2015年10月6日火曜日

石田英敬ブログ記事 第1回  「流言(ツイート)論」



せっかくブログを開設したのだから、既に公表ずみの文章の再録だけでなく、オリジナル稿も書いて載せてみようと思う。そこで、「可処分時間」に応じて、ときどき「生ブログ記事」を書くことにしたい。
但しそれなりに忙しいので定期的に実行できるか分からないが・・・
というわけで、とりあえず第1回目のテーマは、「流言論」である。


石田英敬ブログ記事 第1回 
伝わらない﷽﷽﷽﷽﷽﷽﷽﷽﷽﷽﷽﷽﷽﷽﷽﷽く、オリジナル原稿も流言(ツイート)論」

 先月、あるラジオ番組に出演した(文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」918日金曜日午後放送)。何人かのリスナーからは直後に感想をいただいた。番組放送と同時にネットではいくつかのツイートが行われたようで、帰宅後チェックした時点で、すでに様々なところにリツイートされて拡散していた。

 ソーシャルメディアが発達した今の時代ではよくあることだろう。

 そのなかでも、「きっこ」さんという一人のブロガーによる幾つかのツイートがとくにリツイートで拡散した模様である。
 そのツイートのひとつは、以下のようなものだった


 文化放送の番組はiPodキャストされたし、録音データもYouTubeで複数のサイトに上げられていた、(5分ごろからが、私の発言の該当部分である。)https://www.youtube.com/watch?v=GzeX60vC_cg


 ツイートにあるような発言をじっさいに私がしたのか確かめてもらいたい。

 断っておくが、本稿の目的は、「きっこ」さんツイートの不正確を問題視したり批判することにはない。私が興味をもったのは、このツイートの拡散現象を通じて分かったことである。

「伝わることしか伝わらない」情動のコミュニケーション

 メディア学者にとって、「伝わることしか伝わらない」というのが、コミュニケーションと向き合うときの常識である。
 コンピュータの原理を発明したバロック期の哲学者G.W.ライプニッツが言ったように、コミュニケーションの世界は、モナドロジーの宇宙である。モナドには窓がない。それぞれのモナドは聴き取りたいことしか聴き取らないし、聴き取ったことしか発信しない。それでいて、どのモナドもそれぞれの視点から他のすべてのモナドとコミュニケートして全宇宙を映し出している。

 「伝わることしか伝わらない」という法則が含意するのは、コミュニケーションとはすべからく欲望のコミュニケーションであるということだ。それを命題にすれば「聞きたいことしか聞こえない」。そこから引き出される第二命題は、「聞きたくないことこそ聞こえる 」!である。
 「聞きたいことしか聞こえない。」というのは分かりやすいだろう。「聞きたくないことこそ聞こえる。」は意外かもしれないが、「聞きたくない」内容は否定相の欲望を通して「聞きたい!」ものだからである。
 ライプニッツやスピノザはこうしたコミュニケーションの情動的な成り立ちを知悉していた。現代のようなコミュニケーションが普遍化した世界では、モナドたちが「理性」よりも、「情動」においてこそコミュニケートして宇宙を映し出していると考えるべきであろう。

Echo Chamber Cyber Cascade

 じっさい、「きっこ」さんの刺激的なツイートは、ネットにおける情報伝達の「冪(べき)乗則」に従って、あっというまに拡がり、1〜2日間のうちに数万件の書き込みが起こった。
 ネットではお互いに価値の宇宙を共有するユーザ同士が相互リンクで結びつき「共鳴」関係を創っている(これをEcho chamber効果という)。ツイートはキャッチボールで増幅され、ツリー状に拡散して、またたくまに増殖してゆく。これがCass R. Sunsteinの言うCyber Cascadeである。

 ちなみに、私自身はというと、翌19日になって(なにしろ、放送当日の18日の夜は国会前の集会に参加していたし)、ごくささやかなツイートを行った。

事後ですが、昨日「大竹まこと ゴールデンラジオ! 2015918日」に出演。発言について、やや不正確なまとめも出回っているようですので、まずこちらを聞いてください。55分ぐらいから。

「バカサヨク学者」についての書き込みが一日でずい分と増殖しましたね。元になっているのは別の方のツイートですから、正確な私の発言は下記の録音を確かめましょう。これを「原典批判」の態度といいます。ネットでの増殖は「Echo chamber効果」といいます。

私のツイッターアカウントのフォロワーは数十人オーダーであるから、ほとんど無力な葦のような「バカサヨク学者」の抵抗である。「きっこ」さんツイートにもとづく書き込みは数万件ヒットに及んだが、ラジオ番組の録音をYouTubeでじっさい試聴した件数は数千オーダーにとどまった。

 「きっこ」さんツイートは「2ちゃんねる勢いランキング」上位にも登場したし、「ニュース速報嫌儲板」などでは、興味深いディスカッションが繰り広げられた。
 「きっこ」さんツイートを、「聞きたかった」モナドも、「聞きたくなかった」モナドも、それぞれ、当該ツイートに対してポジショニングし、「当たり前だろ」から「知ってた速報」、「その工作員は何十万人いるんだよw」から「電通雇ってるって 自民党のネット番組でも何度も言ってるし 今更だな」とか、「まあ実際そうなんだろうなあ」から「陰謀論」まで、ネット談義が花ひらき、さながら、2ちゃんねる流の「議論する公共空間」が瞬く間にして現出した。
 私はそれも興味深く観察した。


構造的次元 

 ラジオ番組のリスナーが、聞きたかったことを聞き取ってツイートしたからといって、いけないとはいちがいに言えない。今回のツイートには、当該ブロガーの鋭い批評性と、したたかな「流言」戦略が込められていたのかと思えてくる。

 じっさい、その後起こった大量の書き込みのなかでは、「ネトウヨ」ピープルによる幾つかの反省的議論も花咲いたようであるし、似た事実を裏書きする証言風書き込みも散見された。さながら、「窓のないモナド」としての「ネット右翼」たちのコミュニケーション空間の「エコグラフィー」が撮れたようなものである。

 「きっこ」さんツイートが「明かした」事実は、決して論理的に不思議なものではない。
  自民党によるネット戦略については、事実面での突っ込んだレポートとしては、例えば、以下のブログ記事およびそこで言及されている資料を見るとよい。

 私自身はメディア研究として、Marketingの歴史的研究も行ってきているし、現代政治におけるPolitical Marketingの技術とその実践のサーヴェイも、また日本における「政治マーケティング」の動向を含めて一定の調査もしている。
 だが、厳密にいえば、私の専門的研究領域はそこではない。

 私のメディア学が照準しているのは、そのような政治マーケティングやPRあるいはプロパガンダ活動の「事実的(ベタな)」問題というよりは、より「構造的(メタな)」なレベルである。

“Those who manipulate this unseen mechanism of society .. “Ed. Bernays

 「きっこ」さんツイートの後半にいう、「下からのファシズム」は、ネットが「ボトムアップ型」のコミュニケーションであることを指している。
 二〇世紀のマス・メディアが独占してきたコミュニケーションのテクノロジー基盤を、デジタル革命の進行とソーシャルメディアの発達は社会のボトムにまでもたらすことになった。
 新しいコミュニケーション手段は、それまでトップダウンで降りてきていた、マス・メディアによるコミュニケーションの独占に対抗するコミュニケーションを活性化させる。技術的な民主化は、しばしば、メッセージ内容においては、抑圧されてきた鬱屈した感情、社会的不満やストレス、言説化を抑えられてきた情動と結びつき、ポピュリズム的傾向をもつ。これが「下からのファシズム」である。
 「上からのファシズム」というのは、政権政党と支配層のなかで進む「保守革命」である。「下からのファシズム」に呼応しつつ、与党内での穏健保守やリベラル勢力を駆逐し、これまでの保守支配層においては正統的とはいえなかった「非伝統的保守」がヘゲモニーを握る。「トップダウン型」の「上からのファシズム」の政治コミュニケーション戦略が降ろされてくるのである。
 メディア革命による下からのファシズムと、支配層の再構造化による上からのファッシズムとの呼応関係、このようなメディアと政治との大変動は、じっさいに、100年前のアナログ・メディア革命においても起こっていたことに注意しよう。二〇世紀初頭の
アナログ・メディア革命による映画やレコードの普及、軍事技術であったラジオ放送の開放とその急速な発達は、大衆(マス)の情動的動員を可能として、全体主義(ファシズム、ナチズム、共産主義)をもたらした。
 コミュニケーションを通して、社会をコントロールするテクノロジーは、戦時には「プロパガンダ」、平時には「PR(パブリック・リレーション)」と呼ばれて、大衆操作の技術として確立されていった。その立役者は、ジグムント・フロイトの甥エドワード・バーネイズ(Edward Bernays)であり、そのノウハウの核心となったのは、フロイトの「集団心理学」だった。
 それから100年を経て、いま歴史はやはり同じサイクルを繰り返していることに、私たちは警戒心をもってよく注意の目を向けるのでなければならない。

関連記事:
http://nulptyxcom.blogspot.jp/2015/09/blog-post_25.html

http://nulptyxcom.blogspot.jp/2015/09/20150911.html

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参考:

1. ウンベルト・エーコ 『永遠のファシズム』和田忠彦 訳 岩波書店 1998 

  The New York Review of Books June 22, 1995
  http://www.nybooks.com/articles/1856

3.  エドワード・バーネイズ プロパガンダ[新版]』中田 安彦 訳  成甲書房  2010

4. PR の心理学,心理学の PR 1 ― エドワード・バーネイズと心理学の大衆化」、『立命館人間科学研究』,27,75-89,2013

5. Stephen Bender with additional text by Brian Awehali
“PROPAGANDA, PUBLIC RELATIONS, AND THE NOT-SO-NEW DARK AGE”

5. ベルナール・スティグレール「『国民戦線』の治療法:世界の右傾化をいかに超えるか」(聞き手、解説 訳 石田英敬)、『世界』、岩波書店、No.859, 20148月号, pp. 122-131






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