思い始めているだろう。

でもな、ほんとうにそうやろか。ほんまの解決にそれがなると思うてんの?
そんな風に、若者たちに語りかけうる言葉を持っていた「ツジモトキヨミ」の
ような稀有な才能をもつ政治家を社民党はもう失ってしまった。悔やんでも悔
やみきれない。ほんまに、アホな政党や!

次に、若者たちに語りかけうる政治勢力が起こるとすれば、それは、やはり
若者たちの間から生まれてくる以外にない。「コイズミズム」が何を残したかを
思い起こしてみよう。熱狂の後、若者たちには、貧困と格差と不安定だけが残
った。この絶望と熱狂との後に、「ハッシズム」が若者たちに何を残すかは、い
まから十分に予想できるだろう。その夜の向こう側にそなえて、若者たちよ、
非情な現実を見据えよ。既成政党なんかにはだまされるな。「ハッシズム」を超
えて、君たち自身の新しい政治勢力を作れ!

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