(昨年、2023年4月24日に初号試写会が行われた際に代島監督に感想を送ったメール文面を以下に転載します。)
2023.0501
「御礼と感想」 『ゲバルトの杜』代島治彦監督への手紙 2023年5月1日
代島治彦 さま
先日は「ゲバルトの杜」の試写会にお招きいただきありがとうございました。
大変な力作で、これまでのご作品にもまして感銘を受けました。
なかなか重たい主題ですので、文章に表現するのも難しいところがありますが、幾つかの感想を書いておきます。
今回の作品の工夫は、鴻上さんの劇中劇を組み込んだところが新しい試みですが、ブレヒト的というのかドキュドラマに陥らない異化作用を組み込んで時代の批評性をよく担保できる仕組みになっていると思いました。そこを入り口に若い観客にも考える手がかりを与えるという狙いがこめられているのだと思いますが、どんな風に受けとめられるか興味深いです。
他方、批評的言説を担当する年輩の登場者、池上さん、佐藤さん、内田さん、ら、もバランスの取れた証言になっていて参考になりました。私個人としては内田さんの話が面白かったな。たしかに、集団になると、思いもよらぬ凶暴な野蛮が顔を出すということが起こる、という証言はこの内ゲバに限らず、人間における暴力とは何かという根源的な次元を考えさせる視点です。
私にとって、今回この作品を観ることで、はっきりと認識することができるようになったのは、次のようなことです。
それは、70年の海老原事件、72年の川口事件、73年秋の金築・清水事件、そして74年1月24日の私たちの事件、この四つの死亡事件がいわば山の稜線のように浮かび上がらせている、内ゲバ事件の相互の有機的関連性と偶発性です。
それは当事者たちには必ずしも自明ではなかった相互連関でもあります。例えば、私の場合、70年の海老原事件は大学に入学する前の非常に抽象的な事件としての現実感しか当時なく、72年の川口事件はかなり身近な事件でしたが、とはいえ、他の大学の出来事、金築たちの事件は同じ寮の知人という身近な存在、という具合に、事件相互の感覚的遠近法がだいぶ異なり、映画で示されたような、相互の結びつきの必然性の糸は全く認識できていませんでした。
川口事件が海老原事件の正確な反復であるというような視点は、当時はだれも持てなかったのではないか、と思います。
あるいは、早稲田の解放運動から金築・清水事件へのエスカレーションとその後にしても、革マルや中核のしかるべき中枢部は戦略的な見取り図を持てていたのだろうか、どうなのだろうか、と思います。後から考えると、明確に戦略的に暴力性が引き上げられていく様子が見えるのですが、偶発性と戦略性の兼ね合いは事態はどのように進んだのだろうかと思います。あるいはそういう視点を持つことができた人びとがいたとすると、1960年代からの活動家でないと持てないはずなので第一世代の人たちということなのではないか。だとすると、お互いよく知った間でまさしく「内ゲバ」ということでしょう。
昏い不動の星のように歴史のなかに取り残されてしまった死者たちを結ぶ、ある種の必然性の糸を炙り出した、という点で、大変に教えられるところがあった、というのが私にとってのこの作品を観た成果です。
そして、その必然性の糸の延長上で、74年1月24日の事件を入り口に全面的な殺戮戦争にいたったということもあらためてよく理解できたと思いました。
というわけで、私自身、大変教えられるところの多い作品でした。
以上、とりあえずの、第一感想ということになります。
多くの人びとに視聴されて、いまではだいぶ遠くなりつつある歴史を考える手がかりとなることを祈っています。
石田英敬