2016年2月15日月曜日

北海道新聞コラム「各自核論」2016.02.13

北海道新聞コラム「各自核論」2-16.02.13



「メディアと政治」

    権力介入に監視の目を

 安倍自民党のメディア戦略は相当に狡猾で組織的である。政策はつねにメディア戦略と表裏の関係で打ち出され、選挙を意識してプランニングされている。
 自民党の対策チームは、ネットの動向をつねにウォッチしているし、独自の世論調査にもとづいて政治プログラムのタイミングを見計らっている。小泉時代のような政治家個人の資質ではなく、大手広告代理店がつき、専門家集団が組織として実行しているメディア戦略なのである。
 そのような政治のあり方は、国際的には現代政治の常識ともなっているプロパガンダ広報技術なのだが、問題なのは、野党や市民社会やメディア・ジャーナリズムが、受け身の対応に終始して、いいように「なされるがままになっている」ことである。
 「アベノミクス三本の矢」にしても、「女性が輝く社会」にしても、「一億総活躍社会」にしても、メディア・ジャーナリズムは、アジェンダ(政策課題)を鵜呑みにせずに、もっと、それらのプロパガンダとしての側面を鋭く分析して、政府自民党のメディア戦略の狙いを示すべきである。
 他方、そのようなある意味で「巧妙」なメディア戦略と並行して、「粗暴」なメディア界への介入の際立っている。
 それは、二〇一四年にNHKの会長に、安倍首相に近い、放送法の基本をもわきまえていない人物を任命し、側近を経営委員に据えて、公共放送に公然と介入をおこなったことに始まった。
 同じ一四年には、「従軍慰安婦」報道と福島原発事故「吉田調書」報道をめぐって起こった「朝日新聞」問題では、首相に近い右派メディアによる朝日バッシングが沸騰し、新聞ジャーナリズムの存立が問われた。
 昨夏には、安全保障関連法案をめぐって、国会の内と外で近年にない政治的な対決が繰り広げられメディア界の論調も二分されたが、その間にも、やらせ問題やコメンテータの発言問題をきっかけに、政府自民党によるテレビ界への介入が目立つようになった。
 その結果、衆参ダブル選挙もささやかれ、憲法改正が争点として浮上しつつある、今夏の参議院選挙を控えて、リベラル系とみなされるテレビ局のニュース番組で、キャスターがいっせいに交替するという奇妙な光景を私たちは目にしている。
 実際、NHKの「クローズアップ現代」は、二十年以上継続してきた社会報道番組であり、テレビ朝日系列の「報道ステーション」は、一九八五年開始された久米宏の「ニュースステーション」を受け継いだ報道番組。TBS系列の「News23」は、一九八九年開始の『筑紫哲也ニュース23』を受け継いできた看板番組である。これらは、日本のテレビ・ジャーナリズムの屋台骨を支えてきた代表的な報道番組である。
 「クローズアップ現代」の国谷キャスターは、日本のテレビでは数少ない、外国要人への直撃インタビューもできる実力派のテレビジャーナリストである。「報道ステーション」の古館キャスターの番組は、多様なコメンテータによる立体的な構成が売りであった。ところが、「News 23」の岸井キャスターに対する右派キャンペーンのように、現政権に近い右派勢力からの攻撃のなかで起こった、それぞれの番組の模様替えである。
 昨年来、自民党は、NHKやテレビ朝日を呼び出して聴取を行うなどのほか、NHKと日本民間放送連盟でつくる「放送倫理・番組向上機構」(BPO)について政府が関与する仕組みの創設を検討するなどの介入を行ってきている。
 それぞれの番組の個別の事情は異なるのであろうが、この二、三年来の第二次、第三次安倍政権とメディアとのマクロな流れからいえば、今回の動きは、明白にジャーナリズムの自律性を抑制する力学のなかで起こってきているものであるといえる。
 巧妙な広報戦略により政権党が一人勝ちし、メディア界が露骨な介入により「自発的隷従」に追い込まれる。そのような閉塞に陥らぬためにも、メディア関係者も市民も、十分な監視の眼差しを現在起こりつつある権力とメディアの問題に向けるのでなければならない。

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