初出は、「瀕死の『人文知』の再生のために: 教養崩壊と情報革命の現場から」、『中央公論』、中央公論新社, 2009年2月号、pp. 52-59
ブログ版テキストは、著者草稿により印刷版とは異同があります。)
人文学者に未来はあるのか
― 教養崩壊と情報革命の現場から
石田英敬
日本の大学を取り巻く状況は、一九九〇年代以降めまぐるしい激変を経験してきた。大学の運営形態が変わり事業評価の対象とされ、COEのような競争的研究資金の獲得、産学連携などに取り組むようになった。大学が「知識社会」の基幹に組み入れられ、「評価」と「競争」にさらされる時代が到来したのである。
大学と「文化」との関係も大きく変化してきている。
文化の大衆化や消費社会の進行が大学の
変容を引き起こしていた時代はすでに遠い過去のものになっている。数年前、決して論旨がまともに読まれたとは思えないある論考で、消費社会における文化産業支配と古典的教養を論じ、東大の大学院生が「ドストエフスキーの名」を知らなかったと報告したとき、ちょっとしたスキャンダルと受けとめられた(「〈教養崩壊の時代〉と大学の未来」『世界』〇二年十一月号)。
しかし、例えば現在のように「希望のない社会」の現象が進行する時代にあって、
まさしく、その「ドストエフスキー」がベストセラーになり、カミュの『異邦人』を思わせるような「実存的犯罪」が人びとの不安を増幅させるというような現象は、時代の空気を映すものではあっても、古典的教養の復権をまったく意味しないだろう。「教養」や「文化」の「自己治癒」などありえない。『蟹工船』がベストセラーになったからといって、「共産主義」が見直されていると考えることができないのと同じである。
六年前すでに強調したのだが、「教養崩壊」は、「知の回路」の問題なのだ。社会の「メディアの回路」と、大学の「知の回路」をいかに結ぶかを、大学はテーマにすべきだ。教養形成の回路を自ら作ることによってしか、「教養崩壊」は食いとめられず、「大学の知」は「梗塞状態」から脱することができないとも述べていたはずである。
じっさい、ポスト・グーテンベルク、ポスト・ナショナル、ポスト・モダン、ポスト・ヒューマンなど、幾つもの「ポスト」を重ねることで、ようやく定義される「知」の状況は、まさに大学においてこの二〇年間で急激に進行した。かつてのグーテンベルク的(=活字文化的)で、ナショナル(=英文学や、フランス文化や、国文学といった)で、モダン(=近代啓蒙主義的)で、ヒューマン(=教養主義)な「大学」など、もはやどこにもない見あたらないといっても過言ではない。
情報テクノロジー環境が九〇年代以降急激に変化したことは、大学にとって決定的なファクターである。大学が情報革命の波に呑み込まれ、知識産業社会に組み込まれたことを、良くも悪しくも前提とせざるをえない現在、あらためて大学の知とは、教養形成とは、という根本的な問いが回帰してきているのである。
人文学者は時代遅れの僧侶か
こうした大学をめぐる環境の激変のさなかで、変容の中心にあって、しかも、なすすべなく取り残されつつあるかにみえる知の領域がある。しかも大学の知の基幹をなす「屋台骨」にあたる部分である。私自身がその分野に属しているので、以下は自分にとって厳しい診断になるのだが、私が語りたいのは、大学における人文科学、人文系の研究のマージナル化である。文学、言語文化、歴史、哲学や思想などの分野、およびそこから派生した、より新しいさまざまなネーミングをもつ研究分野のことである。
こうした分野にいま元気がない。それが大学における「人文知」、さらには文化における「教養」の後退と結びついているように思える。「人文知」とは、「文献と文化の研究を通した普遍的価値の追求」とでも定義できるもので、「人文科学」はまさにその直系の学問ということになる。
外在的要因については、だれでもが容易に想像できるはずだ。法人化後の大学において、人文系には「外部資金獲得」など望みようもない、と思われている。人文学者たちは、活字文化においては「スペシャリスト」であっても、情報テクノロジー革命における「弱者」である(「老人・子ども・人文系」と揶揄されたりする人びとが、グーグルやウィキ・ペディアと競争して、どのような展望があるというのか)。
しかし、そもそも、「人文科学」自体が、より内在的な「危機」に見舞われている。いまや、「構造主義」や「ポスト構造主義」や「ディコンストラクション」や「カルチュラル・スタディーズ」といった「人文科学が輝いていた」時代ではない。人間の精神や文化の研究は、認知科学や脳科学や情報科学に認識論的主導権を奪われて、人間科学の「自然主義化」に屈してしまった感さえある。
人文学者とは、時代に取り残された「僧侶たち」なのか。彼らが内向し、「美しき魂の弁証法」に閉じこもっているようにみえるのはそのせいなのだろうか。本稿では、「人文知の危機」を、つまるところは、「人文学者たちのうちなる教養崩壊【ルビ:インプロージョン】」を提起して考えてみることにしよう。断っておくが、ときにアイロニカルな語調を帯びるかも知れないが、決して冷笑することが目的でない。むしろ、人文学者たちよ、自負を取りもどせ! 「大学」を、「知」を、もういちど強く想像せよ!というのがここでのメッセージである。
教育現場で起こっていること
まず、いま大学教育において「人文知」は、大学でどのような役割を担っているのか。いかなる意味で、他の知識教育では代替不能と考えられるのか。それを探ってみよう。そもそも大学はすべて同じであるわけではない。とくに今述べてきたような、九〇年代以降大学間の「格差」は確実に拡大し、カリキュラムの名目的な「共通性」さえない時代である。以下では、まず教育の面から、私自身の「人文知」教育の実践を述べることから始めよう。もちろん、研究を述べる場所ではないから、「人文科学」の中身には立ち入らない。
私は、学部前期・学部後期・大学院の三つのレベルで毎年授業を担当している。教養学部前期では語学(「仏語」)と総合科目(「記号論」)、教養学部後期では学科科目(「テレビ文化論」)、そして本郷と駒場の二つの大学院(学際情報学府と総合文化研究科)で基礎科目(「文化人間情報学」)・専門科目(「テレビ記号論」と「情報記号論」)の講義を担当している。私にとって「語学」は文字通りの「人文知」の基礎、「記号論」は「新しい文字の知」の実践であり、「テレビ記号論」や「情報学」の研究は、「新しい人文学」の試みという位置づけをもっている。
「人文知」の養成は、「学部」レベルと、「大学院レベル」の二つでは、まったくちがう取り組みを求められているといえる。大きくいえば、「学部」は、「人間」を育て、「大学院」では「知」を育てる。
学部教育――ひよこたちのケア
東大のような大学でも、難しい試験を勝ち抜いてきたからといって、それらの集団がそのまま「エリート」というわけではない。大学は「知的エリート」(「東大憲章」のいう二一世紀社会の「市民的エリート」)としての「エートス【心的態度】」を築く必要があるのである。それは古典的には「文字のエートス」をつくることから始まる。入学試験を勝ち抜いた子どもたちが、そのまま多くの書を読んで知識豊富であり文字のエートスを身につけているわけではない。まさに「文字」から教え直し、育ってきた社会階層や家庭環境を超えることができるような「学校ハビトゥス」を植え付けることがめざされるのである。そのとき初めて「学校エリート」が「制度」よって、生み出される。現在の「社会」にはそのままで「教養形成」能力はないから、一から子どもたちに教えることが必要である。「教養教育」とはまさに、「学校ハビトゥス【性向】」の形成のプロセスである。それは東大では、伝統的に(旧制高校以来の)「教養学部(コマバ)」の役割である。
例えば、私は、コマバの教養前期では、語学(フランス語)と記号論を教えているが、この文脈に則していえば、正統的な「文字の教師」である。なにしろ文字通りABCから教えるのだから。
週二回、一年生の三五人ばかりの同じ学級を通年で教える。日常的な「ケア」を施す場面である。第一線の研究者である教師が、右も左も分からない新入学生たちの「文字の教育」を受け持つ。プロ選手が少年チームとキャッチボールするようなものだ。生徒たちにとっても「学問のハビトゥス」に接する実地の場面だが、教師にとっても毎年、ルーキーたちの現実に触れ、大学の現況を見渡すよい機会だ。私は、「ひよこクラス」と呼ぶ、この授業がかなり気に入っている。
ひよこたちを育てるには、少人数に時間をかけて語りかけるのでなければならない。週二度対面していれば、子どもたちの名前は覚えるし、話しかけることもできる。
授業では、「しつけ」を行う。「ディシプリン」の実践だが、頭ごなしはいけない。ユーモアの実践を心がける。帽子をかぶったやつがいたら「クールハンターを知っているか、行儀が悪いのかがカッコイイというのはマーケティングの論理なんだぞ」と説明すると次から被らなくなる。机につっぷして、眠りかけているやつがいると「眠るな!死ぬぞ、ここは冬山と同じなんだ、眠ると知の遭難者になってしまうぞ」といって眠りから起こす。このような日常的な「接触」によって「ひよこ」たちを「ケア」することから教育は始まるのである。
授業では、できるだけ「雑談」を取り入れる。長年の教育からえた結論は、教養の教師はなるべく雑談すべし、雑談をとおしてこそ「ひよこ」たちは大学の文化に慣れ教養にちかづくことができる、というものだ。パワーポイントなどではなく、「黒板」を使って汚い字で板書する。予備校などで清書された文字に慣らされた、ひよこたちは、読めないなど文句をいうが、「汚い文字を判読できればきれいな字は自動的に読める、逆は、不可能だ」と教えてやれば、そうなのかと文句は言わなくなる。
ナマであること、コンタクトや即興が、重要だ。厳しい選抜を勝ち抜いてきた学生の能力レベルには問題はない。じっさい、うなるようなレポートを出してくる学生が年にかならずいる。
「ケア」が「カルチャー」をつくる。人文学者は専門的学者というのではなく「普遍」の「専門家」というパラドキシカルな存在なので、「ケアの人」に徹するべきなのである。大学では、それぞれの教師の「知の触媒」としての教養形成能力が問われているのだと思っている。
学部後期でも、基本は、こうした意味での「エリート教育」であるべきだ。現在の学生たちは、余りに多くの情報にとりかこまれている。しかも、「教養」の序列化がくずれた世界だから、どの道をゆけば何がまちうけているのかの予測は、私たちが若い頃と比べてはるかに不透明だ。大学4年間で自分のやりたいことの方向を定めることができるかどうか、それが課題である。
文科系の学生の研究は、卒論づくりに収斂する。メディア論系の卒論を書きたがる学生が多いのだけれど、卒論は、「青春の墓標」(『知の論理』における船曳建夫の言)なので、将来思い出したときに、ああ自分はこういうことを考えようとしたのだと回顧できるぐらいの「普遍性」をもつテーマに取り組むように勧めている。そのためには、文科系であれば、やはり原書が読め、古典を少しは読み込んでいて、比較的古典的な教養形成をめざすことが妥当だと私は思っている。
大学の四年間はあまりにも短い。企業関係者には、「就活期間」の前倒しはぜひやめてもらいたい。現在の三年次までの就職活動の前倒しは、企業関係者にも大きな困惑のもととなっている。大学を四年間で社会に出ようとする学生には、まじめで成績もよい、大学を出てしまうにはもったいないと思える学生が多い。そうした彼・彼女が、せっかく始まった教養形成をひどく中途半端なかたちで中断せざるをえないようでは、長い目で見て、本人ばかりでなく、企業や社会にとっても大きな損失である。「教養」とは、個々人が自律的にじっくりと物事を考え、合理的に判断をくだしていくための、人生の「元手」である。その「知的キャピタル」を十分に蓄積せぬままに、社会生活に漕ぎ出せば、自分自身の能力の持続可能性に限界がうまれることは目に見えている。産業構造の変動が激しく、技術のサイクルが短期間に変動し、つぎつぎと革新が起こっている現代世界であればこそ、「使い捨て」にならないよう、ある程度の基本的な「知的バゲージ」を携えて世の中に出ていくことが望まれるのである。
学部レベルでは要するに、大学の教育とは、教養によるハビトゥス形成を軸とした「普遍的な人間」づくりである。これは基本的に今も昔も変わらない古き良き「啓蒙」の図式を出るものではないではないといえる。昔に比してテーマが「専ら西欧中心的」ではなくなったこと、メディア研究や文化研究などの学際的テーマをえらぶ学生が増えていることぐらいが傾向の違いである。
ハイブリッド化する大学院
「学部」が、どちらかといえば十九世紀啓蒙主義的な「教養形成」だとすれば、「大学院」は、あらゆる意味でのハイブリッド化とチャレンジの場であってほしい。そして何より構成員が、教師も生徒も、皆アプリオリに「大人」として振る舞う場であってほしい。九〇年代以降の東大大学院には、学部レベルとはまったくちがった知識状況がある。学部と大学院との接続は自明ではないから、他分野からの進学者も多い。他大学から集まってくる学生も多い。新卒も社会人も混じり合って年齢もまちまちだ。そのなかで、研究を発展させ高度な人材養成能力を保つ教育を実現するにはどうしたらいいのか。それが大学院教育の挑戦である。キーワードは、「分野横断」と「ハイブリッド化」である。
私が九〇年代初めに大学院重点化に参画したころ(総合文化研究科言語情報科学専攻の創設)、東大としてはほぼ初めて「社会人」入試による受け入れを導入した。大学人の方にその準備ができていたかとなるとはなはだ心許なかった。しかし、草創期の「社会人院生」たちの志気は高かったし、じつに多くのことを大学にもたらしてくれた。
当時、私のゼミなどは、私よりも年上の院生ばかりが占めていた時期もあった。それらの社会人院生は、「入院」を機会に、新しい仕事の展望を開くことで、それぞれのキャリアアップや転職に成功した例が多かった。「社会の知」と「大学の知」が接することで、新しい知のパースペクティブがじっさいに生まれた。私の研究室の視点からいえば、情報メディア研究や知識社会論へと至る現在の研究の展開は、こうした新しい大学の実験への参画がなければ絶対に起こらなかったものだ。あるいは法人化後に、民間企業と共同研究プロジェクトを推進するなども、こうした制度変化がなければ決して起こらなかっただろう。一見、社会的な応用可能性などないように見える「ピュアな人文科学」の研究であっても、幾つかの「書き換え」と「知の変換」のプロセスを介在させれば、「社会の知」と接合できると、私が信じるゆえんである。文学も、活字も、テレビもITも、同じ「人文科学/人文知」のスキームで扱えると、今は考えられるようになったのである、
学際的研究をうたう大学院の場合、すでに教師や研究者のレベルで、「共通言語」の問題に出会う。文系と理系という大きな違いだけでなく、すでに言語科学と言語文化や文学研究といった人文科学の個別領域間においてすら、論文の書き方も違えば、生徒指導についてのやり方もちがう。そうしたお互いの分野の垣根や壁を経験することで、「大学」の姿が見えてくる。あるいは、お互いに仕事をともにすることで、相互の「文化浸透」がすすんでいく。自分たちのジャーゴンのなかに閉じこもるな。自分たちの学問の既存の体系に閉じこもるな、そのようにつねに求めつづけられる。
他の分野の知の体系を読み込める能力、ある種の「転換」能力、「翻訳」の能力、「ネットワーク型の知」の能力を教師も学生もともにもつ必要があるのである。
大学は、決して「専門的領域知」を伝授するだけの場所ではないのだ。もっとしなやかな「生きた知」がそこでは要求される。知の「触媒」となることができる力である。社会の知を大学の知に読み替える力、大学の知を社会と出会わせることができる一種の「プロデュースの力」が必要なのである。それを「高度な知識リテラシー」と呼んでもいい。あるいは、それこそ「新しい人文知」とも呼ぶべきものでもあるともいえる。
教師にとっても生徒にとっても、「教養」はここでは、学部とは違った「役割」を求められる。自身のよってたつ知識体系の「条理」に自覚的になること、他の分野との境界にあってそれを「相対化」しうる「視点」を持つこと。現在の大学院の教師と生徒には、多くの「大人」としての「能力」が求められることになる。
私たちの国における大学院大学の歴史はまだ浅く、とくに教育ノウハウの蓄積は貧弱である。だから、政策的にも技術的にも、この部分に集中的な資源配分を必要としている。
まだ試行錯誤の段階だが、さまざまな取り組みが行われてきている。例えば、大学院にも「基礎教育」が必要である。他の分野や他の大学から進学してきた人びとには、「知識の体系」を提示して、「基本文献の講読」をいかに行わせるかという課題がある。私たちが一〇年ほど前から立ち上げている新しい大学院では、ITをつかった知識ネットワークづくりや文献講読サイトを設置するなどする試みを行っている。まだ数少ない研究者で試みられている段階だが、それは、「新しい人文知」をITベースで立ち上げる企てという性格をもっている。
「人文知」の再定義の時代へ
以上は、具体的に「人を育てる」視点から、あくまで「リアル」な教育の場という特殊な文脈のなかにおかれた大学における「人文科学/人文知」の状況である。幾つもの逆説を含んだ実践であることも多少は分かっていただけたかと思う。「学部」では「古典的な人間形成」であり、「大学院」では、「学際的なネットワーク型の知」であり、というわけだからパラドキシカルで困難な状況であることは間違いない。しかし、それこそが、私たちの「知の大空位時代」の特徴なのかもしれない。そして、その「空位」の行方を定めるのも「人文科学」の革新であるかもしれないではないか。他方、現在の社会では、大学は、そのような「知のハビトゥス」形成の「密教的(エゾテリック)」な場所として留まっていることはできないことも事実だ。大学には、「人」を育てるという役割のほかに、社会の知識空間における「知」を公共的に担保するという役割が存するからだ。
いま世界には様々な情報が氾濫し、ネットには膨大な知識が溢れている。あらゆるところに知識はあるが、しかし、本当の知識が見つかるかといえば、疑問符がつく。「知識社会」が言われる社会になればなるほど「知の専門家」を必要とし、「知」を「保証」している「公共の場所」が情報ネットワーク社会のなかには求められる。
情報が氾濫する世界において「確かな知識」の担保者となるのは、「大学」の「ヴァーチャル化時代」の「責務【ルビ:ミッション】」ではないのか。それは、「社会」と取り交わす「大学の約束」に含まれるのではないのか、私はそのように何人かの同僚とともに考えている。図書館・博物館や公共メディア機関やその他の文化機関と並んで、「大学」は「知の公共性」の担保者となるべきだと考えているのである。
じっさい、そうしたプロジェクトがさまざまなかたちで世界で進められていることを皆さんはご存じだろうか。日本の主要大学も加わっているMITのオープンコースウエアや、NEP(NewEncylopedia Project)のようなプロジェクト、東大の「知の構造化プロジェクト」などだ。
知をクリティークしうることこそが「人文学者の仕事」であったはずだ。グーテンベルクの銀河系においては、その社会的企ては、ディドロ・ダランベールに代表されるような、「百科全書」のプロジェクトとして実現した。知識と情報の流れが、現在のように爆発的に拡大し、知のサイクルが新しい回路を描きつつある現在、「新しい百科全書」のプロジェクトが世界各地でさまざまなかたちで提起されることには理由がある。また百科全書(エンサイクロペディア)と大学との結びつきは、近代においてベルリン大学モデルとしてもよく知られたものだ。
詳細を述べる紙幅は残されていないが、こうした百科全書と大学の問いの回帰に、別様に、応えることこそ、現在の局面において、大学に求められる旧くて新しい使命であると、私には思える。
その中心を占めるのは、メディアが遍在する時代における大学と社会との関係の「再定義」の問題である。情報や知識が希少であった時代の啓蒙ではない。あらゆるところに情報が遍在し、実世界そのものがデスクトップ化する時代、情報と知識が過剰に氾濫する時代において、「知の新しいサイクル」をめぐる問いが提起されている。
現代の文字は、活字で書かれているとはかぎらない。映像や音声で書かれていることもあるし、ディジタルな文字で書かれていることもある。それら、すべての「文字」の「リテラシー」の「専門家」が「人文学者」であるとしたら、それは必ずしも、これまでのように各国の「文化」、「文学」や「言語」の専門家とは限らないかもしれない。その「文字」の専門家たちが、従来の「文学研究者や人文学者」でありつづけるのか、それとも、別の養成をへた、新しいプロファイルの人びとであるべきなのか、あるいは両者をつなぐ制度を含めた発明を必要とするのか、それらを真剣に議論すべき時が近づいているようなのである。●
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