2022年3月6日日曜日

「歴史が退行するとき」『北海道新聞』2022年3月3日(木曜日)朝刊「各自核論」

 

「歴史が退行するとき」


 歴史がみるみる退行していく。過去三十年の冷戦後の時代(ポスト・コールドワー)を超えて、第二次世界大戦後の世界秩序(ポスト・ワー)さえ超えて、歴史は1930年代や、あるいは列強の時代にさえ逆戻りしつつあるのではないか。にわかに信じがたい時代感覚に私は襲われている。直近のウクライナ危機がきっかけだが、軍事的・地政学的な危機にとどまらず、20世紀には二つの大戦と冷戦をへてまがりなりにも
よりましな世界へと歩んでいたように見えた歴史が、ここに来て全面的に後ずさりしていくように見える。

 手元の百科事典には、「退行」の項に、「精神発達が止まり、逆の方向に進むこと。一般的には、組織化され分化した行動や表現が未成熟な発達段階に逆戻りすることで、幼児的になることをいう」(小学館『日本大百科事典』)とある。人類の歴史を幼児から大人への発達にたとえてよいかは大いに議論の余地のあるところだろう。しかし、どうも人類は歴史の経験から学ぶところがあまりに少なすぎるのではないだろうか。

 いま世界は、冷戦終結後三十年をへて、すっかりひび割れを起こし、どうやら大変な不安定期に入ってしまった。国際秩序だけでなく、経済社会も、国内政治も、そして情報コミュニケーションの秩序も大きく揺らいで、世界中で不信と不安が拡がっている。しかも、私たち人類の共通の星、地球がもはや取り返しがつかないかもしれない絶体絶命の持続可能性の危機にあるというのに、このありさまなのである。

 冷戦が終わったときには、「歴史の終わり」が声高に語られた。資本主義は最良の経済原理で、市場の自由な競争に委ねておけば、豊かな社会が約束されると喧伝された。だが、結果はその逆で、豊かだった国にも大量の貧しい人びとが生まれた。世界では、上位1パーセントの超富裕層が 世界全体の個人資産の4割ちかくを所有するまでになった。

 インターネットの情報革命も、文明生活を向上させたとはいえず、フィルターバブルと呼ばれる人びとの分断をうみ、メディア機器が生活時間を占有することで、落ち着きのない生活を強いるようになった。監視社会化もまた情報技術がもたらした負の側面だ。 

 政治社会の惨状は目を覆うばかりだ。トランプ米元大統領に代表されるような幼児的なパーソナリティの政治家が各国の政治に登場し、ポピュリズムが席巻するようになった。それらミニ・トランプ的政治家が幼児的な言動を繰り返し、政治の常識を変えてしまった。権力の透明性が失われて腐敗が進み、議会政治や政党政治が機能しなくなった。わが国の政治などはさしずめその好例だろう。あげくには、反ユダヤ主義や反中嫌韓といった、あからさまな差別言説が台頭するようになった。

さきほどの百科事典がいう、精神発達が止まり、逆の方向に進むこと、行動や表現が未成熟な発達段階に逆戻りすること、という退行の定義がやはりあてはまるのだ。

 で、どうしたらいいのか?

 残念ながら私にも分からない。それほど事態は深刻である。しかし、どうしたらよいかと自問する人びとは確実に社会にはひろく存在しているはずだ。

歴史の退行に抗いうる力は、文明の力というようなものだろう。それこそ歴史に学んできた人びとがもつ文化の力でもある。

近年、新聞を読む人の数は減りつつあるが、テレビやネットでは、人びとが理性的に物事を理解し長期的な判断力を養うために十分ではない。文明はおもに文字によって培われてきたものからだ。

混迷の世界を生きる人びとに理性的な視座を提供するために、良識と良き意志をもった上質な新聞には、今一度メディアとしての出番が回ってきているのではないか。メディア学者としての私はそう考えている。

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