序章 Digital Media Paradigm 石田英敬
デジタル・メディアにおいてメディア・テクノロジーは,その〈形而上学〉の極限にまで達したといえる。
メディアとはメッセージを乗せる乗り物であるという常識に対して、メディアこそがメッセージの成り立ちを決定しているのだという、マクルーハンによる「メディアはメッセージ」の定式は、メディアとメッセージとの間に、アナログ・メディア的な対応関係を想定していただろう。デジタル革命は、メディアをそのつど01の数字列からメッセージを生成するマトリクスへと進化させた。以後、メディアは、自ら存在者 –ヒトやモノ -- との関係を制御し、ハイパーテキストの原理からなるメッセージがインタラクションによって変化しつづける、プロテウス的なプラットフォームへと姿を変えた。デジタル・メディアとは、あらゆる関係性の自律的な生成の場であり、無限の記憶の貯蔵庫であり、ヒトの行動を予め決定しているプログラムであり、いつでもどこからでも存在者を現前へと呼び出すことができる。全ての知識とモノとを百科全書的に一致させ、ライプニッツの形而上学が定義するような「モナド」としての情報端末からの固有の視点をとおして全存在者とコミュニケートし合い全宇宙を映し出す。デジタル・メディアは、世界のあらゆる情報の – 〈形而上学〉的な – 組織化を成就しつつあるとさえ言えそうなのである。
デジタル革命の大転換は、「時間」とはなにか(「リアルタイム」問題),「場所」とはなにか(「ユビキタス」問題),「人」とはなにか(「ポストヒューマン」問題)、「記憶」とはなにか(「アーカイヴ」問題)、「物語」や「表象」とはなにか(「メディア・カルチャー」問題)をめぐって、人間と文化を、今までとは根本的に異なった知の配置のなかで問うことを求めている。『デジタル・スタディーズ1 メディア哲学』で提起された「知のデジタル転回」を受けて,デジタル・カルチャーを理解するための理論パラダイムとは何か。デジタル・テクノロジーがもたらす記号・文字・イメージとメディアの基礎理論を問い,デジタル・メディアとの界面に成立する表象作用を読み解き、感性的経験の変容と台頭しつつある新しい表象文化の行方を展望するのがこの『デジタル・スタディーズ2 メディア表象』である。
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