2012年1月16日月曜日

「ハッシズムはもう止まらない!?」『月刊社会民主』2012年1月号

「ハッシズム」はもう止まらない!?

橋下徹現象はもはや現象では収まらない実質的「政治勢力」となりつつある。
この「ハッシズム」を勢いづけた、最大の原因と最大の責任は、本機関誌の発
行元である日本社会民主党をふくむ既成政党にある。各政党はまずこの現実を
直視すべきだ。
2009 年の政権交代以後、いやそれ以前から、この国の政党政治はいったい何を
してきただろうか。社会が大きな困難に直面しているのに既成政党の政治家た
ちはどのような行動をとってきただろうか。鳩山内閣から菅内閣へそして野田
内閣へ、2 年半のうちに三回も首相が交代し、マニフェストに述べられていた公
約も紙クズ同然となった。マイナー政党の社民党もまた、連立政権に参加した
かと思えば、実質のある仕事もきちんとした総括もしないうちに1 年足らずで
政権を離脱し現実性のないご都合主義でふらふらと無原則に振る舞ってきた。
「政権交代」で、政治の刷新が起こるかもしれないという国民のはかない期待
はみるみるうちにしぼみ、人びと無力感と空しさだけが残ることになった。そ
の間にも、日本をとりまく世界情勢は政治的にも経済的にも険しさを増し、国
力の退潮と人びとの将来の閉塞は目を覆うばかりとなっていった。
そして、「2011 年3 月11 日」がやってきた。
何千何万もの人びとが一瞬のうちに命を落としあるいは行方不明になった。幾
つもの町全体が津波にのみ込まれ、家々が破壊された。土地が放射能で汚染さ
れ何万もの人びとが故郷を追われ生業を失った。
この未曾有の破局を前にして、いくらなんでも政治は今こそ目を覚まし、対立
を乗り越え力を合わせて国難に立ち向かい、率先して困窮する人びとに支援の
手をさしのべ、被害からの復旧と地域の復興へと、今回ばかりは団結して事に
当たるだろうと誰もが考えた。いくらなんでも政治家たちはこの後に及んで政
争に明け暮れるほど愚かであるとは誰も想像がつかなかったからである。
しかし、現実はちがった。人びとの最低限のかすかな期待ももはや裏切られた。
もう、人びとには政治に対して信じるべき何もないのだ。国民はもはやこの国
の政党政治を見捨て始めたのである。


だったら、ここは、「ハッシズム」にでも賭けてみるしかないじゃないですか!
そう考える人びとがいて何の不思議もない。決して、すべてを信用しているわ
けじゃない。具体的に何をやってくれるのかはよく分からない。少々危なっか
しいところも感じられる。しかし、いまの政治には期待すべきことなどとうに
なく、自分の生活や将来に関しても失うべき何ものももはやないとすれば・・・。
ここはやっぱり「ハッシズム」でしょう!
ハシモトであれば、とにかく、ダメであることが分かっているものを一掃して
くれることだけはやってくれるかもしれない。世の中は、壮大なるムダ遣いと
既得権と、官僚支配と、働かない政治家と、事実を伝えようとしないメディア
とに牛耳られているのだから、少々手荒な方法をつかってでも、創造のために
はまず破壊が必要だ。そんななかには、いつもお題目のように同じ事を繰り返
して何の役にも立たない政治勢力、とくに、良識顔したやサヨクの連中、彼ら
こそ愚にもつかない非現実的な理屈を述べ立てるだけど最も何の役にも立たな
いリストラの対象だ。ハシモトなら社会の粗大ゴミを一掃してくれることぐら
いはやってくれそうだ。
沖縄のアメリカ海兵隊の県外移転が問題なら、関空に移動させてもよい。それ
こそが責任ある政治家の態度ではないか。原発は早いうちにやめにしてクリー
ンエネルギーに転換していくべきだ。関電の既得権益を打破すべきだ。「大阪都
構想」に市が反対するなら市長になって「合併」を果たそうと戦略を立て見事
にそれをやってのける。これほど、はっきりと物を言い行動に移せる政治家は、
ハシモトしかいないではないか。
だから、「ハッシズム」の進行は当面止みそうにない。政党政治が機能不全から
脱してまともな政治秩序が成り立つようになるならば話は別だが、参議院の権
限が強すぎる現在の政体を憲法改正するなどして変更でもしないかぎり、現在
の足の引っ張り合いからこの国の政治が抜け出せそうな気配はない。
嘆かわしいことに、既成政党の方では、ハシモト人気にあやかろうとすり寄り
を始め、関西財界もこの際ハシモト人気を活用して経済の地盤沈下を食い止め
ようと支援に動き出した。マス・メディアは60 パーセントから70 パーセント
の世論支持を誇るハシモトにもはや批判を向けることなどできず、指導力、決
断力、行動力を褒め称えて持ち上げるばかりだ。
「ハッシズム」はいまやこの国の政治の世界に根を下ろした「体制」になりつ
つあるのである。


「ハッシズム」が「コイズミズム」によく似ていることは知られている。とも
に「劇場型」と呼ばれるメディアを利用した政治コミュニケーションを資源と
して、改革に対する「抵抗勢力」を次々につくって政治的パフォーマンスを繰
り広げていく。「ハッシズム」も「コイズミズム」と同じように、都市型政治の
スタイルであり、既得権益の打破、「ムダ」の削減等の経費節減を打ち出し、「競
争原理」の導入を基本とするネオリベラリズム型の政策を推し進める傾向と見
られている。ただし、既得権益打破、ムダ削減、規制緩和といっても、地方自
治体の改革では、規制緩和すべき「市場」などないから、公共サービスを「売
り払う」パフォーマンスに終始せざるを得ない。学校の「自由化」のように、
学校間を「競争」させたり、福祉施設や文化施設を「格付け」したり「競争」
させたりして、市民を「顧客」に見立てた「サービスの競争」に拍車がかかる
ことになる。これが地方自治における「ネオリベラリズム」の姿だろう。「ハッ
シズム」はサービスの元の言葉「serf(農奴)」さながらに、サービスを「奴隷」
化するのだ。
だから、「ハッシズム」の方が「コイズミズム」よりも人間にやさしくない!コ
イズミが固執したのは自分の靖国参拝だったが、ハシモトは人びとに国歌を「強
制」して歌わせ、「命令」に従わない者を「処分」しようする。「コイズミズム」
は、例え「市場」をではあれ、「自由」にしようとしたが、「ハッシズム」は「強
制」したり、「命令」したり、従わない者を「退場」させたり「やめてもらった
り」することが大好きだ。要するに、「ハッシズム」とは「自由」がきらいな「ネ
オリベラリズム(新自由主義)」なのだ。「コイズミズム」はそれでも明るかっ
たが、「ハッシズム」は攻撃的でとても暗い。


さて、「ハッシズム」を支持しているのはおもに若者たちだ。その点で、かれ
らはまったく正しい。この国には希望がない。自分たちが生まれたときから、
この国は既得権に支配されている。富の分配は、世代間に不平等で、年老いて
いく人口の重荷を背負わされているのは自分たち若者たちだ。既得権者の老人
たちは、戦後福祉国家の恩恵を受けて、医療でも年金でも十分に保護を受けて
いる。そうした老人たちが、自民党や民主党に投票しているから、いまの政治
は保護された老人たちに手厚い保護の政策をおこなって、それでますます国の
借金は膨らんでいく。その借金を背負わされたうえで、まともな就職もできず、
非正規雇用に追いやられて結婚することさえできないのが、自分たち若者だ。
先行世代の既得権益を打ち破り、福祉という名のムダを削り、福祉国家が作り
出した数々の法人のような官僚の天下り機関を精算して、少しは希望をもてる
社会にするためには、「ハッシズム」は一つの解決法かもしれないではないか。
そのように多くの若者たちは思い始めているだろう。

でもな、ほんとうにそうやろか。ほんまの解決にそれがなると思うてんの?
そんな風に、若者たちに語りかけうる言葉を持っていた「ツジモトキヨミ」の
ような稀有な才能をもつ政治家を社民党はもう失ってしまった。悔やんでも悔
やみきれない。ほんまに、アホな政党や!

次に、若者たちに語りかけうる政治勢力が起こるとすれば、それは、やはり
若者たちの間から生まれてくる以外にない。「コイズミズム」が何を残したかを
思い起こしてみよう。熱狂の後、若者たちには、貧困と格差と不安定だけが残
った。この絶望と熱狂との後に、「ハッシズム」が若者たちに何を残すかは、い
まから十分に予想できるだろう。その夜の向こう側にそなえて、若者たちよ、
非情な現実を見据えよ。既成政党なんかにはだまされるな。「ハッシズム」を超
えて、君たち自身の新しい政治勢力を作れ!

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