2014年6月13日金曜日

「新たな理論展開:伊藤守・毛利嘉孝『アフター・テレビジョン・スタディーズ』書評」、『週刊 読書人』2014年6月13日6面


 『アフター・テレビジョン・スタディーズ』書評
 デジタル時代のメディア批判理論の基軸を示そうという野心的な論集が刊行された。一九九〇年代以降日本でも盛んになったメディア文化研究の学際的な動き、「メディア・スタディーズ」をヴァージョンアップし、新たな枠組みを設定しようという企てである。
 インターネットと情報端末の急速な普及、グローバル化と新自由主義的経済は人々の生活世界を大幅に変質させた。書名が示しているのは、ポスト・テレビのメディア状況だが、メディア・スタディーズの批判的射程を二一世紀の情報メディア状況のなかで受けとめ発展させようという決意表明と理解できる。
 三部構成で、全十三本の論考が収められている。どれも力作である。
 デジタルメディア時代の公共圏やデモクラシーを問う第一部では、ソーシャルメディアの時代の資本主義とそれに対抗するコモンズの実践が説かれ、クリエイティブ産業と呼ばれるようになった現代の文化産業を批判的に捉え返す新たな批判理論の見通しが語られている。あるいは、ポスト・マスメディア時代の市民社会の変化に応じた公共圏の構造転換とジャーナリズムが提起され、あるいは9・以後を踏まえたアーレント的公共性が考察されている。ネグリ・ハート、アドルノ・ホルクハイマー、ハーバーマス、アーレントといった社会理論を現代のメディア状況において賦活する企てである。
 メディア・スタディーズが依拠してきたメディア論、テクスト理論、記号論、メディア美学のパラダイムから踏み出して、ソフトウエアやアーカイブ、メディア技術に照準して、メディア理論のデジタル・シフトをはかるのが第二部である。マノヴィッチやハンセンの論文が訳出されたうえで、日本の論者によってマクルーハン理論の更新、デジタル・アーカイブと公共的理性の行使をめぐる考察が展開されている。目下、世界では、ソフトウェア・スタディーズやデジタル・スタディーズと呼ばれる研究動向が勢いを持ちつつあるが、本書に訳出されたマノヴィッチやフラーは、その代表的な理論家である。『ニューメディアの哲学』のハンセンが述べるように、キットラーやスティグレールらのメディア哲学を経由して、現在メディア理論は新たなメディア論のパラダイムを提起しつつある。その最先端の動向とシンクロしつつ本書も新たな理論的展開を目指しているのである。
 あらゆる人々が情報端末を携帯しリアルタイムで世界の情報に結びついて送受信を繰り返すという、人類史上いまだかってなかったメディアの生態系のなかで生きている私たち現代人にとって、身体と権力はどのような関係を切り結び、情動や集団心理はいかに形づくられつつあるのか。第三部では、デジタル時代の性のアイデンティティーやサイバーフェミニズムを問い、デジタルメディアのメディア・エコロジーが提起されている。文化研究の特徴は、それ自体が、ラジオやテレビの「受容」をモデル化することから作り出された「オーディエンス」論であったわけだが、メディア文化がデジタルな情報の流れのなかに成立するとき、情動のポリティクスが浮上してくる。
 メディアの批判理論の現在を知るためには不可欠な理論的達成がコンパクトに提示され、外国文献と日本の研究者の論考を編み合わせることで、理論の最前線を示すことに成功している。現代のメディア状況を考えるための格好の論集となっている。

                                   

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