憲法改正が徹底的に争点から隠され、参議院選挙そのものについてさえ報道が極端に少ないなか、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」(以下「市民連合」)が全国各地の市民の動きと連携しつつ実現した、全国32の1人区における野党統一・市民連合推薦候補のうち11名が当選を果たした。福島と沖縄という重要な選挙区において安倍政権の現職大臣2名を落選させた。これは野党共闘という新しい取り組みが一定の成果を上げたものといえる。さらにこれまで保守基盤の強かった一人区においても、当選まではいたらないまでも、善戦をはたした選挙区も少なくなかった。3年前の参議院選挙では、野党候補が当時31あった1人区でわずか2議席しか獲得できなかったことと比較すると明らかだ。また複数区や比例区においても、広汎な市民が自ら選挙に参加し、野党候補を押し上げ、一人区も含めて3年前の参議院選挙(野党4党で28名)と比較して一定の前進(野党4党で43名)を成し遂げた。
「まず三分の二を取らせない」という目標はわずかに達成できなかったが、しかし、これからのこの国の政治の展開は、必ずしも、安倍自民党に有利というわけではない。
「アベノミクス」がすでに崩壊していることは、すでに常識である。経済界をふくめて、多少とも日本経済の実態に知識をもつ者であれば、政権の金融・経済政策が壊滅的な局面に向かっていることを知らぬものはない。戦況が悪化して敗北を重ねているにもかかわらず、事実を覆い隠し戦況は好転していると強弁し続けた「大本営発表」とまったく同じことが、戦前と同じイデオロギーの持ち主たちにより繰り返されている。その現実が人びとに知れるより前に、「経済」を争点と偽って選挙キャンペーンをおこない、「改憲」策動を隠し、一定の支持のとりつけに成功したかに見えるのが今回の結果である。
しかし、これからはアベノミクスの金融経済政策の破綻が明らかになっていく。矛盾が噴出して、人びとの経済社会生活が圧迫されていく。社会に不安や不満が拡がっていくことになる。私たちは今後近いうちに拡がっていくこの困難な状況に備えていく必要がある 。
市民社会は再生と新しい原動力への芽を育てつつある。
一年前と比較してみよう。
一年前の春ようやく国会前に集まり始めた人びと。若者たち。そこから、安保法制に反対する巨大なうねりが拡がっていった。SEALDsを初めとする若者たちによる直接行動の文化の革新が起こった。人びとが普通にデモに出る社会が拡がっていった。何十年ぶりかの直接民主主義の文化の更新が起こったわけである。それは、グローバル化する世界のネオリベラルな秩序に対抗する、台湾「ひまわり学生運動」や香港「雨傘革命」やヨーロッパの「ポデモス」や「ニュイ・ドゥブー」やアメリカのサンダース現象などと呼応する民主主義の更新の新しい動きが、日本でも確実に拡がっていることを示した。
今回の参議院選挙では、「市民連合」がアクターとなって、一人区の「野党統一候補」が実現したことも、市民社会の力が確実に育ってきていることを表している。そして繰り返すが、11の選挙区で野党候補を勝利させることに貢献した。
東京地方区では、「俺たちはできる! Podemos!」と「選挙フェス」というイベントを定着させた「三宅洋平」が25万票を獲得した。まだ議席には届かなかったが、フェスには毎回数千から1万という多くの人びとが集まった。三宅候補の演説の言葉の力、「ベーシックインカム」、ピケティのいう「富裕税」をアジェンダ化しようという主張は、これまでにこの国では明らかに主張されてこなかった政治的な意見が拡がっていくことを予見させる。世界の政治潮流を見れば、そうした主張は一定の説得力をもって人びとに支持されつつある。その面でも、我が国の市民活動の政治文化の更新を確認することができた。
だから、したがって、政治状況は決して後退局面にあるというわけではない。
いま新しい政治の革新の動きが、確実に拡がりつつある。
このままファシズムに押し流されるのか、新たな力を付けつつある市民社会の動きが、民主主義の再生をもたらすのか。
これからが立憲民主主義の未来にとって、真の正念場である。
2016.7.14 石田英敬
0 件のコメント:
コメントを投稿