2024年8月8日木曜日

Draft. 外国文学が生きられていた時代

 外国文学が生きられていた時代  石田英敬

(Draft.『文藝春秋』2024年9月号巻頭随筆「外国文学が生きられていた時代」のための草稿) 

 

 粟津則雄さんの訃報に触れた。いつごろ粟津さんの著作を読むようになったのか思い出せないのだが、書庫の奥から引っ張り出してみると評論集『詩の空間』(思潮社1969)や文学論集『詩の意味』(思潮社1970)の章に鉛筆で印がつけられていた。高校二年ぐらいで読んだものと思う。文学少年のお決まりコース。小林秀雄の神話があった。ぼくも麻疹のようにかぶれた。小林となれば、「人生斫断家アルチュル・ランボオ」だし、その次にはボードレールとかヴァレリーとかとなる。そして当然のように粟津則雄に辿り着いたというわけだ。

 粟津さんの『ランボオ全作品』(思潮社)はAmazonでいまでも一円で出回っているところを見ると相当なロング・ベストセラーを続けていたのではなかろうか。ぼくの家の屋根裏には、元の家主の老婆が残していった御真影があったのだが、母親が「まあ、こんなもの」と眉をひそめたので額縁をもらい受け、『ランボオ作品集』の口絵の少年ランボオの肖像写真を切りとって入れ替えて勉強机の前に飾っていた。

 粟津訳「感覚 SENSATION」がいまでも好きだね。「青い夏の夕暮れには、小道伝いに、/麦に刺されて細い草を踏みに行こう。/・・・」ただし、最後は、やはり原文 —- « heureux comme avec une femme » (粟津訳「女をつれているように心たのしく」)の方がよい。comme avec une femme K音、O音、M音の口の開きと歯茎音で噛む感じが飜訳では出ないのだ。

 さて、ぼくが、本物の粟津さんと会ったのは、それからずっと後のことだ。本郷仏文の大学院に一度目の留学から戻った頃(1980年頃)だった。粟津さんは法政大学で教えていらしたが非常勤講師として出講されていたのだ。学部の授業だったから出席することはなかったので内容は分からないのが残念。高校生のころからの読者だったから、ナマ粟津さんにお目にかかれたのは大変嬉しかった。第一印象は、お、ランボーというよりは、ヴェルレーヌに似た風貌。普段は無口で大人しい方のように見えた。

 その頃、仏文研究室は安田講堂に向かって左側、法文一号館の階段を上がった二階にあった。研究室は、ある種の大家族のような雰囲気だった。

 授業の日になると先生たちも院生たちもなんとなく集まってきて、共同研究室の大きなテーブルを囲んでお茶をのみ談笑していた。初夏の頃は銀杏の緑の光が窓から流れこんで縞をつくりゆったりとした時間が流れていた。どういうわけか休み時間がずっと長かったと思う(たぶん遅れて授業を始めるのが不文律だったからだ)。

 二宮敬先生はいつもにこにこして、調べ物をしながらいろいろな書誌の調べ方を教えてくださった。授業のあとはいつもどこかへ飲みにご一緒したが、渡辺一夫先生をはじめ、先輩の先生方の話をして仏文のハビトゥスを新入りに伝承するのをきっとご自身の役目と考えられていたと思う。酔っ払うと愛国海軍少年兵時代だかの悲惨な戦争の思い出を語り短剣を見せてくれたりしたこともあったな(もちろん大学でではなくお宅でね)。

 山田𣝣先生は伝説的な江戸弁・講談調の名調子で授業をされていた。授業を終えて研究室にもどってくると、あ、あれですな〜と、やはり講談風の名調子で世間話をなさったりしていた。まことに優雅な午後の時間が流れていたのだ。

 その頃、中央大学で教えていた丸山圭三郎先生も出講されていて、まことに西洋的雰囲気の話しぶり、廣松渉と対談してたいへん面白かったな、などと詳しくお話されていた。駒場の滝田文彦先生なんかも授業をされていたから、また独特の調子で、「やっ、石田くん、君の昨夜のご高説、面白かったよ」など、前日に𣝣先生のお宅で顔を合わせたときの酒の話題を覚えていらしたりした。

 𣝣先生は、授業を終えた粟津先生が戻ってくると、茶菓子をすすめながら、いやあ、先生にはこんなものではなく、もっと気の利いたものでないとだめでしょう、など、気を配っていらした。懐かしい本郷仏文研究室。今でも人びとの声が聞こえてくる気がする。

 この時代の人びとの姿が、濃い陰影をとどめているのは、たぶん戦争と廃墟の経験と関係している。文学で生きることを選び取った外国文学者の世代だったからではなかろうか。粟津さんは、自分にとってランボオ探求は「ランボオは可能か」と問うことだったと書いている ー「けっして実現されつくすことのない可能性である彼の生涯は、ランボオは可能かと問うことによって、始めてぼくのまえに現前する。この問いは、かくしてぼくを、一種のランボオにする。ぼく自身の生が、ひとつの、終わることのない可能性になる。」(「ランボオは可能か」『詩の空間』所収)


(これは草稿です。引用等は掲載雑誌掲載の決定稿を参照してください。)

2024年4月25日木曜日

「御礼と感想」 『ゲバルトの杜』代島治彦監督への手紙 2023年5月1日

(昨年、2023年4月24日に初号試写会が行われた際に代島監督に感想を送ったメール文面を以下に転載します。)

 2023.0501

「御礼と感想」 『ゲバルトの杜』代島治彦監督への手紙 2023年5月1日

代島治彦 さま

先日は「ゲバルトの杜」の試写会にお招きいただきありがとうございました。

大変な力作で、これまでのご作品にもまして感銘を受けました。

なかなか重たい主題ですので、文章に表現するのも難しいところがありますが、幾つかの感想を書いておきます。

今回の作品の工夫は、鴻上さんの劇中劇を組み込んだところが新しい試みですが、ブレヒト的というのかドキュドラマに陥らない異化作用を組み込んで時代の批評性をよく担保できる仕組みになっていると思いました。そこを入り口に若い観客にも考える手がかりを与えるという狙いがこめられているのだと思いますが、どんな風に受けとめられるか興味深いです。

他方、批評的言説を担当する年輩の登場者、池上さん、佐藤さん、内田さん、ら、もバランスの取れた証言になっていて参考になりました。私個人としては内田さんの話が面白かったな。たしかに、集団になると、思いもよらぬ凶暴な野蛮が顔を出すということが起こる、という証言はこの内ゲバに限らず、人間における暴力とは何かという根源的な次元を考えさせる視点です。

私にとって、今回この作品を観ることで、はっきりと認識することができるようになったのは、次のようなことです。

それは、70年の海老原事件、72年の川口事件、73年秋の金築・清水事件、そして74年1月24日の私たちの事件、この四つの死亡事件がいわば山の稜線のように浮かび上がらせている、内ゲバ事件の相互の有機的関連性と偶発性です。

それは当事者たちには必ずしも自明ではなかった相互連関でもあります。例えば、私の場合、70年の海老原事件は大学に入学する前の非常に抽象的な事件としての現実感しか当時なく、72年の川口事件はかなり身近な事件でしたが、とはいえ、他の大学の出来事、金築たちの事件は同じ寮の知人という身近な存在、という具合に、事件相互の感覚的遠近法がだいぶ異なり、映画で示されたような、相互の結びつきの必然性の糸は全く認識できていませんでした。

川口事件が海老原事件の正確な反復であるというような視点は、当時はだれも持てなかったのではないか、と思います。

あるいは、早稲田の解放運動から金築・清水事件へのエスカレーションとその後にしても、革マルや中核のしかるべき中枢部は戦略的な見取り図を持てていたのだろうか、どうなのだろうか、と思います。後から考えると、明確に戦略的に暴力性が引き上げられていく様子が見えるのですが、偶発性と戦略性の兼ね合いは事態はどのように進んだのだろうかと思います。あるいはそういう視点を持つことができた人びとがいたとすると、1960年代からの活動家でないと持てないはずなので第一世代の人たちということなのではないか。だとすると、お互いよく知った間でまさしく「内ゲバ」ということでしょう。

昏い不動の星のように歴史のなかに取り残されてしまった死者たちを結ぶ、ある種の必然性の糸を炙り出した、という点で、大変に教えられるところがあった、というのが私にとってのこの作品を観た成果です。

そして、その必然性の糸の延長上で、74年1月24日の事件を入り口に全面的な殺戮戦争にいたったということもあらためてよく理解できたと思いました。

というわけで、私自身、大変教えられるところの多い作品でした。

以上、とりあえずの、第一感想ということになります。

多くの人びとに視聴されて、いまではだいぶ遠くなりつつある歴史を考える手がかりとなることを祈っています。

石田英敬


2024年2月2日金曜日

デモクラシーの危機、世界で 北海道新聞「各自核論」2024.02.02金曜日


 デモクラシーの危機、世界で

北海道新聞「各自核論」2024.02.02金曜日                          

 米大統領選挙の候補者を選ぶ共和党予備選が始まったが、トランプ前大統領の勢いは止まりそうにない。高齢が不安視されるバイデン大統領は果たしてアメリカの民主主義を守ることができるだろうか。まるで独裁者のように振る舞うトランプが復帰となれば、国際秩序は途方もない混乱に見舞われるのではないか、世界は固唾をのんで11月に行われる米大統領選の成り行きを,見守っている。

 ドイツでは急速に勢力を伸ばしてきた極右政党「ドイツのための選択肢 AfD」のメンバーが昨年11月に極右過激派と、政権を取った場合の移民の大量国外追放計画について話し合っていたことが明らかになった。AfDの支持率は22%で、現在の連立与党の中道・左派3党の支持率を上回っている。AfDは、これまで極右派との連立交渉を拒否してきたドイツの主流派政党が張り巡らせた「防疫線」を破り、今年の欧州議会選で躍進し、年末の旧東ドイルの三つの州議会選挙で大躍進し政権を奪取する勢いだ。危機感を覚えたドイツ国民による今月の反AfDデモには数十万人が参加したと伝えられる。

 フランスでは二期目に入ったマクロン政権の右傾化が目立つ。大統領与党は、昨年12月には移民に対する規制を強化する新移民法を、議会での紆余曲折をへて、右派共和党との修正協議のもとに再提案。フランス共和国の国籍法の要であった「生地主義」を根幹からゆらがせる、違憲的内容が盛り込まれた。与党からも閣僚の抗議の辞任、与党議員の4分の一が反対したが、極右政党RN(国民連合)も賛成にまわって成立した。。中道右派を自称していた政治勢力が事実上極右のテーマに自分たちの主張を合わせつつある。RNのルペン党首は極右の「イデオロギー的勝利」だと語った。

 イギリスの保守党スナク政権もまた、人権保護の観点から極めて問題の多い、難民入国者をアフリカのルワンダに移送する計画を立案。一昨年に議会に提出。欧州人権裁判所が差し止め命令。英国最高裁判所から違憲の判決を受けていた。しかし、昨年12月には英国人権規定が及ばない形に書き換えて法案を再上程。下院を通過させたが、今月上院(貴族院)で否決。右派議員は欧州人権条約の破棄を主張するなど、議論は混沌としている。

 イタリアでは、一昨年からすでに極右ネオ・ファシスト党の党首だったジョルジャ・メローニ首相のもとに、右派と極右の連合による政権運営が行われている。外交的にはNATOや米国への地政学的配慮、経済的にも欧州連合との結びつきが拘束条件となり、極端な変化は起きにくい。しかし、国内的には、福祉の縮減、自国民優先の人口政策、文化的アイデンティティの強調、過去の歴史の修正など、戦後イタリアの体制を徐々に変質させつつある。

難民、移民問題をテーマに、国民の不安を煽り、ナショナリズムをかき立てることで、人権や民主主義の諸制度を揺らがせるような政治勢力が世界の主要民主主義国で顕著に拡大している。問題なくリベラル・デモクラシーの政治として挙げられる国の数がほんとうに僅かになってきているのである。

 これでトランプが再び米大統領に就くことになればこの世界はどうなってしまうことだろう。

 このデモクラシーの危機には客観的な理由がある。ちょうど一世紀ほど前に、ファシズムが台頭した時代と同じような歴史的な条件が整っているのである。

 金融と情報の資本主義の発達により、世界には極端な経済格差が生まれた。1929年の世界恐慌の後と同じように、中産階級が解体された。ネオリベラリズムの政治により、福祉が切り捨てられ、弱者を保護するセーフティネットが失われた。

 難民や移民がスケープゴートにされ、排外主義的なテーマを掲げてきた極右勢力がここに来て力をもつようになった。

 一世紀前のファッシズムの台頭には、ラジオ、映画、レコードなどのメディア革命が大きな役割を果たしたが、過去三〇年間に進行した情報メディア革命は、新聞・テレビなどの既存の規範的なメディアを揺るがせ、人びとの情動に働きかける新しい世論操作の技術を提供するようになった。イーロン・マスクのような新たなメディア王が扇情的なメッセージを拡散させていることも、公共空間を破壊するものだ。

すでに、ウクライナでもパレスチナでも先の見えない戦争が進行している。はっきりしていることは、世界の政治が、大変危険な水域に入ったということである。トランプ再選となれば、想像することさえ難しいゾーンに踏み込むことになるだろう。  


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