サイバネティクス都市のアルケオロジー 石田英敬
歴史は螺旋状に回帰しつつ進んでゆくものだ。
「人間居住科学Ekistics」を提唱したドキシアディスが召集した「デロス会議」にはマーガレット・ミードやマクルーハンが参加し「人間拡張」説もサイバネティクスの文脈で議論されていただろう。日本からは磯村栄一が参加、つづいて丹下健三が参加したのが1965年の第三回会議。「東京計画1960」ではすでに有機体のメタファーでネットワーク都市が計画され、「情報化社会」が議論され、増殖する有機体都市の「メタボリズム」が語られていたのだから、1960年代の東京ではすでに、サイバネティクス都市が展望されていたのだ(YURIKO FURUHATA “ARCHITECTURE AS ATMOSPHERIC MEDIA Tange Lab and Cybernetics “ in MARC STEINBERG ANDALEXANDER ZAHLTEN, MEDIA THEORY in JAPAN EDITORS Duke University Press Durham and London 2017を参照せよ)。
礒崎新が月尾嘉男、三宅英一郎、伊東洋とともに礒崎新アトリエとして発表した1972年の「コンピュータ・エイデッド・シティ」の提案は、「Post Univdersity Pack」と「ニックネーム」され、それは「情報コンビナートとでも呼ぶべき」と謳われている。当時はいかにも聞き慣れなかったであろう知識産業社会を予告するようなあだ名と、「コンビナート」といういかにも重化学工業時代的な呼び名がなんともいえぬアイロニカルな齟齬を醸し出している。
情報コンビナート
じっさい、「情報コンビナート」として括ることを提案されるのは、コミュニケーションを共通機能とすると都市施設一般である(「通念としての,事務所,研究所,放送局,コンピューター・センター,美術館,博物館,オーディトリアム,図書館,ショヅビング・センター, 病院研究棟,市役所,アリーナなど,商業施設,文化施設に分類されているような,あらゆる都市施設」)。「情報テクノロジー」を共通の括りとしてソートして、ひとまとめに束にしてスタックにしようというのである。「物理的な空間として観察すれば、差異よりも共通部分のほうがより多くあることは明らか」なので、「共通部分を普遍化して、人工的な空間を形成するときに、パッケージすることの有効性が、さまざまな角度から測定できるであろう」という。
「情報空間」における「情報の送受信」つまり「学習が日常化し、都市の全空間が学習場になり、情報テクノロジーがそれを補助する」のだから「大学が都市と合体し」と「いまの大学のもつ機構を再編成したもの」にちかづき、だから「ポスト・ユニバーシティ・パック」は提案されるのである。
ここでは「情報空間」という用語で「見えない都市」化していきつつあるとはいえそれでもまたアイロニカルに措定されるべき実空間が指されている(計画が掲載された『新建築』1972年8月号は「情報空間」の特集号だった)。
はじめにメディウムありき
礒崎たちがマクルーハンに注目するのは、「メディアはメッセージ」と「不正確」に訳された標語ではない。マクルーハンの「メディア理解」の肝は、「‘'どんな技術も,次第に全く新しい人間環境をつくり出していく’'」(著者らによるマクルーハンの引用)という認識であり、「技術」の方から「人間拡張」をデザインすべきなのである。だから鉄道も飛行機もメディアなのであり「ハードウエア」が優先される。ハートレイの「情報の伝送」、シャノンの「数学的通信理論」、ファノやペテルソンのモデル修正をへて、社会や都市を、情報源から行為、行為から情報源へのフィードバックの連鎖と考えれば、入力される「情報発生パターン」、出力される「行為発生パターン」、両項を媒介する情報処理をおこなう「メディウムのパターン」(入力、処理、記録、出力)の組み合わせから具体的なコミュニケーションの「システム」を割り出して分類することができる。メディウムが入力および出力において環境に接する「インターフェイス」を人間社会の観点から整理して「新しい空間の計画への第一歩を踏出す」ことができるはずなのだ。
都市頭脳
メディアと情報通信システムの用語で語られ始めるのは、サイバネティクス都市である。「フィードバック」回路による情報都市のネットワークシステムには、「都市頭脳」が胚胎する。
このとき、環境とは、「人間-機械系」であり、その「フィジカルエンバイラメント」は、「タウンブレインによる制御」をうけて「ホメオスタシス」を保つ「情報空間」として「サイバネティック・エンバイラメント」となる。
そこでは「メディウムのパターン」に応じて「交通ネットワーク」、「エネルギーネットワーク」、「情報ネットワーク」が発達し、「家庭学習システム」から「医療相談システム」、「行政システム」、「警備システム」、「郊外監視システム」、「キャッシュレスシステム」、「広域信号システム」にいたるサービスシステムが実装される。それらのコンポーネントとなる「機械装置(ハードウエア)」までが綿密に書き込まれているのだが、要するに今日ではインテリジェント施設やスマートシティと呼ばれるようになったサイバネティクス環境がデザインされていると考えればよい。
そうであるのだから、要するに、これは五〇年後のスマートシティの先取りであり、考古学的な意義があるのだ、というだけの結論ではじつにつまらない。
いや、そうではないのだ。
礒崎らのサイバネティクス都市の考古学的な意義は、むしろ、今日の「インテリジェントビル」や「スマートシティ」は、どのような意味で、ほんとうにインテリジェントにもスマートになりえていないのか、それを考えさせてくれる手がかりを与えてくれる点にある。
記号論的段階
この時期1967年に発表したマニフェスト的な論考「見えない都市」で、礒崎は、都市デザインの方法の推移を四つの段階に整理し、その方法が、「建築的造型が都市計画と直結していた実体論的段階、CIAMが抽出した機能論的段階、五〇年代から意識化されはじめた構造論的段階」をへて、「いまわずからながら開発のはじまったシンボル論あるいは記号論的段階」へと移行しつつあると述べていた。
「記号論」的方法と「サイバネティクス」との対応こそが重要なのである。
「空間を構成するすべての要素を記号に還元し、その関係性だけに着目する。コンピューターが測距儀になりかわる。絶対距離が消えてシステムそのものが測量の単元になる。それ故空間は遠近法ではなく記号のちりばめられた図式であらわされる。主体の眼は外側に絶対化して保持されず、ついに対象の内側にまきこまれて多元化してしまう。そしてサイバネティクスがその論理を支えている。このサイバネティクスに支えられた都市空間を追求することが、おそらく私の主題になっていくのであろう」と書いていた。
そのときの都市は、「抽象化された無数のシステムを内包するようなモデルとして構想されえ、そのモデルを現実の状況と照らしあわせて仮説の条件下で進行させてみるのがシミュレーション」であると述べて、アブダクティブに成立していく都市のために「サイバネティック・エンバイラメント」を思い描いていたのだ。
その性格とは、次のように書き出された五つの条件である。
「1 一定の均衡した条件が維持できるようにその環境に保護膜があること。
2 互換性にとんだ空間であること。
3 各種の可動装置がふくまれていること。
4 人間ー機械系が成立すること。
5 自己学習していくようなフィードバック回路を所有していること。」
このサイバネティクス都市はだから、人間-機械系のインタフェースにおいて、一方において、ハードウエア部が互換性にとみ、可動的であり、自己学習のフィードバックを発達させていったはずである。他方において、「記号のちりばめられた図式」をアブダクティブに進行させて都市を「シミュレーション」していったはずである。
その先に繰り広げられたのが、礒崎の一九七〇年代以降であったのだから、サイバネティクスと記号論のとりもつ界面に本当のスマートでインテリジェントな見えざる都市が成立しえていったはずなのである。