私が、この本を書くきっかけとなったのは、東京の私立麻布学園中学校・高等学校の読書クラブの皆さんとおこなった五回の課外授業でした。中学生から高校生まで、男の子も女の子も(麻布学園は男子校ですが、お兄さんにつれられて、別の女子校に通う妹さんも参加してくれました)集まって、熱心に聞いて、質問をしたり、コメントをしてくれました。
あらかじめ、ミヒャエル・エンデの物語『モモ』を読んでくることが、この授業に参加する、たったひとつの約束でした。
土曜日に集まって、私たちが日々生きている産業社会ってどんなふうに成り立っているんだろう。映画やテレビのような文化産業はどのように生まれたのだろう。メディアによって、人びとの時間の経験はどのように変化したのか。そのようなことがらを、毎回一つずつぐらいのテーマで、みんなで、考えてゆきました。
そうすると、時間とは何かとか、意識はどんなふうに生み出されるのかとか、欲望とはどんな問題なのかとか、資本主義ってどういうことなのかとか、哲学や経済学であつかうような問題にも話は拡がっていきました。
プラトンの話をしたり、デカルトの例をひいたり、フッサールの現象学が考えようとした時間の問題をとりあげたりしながら、アナログメディアやデジタルメディアが引き起こした問題とはどういうものなのかをみんなで考えていくことになったのです。
その麻布学園での授業をもとに書き上げたのがこの本です。
中学生・高校生を相手におこなった授業をもとに書いたものなので、中学生でも高校生でも読めるように書かれています。
この本は、情報やメディアと私たちの生きる社会との関わりについて説明したものですが、でも、現代の技術やその使い方についてだけではありません。現代の社会にあらわれている情報やメディアの問題を、人間の文明のなるべく大きな見取り図のなかで考えていこうとするものです。
「人間」にとってどういうことなのかを、あるときは哲学の問いにさかのぼって考えたり、『モモ』の物語や宮沢賢治の作品などの作品を手がかりに考えていきます。
本のタイトルを「自分と未来のつくり方」としたのは、僕たちが暮らしている情報産業社会では、とくに皆さんのように若い人たちが「自分」であろうとすること、「自分」になっていくことが、メディアや情報との関係と深く結びついているからです。そして、それは、皆さんが自分たちの「未来」を思い描いていく想像力のあり方とも深くかかわっている問題だからです。
最後に、この本は、いったいどんな学問についての本なのだろう、って、疑問に思うひとがいるかもしれませんね。
私は大学では、記号学とか記号論と呼ばれる学問を講義していて、情報技術を応用してメディアを分析する方法を研究しています。それは情報学と人文学のあいだをとりもつような、おそらく世の中の大人たちもまだよく知らない新しい学問の領域です。
この本では、そうした新しい研究の考え方を紹介するだけではなくて、そこで分かってきている、最新の理論や知識も分かりやすく語っているところもあります。ですから、この本は、まだこれから生まれつつある学問の探求を背景にして書かれていますが、でも決して難しい本ではないはずです。
私は、ここに述べられているようなことがらは、少し先の未来社会では、だれでもが知っていてほしいものだと考えています。だから、これは、新しい常識の本、もうすぐ来る時代の教養の本なんだ、って思ってもらえたらいいな、と考えているのです。
その意味で、この本は、できれば、大人たちにもぜひ読んでもらいたい本です。そして、子だもたちと話をしたり、家族での時間の過ごし方について、考える手がかりとして役立てていれたらいいなと思っています。
それでは、授業を始めましょう。
それでは、授業を始めましょう。
本書の一部は、東京書籍刊 『新編 国語総合』に評論文「未来をつくる想像力」として採用されています。
NHK 高校講座「国語総合」教材
未来をつくる想像力(1) (石田英敬)
未来をつくる想像力(2) (石田英敬)
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