詩学のポリティクス5
<石庭にて>
「石をたてんにハ、まづおも石のかどあるをひとつ立おゝせて、次々のいしをバ、その石のこはんにしたがひて立べき也。」(『作庭記』)
「美しいひとつの環のように、俳句はおのれ自身のうえに自らを閉じ、跡づけられたかにみえた記号の水脈は消え去る。何も手に入れられたわけではない。語の石は何のためにでもなく投げられたのだ。意味の波も流れもおこりはしない。」(ロラン・バルト『記号の帝国』)
1. <タブラ・ラサ>
世界をタブラ・ラサすること。時間から、空間を切り取り、永遠に向かい合うこと。ここ、大徳寺境内の石庭には、別の時間が、“永遠”に似た時間が舞い降りている。白壁に囲まれて世界から切り取られた空間。リズムをつくり出すよう配列された石たち。箒により跡づけられた砂の流れ。それが、どのように聖なる場所、山、河、海をかたどっているといわれようと、石庭は世界のミニアチュアであるわけではない。山水の庭が、世界のミクロ・コスモスであるとすれば、石庭は、むしろ世界の表象を無化し、表象自体から精神を解き放つための装置なのだ。
いま、この石庭には、明るい三月の光が舞い降りて、椿の木々にはシジュウカラたちがさえずって枝を渡っていく。世界の時間から空間をを切り取ること。しかし、滑らかな思考の処女なる表面をとりもどすためにではなく、世界との結びつきに絡まりあった「多くの襞の絡み合い(コンプレックス)」の結ぼれをときほぐすこと。それは、コンプレックスの襞をのばし、滑らかな表面を回復することではなく、それをただ実体のない襞としてたどる想起から始まるのだ。
白壁の向こうの植え込みの枝枝ではシジュウカラが渡っていく。遠くの竹林では強い風に、竹たちが打ち合う乾いた音がときどき響いている。しかし、光はしずかに柔らかく降りそそいで、白い砂をほのかにその少し暖まった粒子で混ぜ合わせている。石たちのつくる基本的なリズム、その流れと形は、生まれると同時に、しかし、石としての不動、無機物としての無時間に引き戻され打ち消される。形の成立であると同時にその消去でもある、形象の運動であると同時にその運動の停止でもある、記号の連想の発動であるとともにその停止であり、その無である、そのような、パラドキシカルな記号の生成と無化の装置として、石も砂も、砂の上に描かれた文様も、壁囲いもここでは機能しているのである。
砂の上に描かれた文様はむろん何かを表しているわけではない。白砂の無数の微粒子は、形象をかたどることに協力すると同時に、一方でそれを崩そうとしている。生まれでようとすると同時に消去されかかっている記号は、ここでは、どこにもその実体をもたない形象としての自らを指さしているのだ。たしかに、石庭には、「ロールシャッハ・テスト」に似た連想を誘発するメカニスムがある。しかし、それは、たんに連想を誘い出すという働きだけではなく、むしろ、連想を「解く」こと、連想を石や砂といった無機物にもどすという働きをしている。形の成立であると同時にその消去でもある、そのような、ありえない記号の生成と消滅の場として、どこでもない場所を成立させているのだ。「治癒」として効果は、まさに、このような働きからのみ引き出される。表象が流れはじめると同時に、停止してしまう庭。運動とその停止とが同時に引き起こされる場所。石の庭は、そのようなパラドキシカルな働きによって、ある固有な解放をもたらすのである。
だから、このように世界から切り取られた庭は、世界をたんにタブラ・ラサして、消去してしまうのではない。記号を消し去るのではなく、記号のはたらきにおいて世界の表象を無化すること。エクリチュールに還元することとは、純粋な意識の原初の現前へと空間を立ち返らすのではなく、記号の痕跡がおこなう無化のはたらきへと世界をもどすことにある。それこそが、石庭の記号論的原理であるといえるだろう。
2. <無の記号の庭>
バルトの『記号の帝国』は、石庭の写真図版を、俳句をあつかった四つの断章の真ん中に挿入している。そして、その東福寺の庭の写真には、バルトの肉筆で、次のように書き込まれている ---
禅の庭 --
「いかなる花も、いかなる足あともなく、
人間はどこにいるのか
岩石の搬送のなかに、
箒の掃き跡のなかに、
エクリチュールの仕事のなかにだ。」
<西洋>とくり返し大文字で名指されている「意味の帝国」からの治癒として書かれたこの書物において、<日本>ととりあえずは名づけられた「記号の帝国」の空虚な開口部にひらかれた「禅の庭」。その石庭の図を、俳句という<詩>についての四つの断章が取り巻いている。俳句をめぐる、「意味の侵入」、「意味の免除」とタイトルを付された前二つの断章から、「偶発事」、「こんな」という後ろ二つの断章へといたる、バルトの<俳句の詩学>をいわばイラストするように、この「エクリチュールの仕事」の光景は挿入されている。このテクストの配置自体が、「禅」と「俳句」と「エクリチュール」をめぐって、俳句の詩学を、ひとつの<石庭の詩学>として語ろうとしているのである。じじつ、バルトが、石庭のメタファーにおいて、俳句という<詩>を読もうとしていることは、本稿の冒頭に引いた、俳句についての四つの断章の結語(「語の石は何のためにでもなく投げられたのだ。意味の波も流れもおこりはしない。」)に明らかなのだ。
やや先回りして、この<俳句>と<石庭>をめぐる問題系のアウトラインを引いておくと、およそ次のようになる。<日本>という「記号の帝国」を構成している記号のシステムを描くことが、この本では終始めざされているのだが、方法論的な論点をめぐる最初の幾つかの断章を除いて、他の箇所では、料理にせよ、都市にせよ、儀礼にせよ、身体技法にせよ、あるいは写真や建築にせよ、すべて、<非言語--記号>のシステムをめぐって、断章は書きつがれている。ところが、<俳句>をめぐる四つの断章は、初めて、そして、唯一、<言語記号>を相手にしている点、しかも、<詩>を扱っている点において、他の断章とはまったく違った問題系に踏み込んでいる。「記号の帝国」において「詩」はどのようなものであるかが、そこでは述べられていると考えれば、バルトの<詩学>がそこにひそかに像を結んでいると見ることは十分に可能なのである。それが、どのような<詩学>であるのか。それを読みとってみることが、本稿での主なモチーフとなる。
ともあれ、『記号の帝国』という、一見ささやかな一冊が、バルトの記号論にとっていかに重要な転回点をなす書物であることは、あらためて強調しておいたほうがいい。一九五0年代後半に『神話作用』で始まったバルトの記号論は、一九六0年代に入ると、「コノテーション」や「コード」の概念を中心として、「記号学の原理」、「物語の構造分析」や『記号学の冒険』におさめられるその他の理論的な著作に開花した。しかし、『モードの体系』(一九六六)を最後に、それも転機をむかえる。一九六0年代後半を過渡期に、一九七0年代にはいると、厳密に理論的な記号論から、『テクストの快楽』に読まれるような「快楽主義」的なエクリチュールの実践へとバルトは転回したのだ、とふつうはいわれている。『記号の帝国』は、『S/Z』とならんで、一九七0年に発表され、その転回を印づける位置にくるテクストなのである。
もともと、意味現象がつくりだしているイデオロギーとしての<現実>を構成している<記号>の働きを露呈させるのが記号論の役割だったのだけれども、その暴露の働きを担う<メタ言語>の科学性や一義性を信じられなくなるというのが、バルトの六十年代後半をとおした転回の動機にはある。コトバをつかって、<コトバ以外の記号>および<コトバという記号>を読みとるという<メタ言語>の成立の条件についての根本的な問いが次第に強く頭をもたげてくるのである。<メタ言語>がどのような体系にしたがっているのかという問いは、記号論の成立条件についての問いにとって極めて重大な意味をおびてくるのである。
さらにいえば、<記号の体系>を読みとろうとする記号論は、言語学においても社会理論においても六十年代末で終わりをとげる。<言説(ディスクール)>という、記号とはまったく別の次元の問題系が言語理論でも社会理論でも前面にでてくるのがこのころなのだ。フーコーの『知の考古学』、サールの『スピーチ・アクト』が出版され、「記号の記号学」から、「言説の記号学」への移行を説いたバンヴェニストの遺言的論文「ラングの記号学」が発表されるのが一九六九年のことである。六十年代に、「記号の記号学」をおそらく最もあざやかに実践してみせたバルトは、最初、記号の問題系から言説の問題系への移行の連続性について極めてオプチミストである。しかし、かれの記号論は、この記号論の「ディスクール論的転回」をおそらくうまく切り抜けえなかったのだ。この時期、バルトには、<記号>を語り続ける根拠が集中的に問われているのである。
そして、そこで、開始されるのが、記号を語るメタ言語の根拠を、<エクリチュール>の無根拠性のなかにもとめるという道だったのだ。テクストを断片化し、自らの科学的「メタ言語」としての性格を否認する<エクリチュール>の実践、それが、「エクリチュールという<悟り>」(『記号の帝国』)だったのである。<西洋>や<意味>や<真理>の現前の体制に従わない<エクリチュール>の運動と、自らの言説を化すことによって、<言説の問題系>を迂回し、<意味の宇宙>の外への通路をさぐりつつ、記号の表層を露呈させつづけること。そのような迂回の戦略が、『テクストの快楽』(一九七三)に表明されることになる、かれのメタ言語の<戯れ>となる。<記号>を、<言説>と<意味>の体制としての社会性の方へと向かわせて考えるのではなく、<記号>にそれ自身の空虚な身ぶりをとりもどさせるエクリチュールの実践。記号の空無を悟る場として、記号論をエクリチュールの逆説的なテクストとしてくりひろげること。「エクリチュールという<悟り>」は、その実現のために、<石庭>のように記号が空無化する場所--<無の記号の庭> --を求めるのである。東福寺の石庭が具現しているのは、そのようなエクリチュールの<無の場所(ア・トポス)>なのである。
3. <語の石...>
<記号>を無の場所へ解き放つことで、<ディスクール>の体制の外へと通じること。バルトは、七十年代以降、記号論を捨てたと言われているけれど、あるいはそれはまったく逆であったのかもしれない。言語科学の「ディスクール論的転回」以後も、バルトは、<記号>にこだわりつづけた。そのために、<エクリチュール>という、ラディカルに無規定的な<実践>が、かれには必要であった。そう考えてみることもできる。何も意味しない場所。<意味の宇宙>をエポケーしつつ、<記号>たちは、参照作用の無をこそ指し示す場所。「異邦の(異質な)言語を、決して理解することなく、識ること」という、意味を捨象しつつ、記号のみの戯れに身をまかせる記号論者の夢。この逆説的な態度が、バルトの<日本>という記号のシステムの読解を貫いている。世界を、タブラ・ラサしつつ、宇宙(コスモス)の記号の生成と消去、その生成の運動と停止とを無限定につくりだしている石庭のパラドキシカルな成り立ちと、バルトの方法とは完全に一致している。空虚な記号の場へと、バルトのエクリチュールはつねに一歩踏み出すところから始まるのである。
『記号の帝国』における、俳句をめぐる四つの断章は、<石庭>の配置をもって並べられている。
第一の断章「意味の侵入」。「まったくよく分かるものではありながら、俳句は何も
意味しはしない」。それを読みとることこそが、世界の意味の編成に参加しない<記号論者>のエポケーであるべきなのだ。このパラドキシカルな態度にこそ、バルトの<ポリティクス>があるのである。
俳句のコトバが位置する<無の記号の庭>に侵入しようとする、<解釈>という<意味>の暴力。単独化され、希薄で孤立した言語活動であろうとする俳句のコトバに対して、<解釈>は、<比喩(メタファー)>や<論理>という補助手段を使って、世界の意味付けの重層的な体系のなかに、そのコトバを取り戻そうとする。それに対して、俳句の仕事は、「コトバを宙づりにすることだ」と述べられている。社会的意味の言語活動の連続性から、コトバを隔絶し、意味の<不在>の領域を切り取ること。「何も意味しない」無の記号の場所を画すること。まずそのように、俳句の庭は画定される。<意味の侵入>から、身をふりほどくこと。そこに、無の記号の場としての俳句という<詩の場>が確保される。
第二の断章「意味の除去」で示されるのは、そのように画定された無の記号の庭が、どのような記号の表面をつくるのか、についてである。言語という「宇宙の分類」を受け入れつつ、その「分類」が意味の重層へと結びついてゆかぬように、言語があくまでも平板で希薄なつやのない無機的な記号の表面を張るようにつとめること。バルトは、<記号>の重層的な意味作用から、記号をすくいとり、限りなく薄く、平板で、つやを消された状態に、記号を手入れし維持する作業を、俳句の「短く、空虚な形式」に見ようとする。ちょうど、石庭の無機的な不毛な表層が細心の手入れによって維持されるように。そこに見いだされる記号の生成と消去のあわい。「コトバの終わり」の姿、言語活動の流れをせき止め、コトバを停止させ、コトバが最も希薄化した表面になるまでコトバを制約すること。
「言語の局限化」、質素さの実践、貧困化の戦略。石と砂の極限にまで切り詰められた無機質のなかから、仄かに記号が現れるや消し去られる禅の庭のように...。コトバの記号性を「測り」、「節制し」、「制約する」こと。そのような記号の「節制」によって、俳句のコトバは、「意味の根元」に働きかけることになるのだ、とバルトはいう。
俳句によるコトバの出来事としての「偶発事」が語られるのは、そのような無の記号の場所とそのエレメントが提示された後なのだ。あらゆる解釈から解き放たれ、無の記号の希薄な表面となったコトバが記のは、決して上位の、あるいはより深い意味連関のなかにとらえられてしまいはしないコトバと事物との出会いなのだ。「事象をまえにした覚醒」それこそが俳句のコトバが提示する出来事だとバルトはいう。プライマリーでミニマムな言語と化した俳句は、コトバの無数の微細な出来事を、石庭の砂の上に描かれた波紋のように描き出す。それらひとつひとつのコトバの波紋は、それぞれ別のコトバの波紋との関係においてしか、読みとられえず、しかし、それらひとつひとつのかたちはコトバの出来事の「起源なき反復」でありつづけるような、無数の砂粒のつくりだす記号の無の出来事。私たちはここでも、微細な砂粒からなる石庭の痕跡(エクリチュール)を前にしている。
そして、最後の断章「こんな」では、俳句の無の記号が指し示すもの、別の記号によっては言い換えられることのない(=解釈意味の解釈の連鎖をつくり出さない)「記号の身ぶり」として「指示」の働きが述べられる。記号が、もっとも「空虚な意味形式」となるときが、<指示>である。それが指示であるということは、まさにそれが指していることだけを、そのときだけ指すということである。そして、「その身ぶり」の成立ととともに、その記号はもう消え去っている。石は、何かを意味すると同時に、自らの記号としての虚無を打ち消して、記号としては消え去る。だから、「語の石は何のためにでもなく投げられたのだ。意味の波も流れもおこりはしない」。
このような、ミニマリストなコトバの出来事の記号論がバルトの俳句論である。そして、「記号の帝国」がバルトにとっての「記号のユートピア」であったことを考えるならば、俳句こそバルトにとっての<詩学のユートピア>なのである。
4. <空虚>、<干渉>...
バルトが夢みているような、<無の記号>の詩学は、しかし、本当に俳句に裏打ちをもつものであろうか、と私たちは問うてみたくなる。かれが引用する俳句のフランス語訳を、そのまま訳してみれば、それらは、ミニマリスト的な自由詩の域をたしかに出ていないように感じられる。 例えば、--
私は初雪を見た
その朝、私は忘れた
顔を洗うのを
(初雪を見てから顔を洗ひけり 越智越人)
牛をのせて
小舟が一艘河を渡る
夕暮れの雨を通って
(牛つんで渡る小舟や夕しぐれ 子規)
バルトの“俳句”に欠けているのは、季語、区切れの位置、語彙のレヴェル、韻律など、ジャンルとして俳句を成立させている、およそすべての要素である。川本皓嗣(『日本詩歌の伝統』岩波書店)は、とくに、「基底部」、「干渉部」という区別をつかって、初句切れ、二句切れがつくり出す、俳句の構成部分間の意味論的な干渉を論じている。私なりの理解をすれば、川本の説は、俳句が成立するためには、「基底部」(例えば、今引いた子規の句でいえば、「牛つんで渡る小舟や」)の「トピック(話題)+コメント(話題に関して述べられていることがら)」と「干渉部」(「夕時雨」)をなす「トピック」という、少なくとも二つのトピックが、意味論的な干渉の関係に入るという出来事が必要だという主張である。バルト自身にも、俳句の読者共同体についての認識はあるものの、「俳句は何も意味しはしない」というときの、意味のステータスははっきりしない。レトリック空間、解釈共同体、異質な言語レヴェルの響き合い、あるいは異化作用など、俳句の「ディスクール制度」としての側面はまったく議論から捨象されている。
おそらく、バルトの立論にもっとも役立っているのは、名詞文に訳されている句や、論理的結合を希薄化され平行構文されて訳された句である --
満月
畳の上に
松の影
(名月や畳のうへに松の影 其角)
漁師の家
干し魚の臭い
そして暑気
(海士が家に干魚臭ふ暑さかな 子規)
冬の風が吹く
猫の目が
光る
(凩(こがらし)や盻(またたき)しげき猫の面(つら) 八桑)
これらの句では、「名月」も「暑さ」も「凩」も、語というよりはトピックなのだが、それが語と解されてしまっている。そして、それがさらに、「こんな」という指示詞に近い語の使用とされてしまっている。「語」だけで事態を的確に指すことができるのは、語がすでにひとつのトポスとなっていることばの共同性が成立しているからである。それが、ひとつの<無の共同体>でありうるのかどうか。そして、二つ以上のヘテロジニアスなトポスの間におこる意味の干渉とずれとして、俳句のコトバの出来事はおこる。それでも、バルトの<石庭>のメタファーはここでも生されないこともない。「基底部」という主なる石の傍らに、別の石が「干渉部」として投ぜられることになる。干渉の波紋が意味論的な文様を一瞬拡げてみせるというふうに思い描くこともできる。
俳句は、「コトバを停止させる」とバルトは書いていた。この停止をつくるのは、韻律とリズムの働きである(それは、俳句にかぎらない、すべての詩に共通した問題である)。川本は、俳句の五・七・五のリズムが、固定休止と移動休止をその内部に配した、8コマのリズムからなり立っていることを明らかにしている。ことばの連続した流れを止め、ことばの断片をそれ自身の上へ回帰させるのは、韻律がもたらす休止のリズムの働きである。日常言語による意味の侵入をくい止めて、詩の言語の領域を休止や行変えの空白によって画するのもリズムの働きである。ことばの絶えざる内なる流れを止める「沈黙の記号」を挿入することによって、ことばはそれ自身の固有な身ぶりを取り戻し始めるかに見えるのだ。
虚ろな白砂の余白が、黒い石のリズムを縁取るように、メトリカルなことばの空間は、外界からの意味の侵入を遮断する。語はそこでは石のように、「その石のこはんにしたがひて立」ち、自身の無を指示しつつ回帰し、他の語との干渉をつくりだしてゆく。何のためにでもなく投げ入れられ、そのあとには、意味の波も流れもおこりはしない。
97.4.17 5:45 AM詩学のポリティクス5
「<詩学のポリティクス>5:<石庭>にて」、『現代詩手帖』、1997年5月号、pp.150-155