2019年8月30日金曜日

「夏休みのためのフランス語 ひよこ自習クラス」プロジェクト(第4回)

石田フランス語 2017/08/29
 「夏休みのためのフランス語 ひよこ自習クラス」プロジェクト(第4回) 
    
うーん、ご無沙汰してしまった、申し訳ない。
お盆明けから丸二週間大学院の入試期間でね。なかなか時間がとれなかった。
うーん9月か、ペースを取り戻さねば!
「フランス語の自主夏期講習」第四回だ。
 前回に読み始めた、『カンディード』の第一章の後半です。ベリーエキサイティングな箇所! 下のマンガのとおりなのだ。
https://drive.google.com/open?id=1KRFCGsWFA3S8IzidCpzMfaFRvSBEmHmw

I.

『カンディード』第1章(おわり)



まず、今日の全文は以下のとおり。第6パラグラフから第9パラグラフまでだ。
   Candide écoutait attentivement, et croyait innocemment ; car il trouvait mademoiselle Cunégonde extrêmement belle, quoiqu’il ne prît jamais la hardiesse de le lui dire.

   Il concluait qu’après le bonheur d’être né baron de Thunder-ten-tronckh, le second degré de Bonheur était d’être mademoiselle Cunégonde, le troisième, de la voir tous les jours, et le quatrième, d’entendre maître Pangloss, le plus grand philosophe de la province, et par conséquent de toute la terre.

   Un jour Cunégonde en se promenant auprès du château, dans le petit bois qu’on appelait parc, vit entre des broussailles le docteur Pangloss qui donnait une leçon de physique expérimentale à la femme de chambre de sa mère, petite brune très jolie et très docile. Comme mademoiselle Cunégonde avait beaucoup de dispositions pour les sciences, elle observa, sans souffler, les expériences réitérées dont elle fut témoin ; elle vit clairement la raison suffisante du docteur, les effets et les causes ; et s’en retourna tout agitée, toute pensive, toute remplie du désir d’être savante ; songeant qu’elle pourrait bien être la raison suffisante du jeune Candide, qui pouvait aussi être la sienne.

   Elle rencontra Candide en revenant au château, et rougit ; Candide rougit aussi ; elle lui dit bonjour d’une voix entrecoupée, et Candide lui parla sans savoir ce qu’il disait. Le lendemain après le dîner, comme on sortait de table, Cunégonde et Candide se trouvèrent derrière un paravent ; Cunégonde laissa tomber son mouchoir, Candide le ramassa, elle lui prit innocemment la main, le jeune homme baisa innocemment la main de la jeune demoiselle avec une vivacité, une sensibilité, une grâce toute particulière ; leurs bouches se rencontrèrent, leurs yeux s’enflammèrent, leurs genoux tremblèrent, leurs mains s’égarèrent. Monsieur le baron de Thunderten- tronckh passa auprès du paravent, et voyant cette cause et cet effet, chassa Candide du château à grands coups de pied dans le derrière ; Cunégonde s’évanouit ; elle fut souffletée par madame la baronne dès qu’elle fut revenue à elle-même ; et tout fut consterné dans le plus beau et le plus agréable des
châteaux possibles.
この一頁をさっと読めるぐらいになると、「仮免」を脱して、路上に出られるぐらいなんだがね。パラグラフごとに進もう。学習する文法知識は少しずつ減っていくはず。


[1] 第一章 第六パラグラフ 
   Candide écoutait attentivement, et croyait innocemment ; car il trouvait mademoiselle Cunégonde extrêmement belle, quoiqu’il ne prît jamais la hardiesse de le lui dire.

  Candide écoutait attentivement, et croyait innocemment ;
  ここは問題ないね。直接法半過去の表現
 「カンディードは注意深く聞き無邪気に信じていた」:パングロス先生の言うことを信じ切っていたというわけだね。
car il trouvait mademoiselle Cunégonde extrêmement belle,
ここも問題ないね、「というのも彼はキュネゴンド嬢をとても美しいと思っていたのだから、」
6 〈~ qn/qc+属詞〉…を…と思う,判断する.
trouver qn gentil [intelligent]
…を親切だ[賢い]と思う.
trouver son travail amusant
仕事を楽しいと思う.
Je vous trouve fatigué.
お疲れのようですね.
Il a trouvé ce film excellent.
彼はこの映画を素晴しいと思った.
quoiqu’il ne prît jamais la hardiesse de le lui dire.
これから長い長い文法説明が始まりますから、まずひとまず、この部分を訳しておきますね。ここ「彼女にそれを思い切って言うなどという大胆な行いに彼には決して出なかったのだけれど…」という譲歩構文なんです。quoique は英語でいえば、although にあたるような、譲歩を導入する接続詞なのだ。そして、その譲歩節のなかに現れる “prît”、これが動詞prendreの「接続法半過去」という まだ勉強していない、新文法知識です!

 文法のお勉強のまえに、第六パラグラフをいったん訳してしまうと、「カンディードは(パングロス先生のいうことを)注意深く聞き、無邪気に信じ込んでいた﹆[←このコンマは「白ゴマ」というもの、これもレアな食材(‘-‘*)]というのも、彼には思い切ってそれを彼女に言うなんていう大胆な行いには決して出なかったわけだけど、キュネゴンド嬢がとってもキャワイイと思っていてのだからね。」(つまり、こいつはパングロス先生のいうことはじつはあんまり注意深く聞いていなかった、って、言外に、この文は書いているよね。)

 さて、本日のお勉強メニューのアントレの目玉はこれ!:“prît”
      prendreの「接続法」仕立ての、「半過去」風 !
 これはなかなか、フツーのその辺の安いフレンチでは出していない超高級食材! 今の日本のフレンチで「接続法」の「半過去」風味を出せるのは、三つ星以上の高級フレンチ文法だ。
 では、その蘊蓄とは…

新文法知識3「接続法半過去 l’imparfait du subjonctif 」
 じつは、石井文法では、最後の最後、p.79にちょこっと出てきます。でも石井シェフ、高級食材を惜しんでいるからな、これだけでは分からん。それに坂本先生の授業もここまでは辿りつけないのではないかな。だからこそ勉強しておこう。
 で、まず、その文法的概要を知るには、またしてもあの鎌倉の高級フレンチ『北鎌フランス語』のお世話になりましょう。(石田ミシュランでは『北鎌フレンチ』は☆☆☆)
http://class.kitakama-france.com/index.php?フランス語の条件法と接続法
(URLにリンクがうまく行かない場合は、「北鎌フランス語講座 - 文法編「条件法と接続法」をgoogleで探してみてください。」
 ついでに「条件法」もまだ勉強していませんが、石井文法の13課 (p.65 sq.)、秋学期に坂本さんと勉強することになります。そこも君たち自身で予習をしておこう!

 a. 一般言語学講義:「モダリティ」とは何か:
 まず、基本的な言語知識として、「法」とは何か、を知りましょう。「法」は、法学部の法(law, loi )ではなく、ここは、「モード(英、仏)mode、あるいは(英)mood」の訳語です。
 一般言語学にかかわる知識(「一般言語学」とは、英語とかフランス語とか日本語とか、個別の言語ではなく、あらゆる言語一般にかかわる知識という意味だよ)ですが、ひとが何かを述べるときに働いている文法カテゴリには、「時制・相・法」というものがあります。英語ではTAMと略称したりします。Tense-Aspect-Mood です。Tenseはすでに知っているとおりの「時制」(述べられたことが、話し手から見て、過去なのか現在なのか未来なのか)、Aspectは「完了相・未完了相」(すでに完了しているのか、まだ続いているのか、繰り返し起っているのか: ex.フレンチの 複合過去 vs 半過去)、Mode はフランス語では「直説法・条件法・接続法」あるいは「命令法」などのモード(法)で、話者が述べられた内容に対して「どのような態度」をとっているのか、意識の志向性の「様態(モード)」のことです。
(Cf.「モダリティ (modality) または法性(ほうせい)、様相性(ようそうせい)[1]とは、話している内容に対する話し手の判断や感じ方を表す言語表現のことである。」Wikipedia 「モダリティ」20170829 13:50 https://ja.wikipedia.org/wiki/モダリティ)
 それでフランス語についていえば、多くの場合、動詞活用がモダリティをコントロールしています(日本語もかなりそう、助動詞とか助詞もそうだけど、学校文法で勉強したよね)。
 これまでみんなが習ったのは、「直説法 l’indicatif」で、これから上述のように「条件法 le conditionnel」、そして「接続法 le subjonctif」を勉強します。
   それらの概念については、やはり、『北鎌』の説明がいいね!それは次のとおり:
http://class.kitakama-france.com/index.php?フランス語の条件法と接続法
から引用:
「3 つの法の根本概念は、次のように要約することができます。
直説法:事実を述べる時に使う。
条件法:事実に反することを述べる時に使う。
接続法:事実か事実に反するかは別として、頭の中でイメージして述べる時に使う。」

 この説明のとおりなんだ。
 「直説法」っていうのは、「le mode indicatif」って言うんだけど、indiquer という動詞は、指し示す、指示するということだから、事実を事実としてそのまま述べるということですね。
 「条件法」というのは、「le mode conditionnel」で、もしこういう条件であれば(現実にはそうじゃないのだけど)、という仮定のうえで、何かをいうときに使われます。
 それに対して、「接続法」は、「le mode subjonctif」というフランス語なのですが、subjonctif って結びつける、あるいは、従えられる、従属的っている意味だね。原則として従属節(la subordination)のなかに現れる。

豆知識:英語にも「接続法(叙想法)」はあった。
  ヨーロッパ言語のうち英語しか知らないと、「接続法」なんて知らないよ、って思うかもしれない。
 しかし、フランス語だけでなく、ドイツ語にもスペイン語にもイタリア語にも、もちろんラテン語、古典ギリシャ語にもある。というか、インド・ヨーロッパ語族には属する言語で、こうした法がないのがおかしい。そして、じつは英語にも接続法はあったんだ。英語のsubjunctive moodは「叙想法」なんて訳されています。God save the Queen。のsaveはsubjunctive moodです。しかし、下の理由で、仮定法に取って代わられる傾向が生まれた。
 英語は、かなり特殊な歴史的な経験を経て現在にいたっている。元はインド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派の言語だった英語(「古英語Old English」の時代 5世紀半ばから12世紀にかけて)にも接続法はあった。名詞に格変化もあったし、動詞だって体系的な活用があった。でも、英語は「ノルマン・コンケスト」(西暦1066年)と呼ぶフランスのノルマン人により征服され、支配と被支配の言語が折り重なっていくうちに、文法的な体系が解体されて、極端に単純化されていったのだ。授業でも言ったと思うけど、英語は「クレオール化」された「クレオール言語」だっていう説は有力な仮説になっている。
Cf. https://en.wikipedia.org/wiki/Middle_English_creole_hypothesis


 b.「接続法 le mode subjonctif」
 基本的には、従属節のなかで接続法は使われます。しかも、従属節を導入する動詞は決まっています(辞書に、該当する動詞には、「+ 接続法」、とか「 + subj.」とか 書いてあります)。
 直説法に、「現在 le présent」と「複合過去 le passé composé」、「半過去 l’imparfait」と「大過去 le plus–que-parfait」があったように、条件法にも接続法にも単純形(助動詞avoir 、être を用いない形)と複合形(助動詞avoir かêtre の活用形+過去分詞)があります。 
 接続法にはしたがって、「現在 le présent du subjonctif」と「過去(完了形) le passé du subjonctif」、「半過去 l’imparfait」と「大過去 le plus-que-parfait du subjonctif」があります。その用法については、『北鎌』の頁を下の方まで読んでいってください。

 c. 「接続法現在 le présent du subjonctif」と「接続法過去 le passé du subjonctif」
 直説法現在が直説法の起点であったのと同じように、接続法現在から接続法の勉強を開始しましょう。
 その活用と用法については、石井文法では、14課に出ています(p.69 sq.)
 活用形についても、『北鎌』の上の頁からリンクを辿りましょう:以下のページです。
http://verbes.kitakama-france.com/index.php?フランス語の接続法#navigator
 ここを見て勉強をしてください。

 さらに、その接続法の複合形として、「接続法過去(le passé du subjonctif)」があります。これは上に説明した「相(aspect)」でいうと、完了相(parfait)になります。
 その活用と用法については、石井文法では、同じ14課のp.72以下です

 これを全部説明していると長くなるので、上の『北鎌フレンチ』と石井文法14課をざっと見てください。

 d. 「接続法半過去 l’imparfait du subjonctif」と「接続法大過去 le plus-que-parfait du subjonctif」
 さて、その接続法の「現在」と「過去」という基本形を知ったうえで、つぎに、「半過去」と、その完了時制である「大過去」があります。
 (『北鎌』の該当頁を見てください。次頁に貼り付けますけど、ここはサイトからのコピーですから『北鎌』にcopy rightsがあることをお断りしておきます。
http://class.kitakama-france.com/index.php?フランス語の条件法と接続法#content_1_4 )
  「直説法半過去」と「直説法大過去」の関係を思い出してもらえば、これらの時制の相互関係は分かるはずです。

e. 「接続法の用法」の概要
 以上は、「法」と「時制」についてのおおまかな説明でした。
 次に、接続法はどんな風に使われるか、その「用法」の簡単に説明します。
 1.接続法現在 le présent du subjonctif
1) まず、「接続法現在」を使って説明しましょう。
 石井文法の70頁を見てください。
石井さんの説明は以下のとおり
【用法】直説法があることがらを現実として提示するのにたいし、接続法はあることがらを単なる観念として提示する主観的な法である。
 (表現は異なるが、『北鎌』と同じことを言っているね。)
 そして、
「(1) 名詞節において
①意志・願望・要求・必要性などを表す語句・表現の後で
 Je veux qu’il vienne.
  Il faut que je parte. 」 ・・・ 
というように説明をして行っているね。(70頁〜71頁)
 この二つの文例で説明すると、
 Je veux(私は欲する) は直説法現在だけど、que 以下の名詞節は接続法現在で表された私の願望内容で、事実ではない観念内容というわけだね。そのように「あることがらを[…]観念として提示する」、あるいは「頭の中でイメージして述べる」(『北鎌』)のが接続法なのだ。
 Il faut que って、習ったよね。非人称構文il の構文だけど、 « falloir »を辞書で引くと、例えば、小学館『ロベール仏和大辞典』には次のように出ている。
  2 〈Il faut+inf. //Il faut que+subj.〉…しなければならない,すべきである,する必要がある.
 ここの Il faut que+subj. が学習事項なんだ。
 Il faut que je parte. は、だから「私は出発する必要がある」という意味だね。

2. 接続法過去 le passé du subjonctif
2) 次に、単純形である「接続法現在」に対して、複合形である「接続法過去」があって、それについては、石井さんの72頁
【活用】助動詞の接続法現在+過去分詞
   danser : j’aie dansé, tu aies dansé, etc.
      arriver : je sois arrivé(e), tu sois arrivé(e), etc.
 【用法】主節の動詞にたいしてそれ以前に完了している(はずの)ことがらを表す。用いられるケースは接続法現在と同じ。
 Elle est fâchée que nous ne l’ayons pas invitée.
  Il est possible qu’il ne se soit aperçu de rien. 」 ・・・ (72頁)
 上記のIl faut que+subj. を使って例文をつくると、
「接続法現在」が Il faut que je parte. であるのに対して、(例えば、「リヨンに正午に到着するためには、私は今出発必要がある。Pour arriver à Lyon à midi, il faut que je parte maintenant. 」)
「接続法過去」は Il faut que je sois parti(e). と複合形となる(「私はもう出発してしまっている必要がある。」例えば、「リヨンに正午に到着するためには、私はもう出発してしまっている必要がある。Pour arriver à Lyon à midi, il faut que je sois déjà parti(e).」)

 さて、「接続法」についてずいぶんと長い説明を行ってきましたが、これでやっと最後のパートに辿りつくので、もうひとがんばりして勉強しよう。
 
  主節が過去時制のときの、従属節の接続法の時制について・・・
 以上の「接続法現在」および「接続法過去」の説明は、主節が「直説法現在」のときの、従属節のなかでの接続法についての説明でした。
 で、主節が直説法「複合過去」、あるいは直説法「半過去」、あるいは直説法「単純過去」、あるいは、直説法「単純未来」、あるいは、(これはまだ勉強していないけれど、これから勉強することになる、もう一つの「法」である、「条件法」[英語の「仮定法」])の場合には、従属節の中の「接続法」は、どのような「時制」となるのか、という問題が生じます。
 それで、現在の日常のフランス語(話し言葉では)と簡単な書き言葉では、主節の時制に関係なく、従属節のなかでは、「接続法現在」と「接続法過去」を使います。
 他方、現在でも文語体では、主節が直説法の過去時制(複合過去、単純過去、半過去)、および、条件法(これまだ勉強してないけど、条件法現在と条件法過去)の場合には、「接続法半過去」と「接続法大過去」を使います。
 ちょっと前までは、日常的な話し言葉でも(ちょっと前というのは、18世紀ぐらいまでかな)同じように、「接続法半過去」と「接続法大過去」を使っていたらしい。
 次のような18世紀のエピソードが残っている;
 « Madame Beauzée couchoit avec un maître de langue allemande. M. Beauzée les surprit au retour de l'académie. L'Allemand dit à la femme : Quand je vous disois qu'il étoit temps que je m'en aille. M. Beauzée, toujours puriste, lui dit : que je m'en allasse, monsieur. »
 「ボーゼ夫人がドイツ語の教師と同衾していたちょうどそのところへ、アカデミーからご主人のボーゼ氏が帰宅した。そこでドイツ人はご婦人に曰うて曰く:「だからもう帰らなきゃ je m'en ailleと言ったんだ」。ボーゼ氏は、文法潔癖派であったので、聞き逃さず:「ムッシュー、もはや身罷らむとje m'en allasse、申すべきじゃ!」」
 je m'en aille が接続法現在、je m'en allasse が接続法半過去 (s’en aller はaller のイディオムで、「立ち去る、いなくなる、退出する」という意味)。アカデミーは、アカデミー・フランセーズで、17世紀からフランス語の国語辞典を編纂しつづけている、王の学術機関(https://ja.wikipedia.org/wiki/アカデミー・フランセーズ)。Beauzéeはアカデミー会員で文法学者。
 本当の話かな? フランスらしい艶話だからね、事の真相よりも、ドイツ人が文法の間違いをして、アカデミシャンの文法学者が間違いを指摘するというところが噺のミソだね。この当時から、接続法半過去は日常語では、使用がおぼつかなくなっていた、というわけだ。(ここで、いずれにしても、conjugaisonの問題だよね!とか、コメント出来るようになると、フランス的エスプリに少し近づける!)

 さて、そういうわけで、主節が過去の場合には、従属節のなかの接続法は、「接続法半過去」か、主節の時制に対して完了相で捉えられる事態については「接続法大過去」で記される、というわけなのだ。
 やっと、これで、「接続法半過去」の説明にたどり着いた。
 それで、やっと、第六パラグラフの最後の文:
il trouvait mademoiselle Cunégonde extrêmement belle, quoiqu’il ne prît jamais la hardiesse de le lui dire.
主節が(il trouvait…)が直説法半過去だね、だから、譲歩節のなかは、接続法半過去になるわけです。というわけで、prît は動詞prendre の接続法半過去の三人称単数の活用なのだ。(山がたアクセント ^ が付いていることに注意 石井教科書の活用表で確認しておこう)。
譲歩構文というのは、それを導入する「副詞+que +subj.」というセットが決まっていますから、そのセットを知っている必要があります。
encore que+subj.
bien que + subj.
quoique + subj.
これらがよく使われる譲歩節を導入する表現ですから覚えましょう!

 そこで、やっと、
 第一章 第六パラグラフのまとめ:
   Candide écoutait attentivement, et croyait innocemment ; car il trouvait mademoiselle Cunégonde extrêmement belle, quoiqu’il ne prît jamais la hardiesse de le lui dire.
 カンディードは注意深く先生の話を聞き、無邪気に信じていた。なぜって、キュネゴンド嬢がとってもキャワイイと思って見とれていたのだからね。もっとも、彼女にそう打ち明ける勇気が沸いたなんてことは一度もなかったんだけどね。

  最後のla hardiesse de le lui dire ですが、prendre la hardiesse de の表現は、
◆ prendre [avoir] la ~ de+inf.|大胆にも[あえて]…する,失礼を顧みず…する.
Il a la hardiesse de résister au pouvoir.
彼は勇敢にも権力に反抗する.
Excusez-moi si je prends la hardiesse de vous contredire.
意見が食い違ってお気に障ったらお許しください.

le lui dire の le luiが分かんないかな。
le は、石井11課の56頁 
「1.中性代名詞 le
文や節の内容を受ける
J’ai pris ma retraite le mois dernier. – Je ne le savais pas.
(ぼくは先月リタイヤしたんだ。—— 知らなかったよ、それ。) 」
 このleは前に言われたことを指す代名詞なんだ。英語のthatとかと思えばいい。人称代名詞(pronom personnel)」が、特定の名詞(あるいは名詞句)に置き換わるというのに対して、「中性代名詞(pronom neuter)」は、文脈を指示する、と説明します。
 より詳しく、坂本先生と秋学期に勉強することになるでしょう。
 それに対して、lui のほうは、間接目的補語に置き換わる人称代名詞elleの間接目的格だ。dire à Cuégondeという代わりに、lui dire と言っているわけだ。
 そして、このように二つ代名詞が併置される場合、どっちが先に来るかというシンタックスの規則は、石井の48頁にようになり、leが中性代名詞であっても、同じルールです。

[2] 第一章 第七パラグラフ 
   Il concluait qu’après le bonheur d’être né baron de Thunder-ten-tronckh, le second degré de Bonheur était d’être mademoiselle Cunégonde, le troisième, de la voir tous les jours, et le quatrième, d’entendre maître Pangloss, le plus grand philosophe de la province, et par conséquent de toute la terre.

 やっと、次のパラグラフに進むことができた!
ここは問題ないはず。

Il concluait qu’
(1) après le bonheur d’être  né barod de Th. ,
  (2) le second degré de Bonheur était d’être mademoiselle C.
      (3) le troisième                     de la voir tous les jours,
      (4) le quatrième                     d’entendre maître Pangloss
というようにque の節のなかで、était を省略して、列挙を繰り返すことで行われ、
そして、 Pangloss にたいて、同格で、le plus grand philosophe… et par conséquent de toute la terre. という表現が行われている。

 かれは、トゥンデール・テン・トゥローンク男爵に生まれる幸せに措けば、それに次ぐ第二の幸せとはキュネゴンド姫である幸せなのであり、第三の幸せは、毎日姫を目の当たりする幸せであり、第四は、この国で最も偉大な、ということはしたがって、この世で最も偉大な哲学者でおられるパングロス先生のお話を拝聴する幸せなのであると、結論づけていていた。(la provinceは地方といっても、ここでは日本語でも「お国」というようなときの国、toute la terreは全地球だけど、ま、「この世」の方が分かりやすいだろう、マドモワゼルも「姫」と訳してみた。)

 よかった、ここ簡単だったね。とくに大きな新知識も必要なく、すっと理解できた。


[3] 第一章 第八パラグラフ 
  Un jour Cunégonde en se promenant auprès du château, dans le petit bois qu’on appelait parc, vit entre des broussailles le docteur Pangloss qui donnait une leçon de physique expérimentale à la femme de chambre de sa mère, petite brune très jolie et très docile. Comme mademoiselle Cunégonde avait beaucoup de dispositions pour les sciences, elle observa, sans souffler, les expériences réitérées dont elle fut témoin ; elle vit clairement la raison suffisante du docteur, les effets et les causes ; et s’en retourna tout agitée, toute pensive, toute remplie du désir d’être savante ; songeant qu’elle pourrait bien être la raison suffisante du jeune Candide, qui pouvait aussi être la sienne.
 そして、このパラグラフ、ここも難しくない。でも、お話においては、とっても肝心なところだ! 注意深く観察することにしよう。

 勉強ポイントとしては、前に少し勉強した「代名動詞」、それから「現在分詞」、すでに勉強した「直説法単純過去」、関係代名詞「dont」、中性代名詞の「en」、これらすべて、もう勉強したんだけど、そして、上に言及した「条件法」がこのパラグラフには出てきている。そういう意味でも、これまでの知識の復習と新知識の勉強にはとても言い箇所だね。

 まず、訳してみよう。

 ある日、キュネゴンド姫がお城の近く、園と呼ばれていた小さな森を散歩していると、植え込み茂みの間からパングロス博士の姿を目にしたのだった。博士は、姫の母君の小間使いである、とても美しくもたいへん従順な、いと可愛らしい茶髪の娘に、実験身体学のレッスンを講じている最中であった。キュネゴンド姫はいろいろな学問に大変な興味をお持ちの方であったから、息をひそめて、彼女の目の当たりで、繰り返される実験をじっと観察し、パングロス博士の充足理由、その結果と原因とを明晰に見てとった。それから、とても興奮してどきどきしつつ、物思いにふけりつつ、物知りになりたいワクワク感にすっかり満たされて、館へと戻ってきたのだった。彼女の頭を満たしていた考えは、アタシもあの若きカンディード君の充足理由になりえりのではないかしら、そしてあのヒトもまたアタシの充足理由でありうるのだ、ということだった。

 分かった?

キュネゴンド姫が目の当たりにした、パングロス先生の「実験身体学 la physique expérimentale」のレッスンとは、これ:


で、繰り返し、こんな、こんな、だった。それで、よーく「観察」して、「自分も実験をして勉強しなきゃ」、と姫も思って、お城に戻った、というわけ。



分かるよね。シチュエーション自体は。

そこで、「言葉 la langue」のお勉強と、「思想 la philosophie」のお勉強をしましょう。

まず、文法の復習とお勉強。
Un jour Cunégonde en se promenant auprès du château, dans le petit bois qu’on appelait parc, vit entre des broussailles le docteur Pangloss qui donnait une leçon de physique expérimentale à la femme de chambre de sa mère, petite brune très jolie et très docile.

主文:
Cunégonde  vit(直・単過去) le docteur Pangloss
                              関係代名詞節:qui donnait(直・半過去) une leçon …
                        
ここは問題ないね。

en se promenant: ここがちょっとしたお勉強新知識
これフランス語文法で「ジェロンディフ」といいます。
詳しくは、石井文法の63頁を見てください。
形としては、前置詞のen に 動詞の現在分詞をつづけることで表現します。
【形】en+現在分詞
danser → en dansant  finir → en finissant
【用法】常に副詞句として主文の動詞を修飾する。主語は主文の主語と同じ。
時・同時性
  En arrivant à Paris, j’ai téléphoné à mon mari. (パリに到着するや、私は夫に電話しました。)
・・

ここのen se promenantは、代名動詞 se promenerのジェロンディフで、同時性を表す表現。(代名動詞は前回勉強したよね)。

 * なぜ ジェロンディフ le gérondif という耳慣れない用語がそのままカタカナで使われているかというと、その説明は込み入っています。
 フランス語のle gérondifは、元は、ラテン語の gerundivum(動形容詞) という文法用語です。ただし、ラテン語のgerundivum とフランス語のle gérondifとは相当異なった文法機能をもっていて、それを区別するために、たんに「ジェロンディフ」とフランス語そのままで呼んでいます。詳しく言い始めるとまた長くなるから以下をとりあえずどうぞ。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/動形容詞

つぎの文、
Comme mademoiselle Cunégonde avait beaucoup de dispositions pour les sciences, elle observa, sans souffler, les expériences réitérées dont elle fut témoin ;

ここも問題ないね。関係代名詞の dont は初学者にはわかりにくいけど、いいね。石井の第8課43頁思い出してね。先行詞と関係詞節の述語être témoin de がdeを介してつながるから、dont が使われている。

disposition n.f. は
5 ((多く複数で)) 能力,素質,資質.
dispositions innées [naturelles]
天賦の才.
avoir des [manquer de] dispositions pour l'étude
学問に向いている[いない].

elle vit clairement la raison suffisante du docteur, les effets et les causes ;
ここも問題なし。意味内容の「充足理由」「結果と原因」については後で述べる。

et s’en retourna tout agitée, toute pensive, toute remplie du désir d’être savant;
ここのenですが、石井第11課56頁を見てください。
 2. 特殊な代名詞 en と y
(1) en
  一般の補語人称代名詞と同じく動詞(複合磁性では助動詞)の直前に置かれる。
① 〈前置詞 de + 他の諸要素〉を受ける。
a) de + 名詞(原則として物)
Venez-vous de Belgique ? – Oui, j’en viens.

このen と同じ。
et elle se retourna de là (そこから戻ってきた)という意味がこのen には込められている。tout agitée, toute pensive, toute remplie du désir d’être savant は、彼女にかかる属詞表現、tout はこの場合、très と同じ、意味を強める副詞、toutは次に母音がくるとtout、そうでない女性形単数が来るとtoute となります。

songeant qu’elle pourrait bien être la raison suffisante du jeune Candide, qui pouvait aussi être la sienne.
ここは現在分詞句 songeant que 〜 

で、もう一個重要な文法学習事項があって、elle pourrait のpourrait はpouvoirの「条件法現在」です。

で、「条件法」とは何か、というお勉強をここで始めると、また大変な量の頁が必要になってしまう。
その動詞の形を説明するには、「直説法単純未来」の話をしないといけなくなる。
「直説法単純未来」は、石井教科書では、第9課で、秋学期の最初に坂本先生と勉強しましょう。予習をするひとは、石井50頁です。その複合時制は「直説法前未来」といって、その次の頁51頁です。

それで、「条件法現在」について、この箇所での用法について最小限の説明をしておくに留めましょうね。
「条件法現在」のお勉強は、石井先生の第13課で、僕たちのこの箇所での用法については、66頁の次の箇所を見てほしい。
 「②」に「推量」を表す。とあって、
『カンディード』のこの箇所の、songeant que (頭の中で想像をたくましくしながら)は songer の現在分詞とque の従属節なわけだけど、ここの「接続法現在」は、「確かではないけれど、ひょっとして〜ではないかしら」という「推量」を表している。elle pourrait bien être la raison suffisante du jeune Candide (彼女はあの若いカンディードの充足理由にきっとなれるのではないかしら)と推量しているわけだね、他方、
若きカンディードを先行詞にして、du jeune Candide, qui pouvait aussi être la sienne. と、こちらは直説法半過去で書いてあるね。こちらは断定しているね。それは彼女が自分自身で自分のことを巡って考えているわけだからだね。「あの方だって、アタシの充足理由でありうるのだし」と、自分の気持ちなわけだから、こっちは確実性が高いわけです。

これで、言葉の問題は解決し、まとめると、こうなる。

ある日、キュネゴンド姫がお城の近傍、園と呼ばれていた小さな森を散歩していると、植え込み茂みの間からパングロス博士の姿が目に入った。博士は、母君の小間使いである、たいそう美しくもたいへん従順な、いとキャワイらしきの娘に、実験身体学のレッスンを講じている最中であった。キュネゴンド姫はいろいろな学問に大変な興味をお持であったから、息をひそめて、目の当たりで、繰り返し催される実験をじっと観察いたし、パングロス博士の充足理由、その結果と原因とを明晰に見てとったのだった。それから、とても興奮してどきどきしつつも、物思いにふけりつつも、物知りになりたいワクワク感にすっかり満たされつつ、館へと戻ってきたのだった。彼女の頭を満たしていた想念とは、アタクシもあの若きカンディード殿の充足理由になりえるのではないかしら、そしてあの方もまたアタクシの充足理由になりうるのだし、ということだったのだ。

哲学のお勉強コーナー
 ま、そういうわけですが、次に「哲学 la philosophie」のお勉強をしておきましょう。
「la raison suffisante」という言葉が飛び交っていますが、これを「充足理由」と訳すにつけては、この言葉が、パングロス先生のモデルである、ライプニッツ大先生の哲学用語である、ということがあるわけです。
 それについて、詳しく述べることは、僕には興味があるが、君たちには、いま、興味があるかは分からない。それで、最小限のことだけを述べて、あとは、興味のある人は自分で追求してもらうことにしましょう。
 これについて最小限のことだけをいえば、つぎのようなことだ。
 ここでいう「la raison suffisante」とは、平たくいえば「十分な理由」という意味です。「何かが起こる」、「何かが存在する」、「誰かが何かする」、「A君(さん)がBさん(君)を好き(嫌い/好きでも嫌いでもない/考えたこともない、etc. )になる」、「ネコがネズミをとる」、「犬が棒に当たる」、「ネコが転ぶ」、 etc. etc. この世界はありとあらゆる出来事が起こり続け、いろんな事態に満たされている、わけでしょ。で、それらすべてには、それなりの理由がある。その「それなりの理由」というのが、「十分な理由」、つまり「充足理由 la raison suffisante」です。そして、「すべてのモノ・コトには理由がある」というこの世界(というか、この宇宙)の原理のことを、「十分理由の原理」、あるいは「充足理由律」、あるいは「根拠律」といいます。元になっているライプニッツの言葉は「le principe de raison suffisante」といいます。その原理はとてもシンプルなもので、「すべてには理由がある」、「理由のないことなどない」、という原理です。
 すべてには理由がある。そんなの当たり前だろ、って思うでしょ。ぼくが夏学期のフランス語の試験がよく出来なかったのは、その前の日の帰り道に車に轢かれたカエルの死骸が目に入って、それ以来、そのカエルの生涯について考えていたので時間をとられて、フランス語の試験の勉強時間がたらなかったからだ、とか、そういうのも「十分理由」のひとつで、そのようにカエルのことが気になったのには、幼児記憶としてはオタマジャクシを飼っていたことがあって、それは小学生の頃で、隣の家には、同学年のミッチャンという女の子がいて、その子のお母さんのことを僕は好きで …他方、轢かれたカエルにも理由があって、その晩は雨でカエルは…、さらにカエルを轢いた車にもその晩そこを走行していたことについては理由があって… みたいに、「十分理由」の連鎖はどんどん伸びていって、最後にはよく分からなくなって、それで、またそんなことを考えていると君の勉強の時間が足らなくなる、とか、そういうすべてのことが、「十分理由の原理」のなかに収まって、この世の出来事は、いつもそれなりの十分な理由があって次々と起こり、世界は運行されて行っています。つまり、すべてには理由があり、原因があり、結果がある、と。
 じつは、この「十分理由の原理」には、それとペアになるもう一つの原理があって、それは、「起こりえないことは、起こりえない」、「ありえないことは、ありえない」という原理です。そして、「起こりえないことが、起こりえる」、「ありえないことが、ありうる」とする考えは「まちがい(偽) le faux」で、「起こりえないことが、起こりえる」ということは「起こりえない」、「ありえないことが、ありうる」ということは「ありえない」という考えが「ほんとう(真) le vrai」だ、ということになります。このような考え方のもとにある、宇宙の原理を、「矛盾の原理 le principe de contradiction」と言います。この矛盾の原理にしたがうと、「まちがい」は「ありえない」、ことになります。
 なんか、当たり前じゃない? そんなことどうでもいいんじゃない、と思ったかな?この宇宙に生きている僕たちにとっては、それは問題なく当たり前のことのようなんだけれど、それを「式」にしようと思い立ったのが、じつはライプニッツ大先生だった、というわけなのさ。それについては、またそれで、十分な理由があるのだけれど、これ以上君たちを疲れさせるのはやめておこう。
 で、いくつかの関連する引用をしておくよ。
 一つ目は、木田元先生の執筆した、平凡社『世界大百科事典』第二版の「根拠律」の項:

根拠律
こんきょりつ
principle of sufficient reason
くわしくは充足根拠律。充足理由律,理由律とも言われる。矛盾律と並ぶ二大原理としてライプニッツによって提唱されたもので,〈何ものも根拠のないものはない〉という形で表現される。その意味するところは〈一つの事物が存在し,一つの事件が起こり,一つの真理が生ずるためには,十分な根拠がなければならない〉ということであり,したがってこれは論理学的原理であるとともに形而上学的原理でもある。たとえば主語概念を分析し,そこに述語概念が含まれているかどうかを単に理性によって確かめるだけで真偽が決定されるような理性的認識は矛盾律を原理とするが,そうした操作では真偽が決定されえぬ経験的認識の真理性を支えるのが根拠律なのである。こうしてライプニッツは真理を2種に区分する。矛盾律に基づく永遠の真理ないし必然的真理と,根拠律に基づく事実の真理ないし偶然的真理とである。偶然的真理と見えるものも,事実の無限の系列をたどることができれば,したがってその系列を一瞬に直観しうる神の目には必然的と映るにちがいないのだが,それをなしえぬ人間はその真理が成立するのに十分なだけの根拠があると想定するしかないのである。のちにショーペンハウアーがこの根拠律を生成,認識,存在,行為の4領域に即して精密に規定しようと試み,近くはハイデッガーが根拠律を手がかりに根拠の問題を問い深めようと試みた。
[木田 元]

つぎに、ライプニッツ大先生の『モナドロジー』(Gottfried Wilhelm Leibniz, La Monadologie  1714) から、「充足理由律 le principe de raison suffisante」と「矛盾律 le principe de contradiction」が語られる、パラグラフ31番と32番のフランス語原文からの引用とその英訳と日本語訳:

31. Nos raisonnements sont fondés sur deux grands principes, celui de la contradiction en vertu duquel nous jugeons faux ce qui en enveloppe, et vrai ce qui est opposé ou contradictoire au faux.
32. Et celui de la raison suffisante, en vertu duquel nous considérons qu’aucun fait ne saurait se trouver vrai, ou existant, aucune énonciation véritable, sans qu’il y ait une raison suffisante pourquoi il en soit ainsi et non pas autrement. Quoique ces raisons le plus souvent ne puissent point nous être connues.

31. Our reasonings are based on two great principles, that of contradiction, in virtue of which we judge that which involves a contradiction to be false, and that which is opposed or contradictory to the false to be true.
32. And that of sufficient reason, by virtue of which we consider that we can find no true or existent fact, no true assertion, without there being a sufficient reason why it is thus and not otherwise, although most of the time these reasons cannot be known to us.

三一 われわれの思考のはたらきは、二つの大きな原理がもとになっている。ひとつは矛盾の原理で、これによってわれわれは、矛盾を含んでいるものを偽と判断し、偽と反対なもの、すなわちそれと矛盾するものを、真と判断する。

三二 もう一つの原理は、十分な理由の原理である。これによると、AがなぜAであって、A以外ではないかということを、十分に満たすにたる理由がなければ、どんな事実も真ではない、存在できない。またどんな命題も、正しくないということになる。もっともこのような理由は、十中八九、われわれは知ることができないのであるが。

 (英訳は、Stanford Encyclopedia of Philosophy “Principle of Sufficient Reason”
Copyright © 2017 by the authors Yitzhak Y. Melamed and Martin LinFirst published Tue Sep 14, 2010; substantive revision Wed Sep 7, 2016)
 (日本語訳は、「モナドロジー」清水富雄 竹田篤司 訳 『モナドロジー 形而上学叙説』 (中公クラシックス 中央公論新社 2005年 Kindle版 位置情報 No. 875/3890)


で、その「充足理由律」についての、
パングロス先生の「実験身体学」講義は、
具体的には、どうだったのか? 
それについては、このマンガ(というか、フランスでは la bande dessinée 通称BDというのだけど)を描いている、Joann Sfarが、描いてくれているね。
(この人、有名な漫画家なんだよ。https://fr.wikipedia.org/wiki/Joann_Sfar)
上のp.16の吹き出しを訳してみよう。

「ウイ、神様と球体とモナドのご加護でな」
「モナドってなあに?」
「極微細な目に見えぬ坊主たちがおってな、せわしく立ち働いておるのじゃ」
「その微細な坊主たちがお前から私へと、私からお前へと、行ったり来たりしておる。その立ち働く往き来がね、お前の頬を赤らめてな、そして、ワシのなかの幾つかのコミュニケーション器官をな、目覚めさせおる。触ってごらん。」
「あら、それなら、知ってるヮ。」
「その器官はな、このちょっとした瓢箪のようなものじゃがな、その原因と充足理由を知っておるかな。もっと近くで見てご覧。」
「それしたら、何をくださるの」
「厚かましい女じゃな、ワシはお前を教育しとるというに、要求までするとは」
「Allons !」
「Allons !」
「Allons! Allons!」


つまり、これが、「充足理由」だった、というわけさ。もちろん、すべてには理由があるからね。

というわけで、最後のパラグラフに移ります。


[4] 第一章 第九パラグラフ 
  Elle rencontra Candide en revenant au château, et rougit ; Candide rougit aussi ; elle lui dit bonjour d’une voix entrecoupée, et Candide lui parla sans savoir ce qu’il disait. Le lendemain après le dîner, comme on sortait de table, Cunégonde et Candide se trouvèrent derrière un paravent ; Cunégonde laissa tomber son mouchoir, Candide le ramassa, elle lui prit innocemment la main, le jeune homme baisa innocemment la main de la jeune demoiselle avec une vivacité, une sensibilité, une grâce toute particulière ; leurs bouches se rencontrèrent, leurs yeux s’enflammèrent, leurs genoux tremblèrent, leurs mains s’égarèrent. Monsieur le baron de Thunderten- tronckh passa auprès du paravent, et voyant cette cause et cet effet, chassa Candide du château à grands coups de pied dans le derrière ; Cunégonde s’évanouit ; elle fut souffletée par madame la baronne dès qu’elle fut revenue à elle-même ; et tout fut consterné dans le plus beau et le plus agréable des
châteaux possibles.

 いままでのお勉強の甲斐があって、もうそんなに新しい文法知識は出てこないよ。
Elle rencontra Candide en revenant au château, et rougit ; Candide rougit aussi ; elle lui dit bonjour d’une voix entrecoupée, et Candide lui parla sans savoir ce qu’il disait.
 ここの文の時制は、基本は「単純過去」だ。rencontra  rougit  rougit  dit  parla
これら主文の時制はすべて直説法半過去。 ce qu’il disait ここだけが半過去。
 en revenant au château ここが上でお勉強した「ジェロンディフ」

訳してみよう。
城へと戻ってくる途上で彼女はカンディードに出くわして、顔を赤らめた。カンディードのほうでも頬を真っ赤にした。彼女は彼にボンジュールと、途切れ途切れの声で言い、カンディードのほうは自分が何を言っているのか分からないままに彼女に話しかけた。
どきどきしちゃっていたわけだね。

Le lendemain après le dîner, comme on sortait de table, Cunégonde et Candide se trouvèrent derrière un paravent ;
訳:
その翌日、夕食の後、食事の席を立ったところで、キュネゴンドとカンディードは屏風の後ろで鉢合わせしたのだった;

ここの接続詞のcommeは、「〜しているとき」という時間を表すcommeです。みんなが一緒にご飯を食べているテーブルの席を(食べ終わって)立つことを、sortir de tableといいます。
comme 接続詞
 ((動詞は多く直説法半過去)) (ちょうど)…のときに.
Elle entra (juste) comme le rideau se levait.
彼女が入ったのは(ちょうど)幕の上がるときだった.
Comme je commençais à m'endormir, j'entendis du bruit dans la maison.
眠りかけたとき家の中で物音が聞こえた.

se trouvèrent は、ここでは、trouver の代名動詞用法の、相互的用法です(石井文法の53頁の②を見てください)。時制は単純過去ですね。

Cunégonde laissa tomber son mouchoir, Candide le ramassa, elle lui prit innocemment la main, le jeune homme baisa innocemment la main de la jeune demoiselle avec une vivacité, une sensibilité, une grâce toute particulière ;

使役動詞 laisser は、初めてかな。
〈~+inf.+qn/qc// ~ qn/qc+inf.〉…に…させておく,させる.
laisser partir qn=laisser qn partir
…を引き留めない.
ne laisser entrer personne
だれも中に入れない.
laisser tomber de l'eau sur le pantalon
ズボンに水をこぼす.
Ils ont laissé échapper le prisonnier.
彼らは囚人に脱走されてしまった.
Laissez-moi vous parler sans ambages.
単刀直入に言わせてください.
L'analyse de la situation laisse prévoir d'innombrables difficultés pour cette entreprise.
状況を分析すると,この計画には無数の障害が予想される.

laisser tomber で「落とす」:(tomberが自動詞なので、文字どおりに訳すと「落ちるままにする」という意味だ。)

elle lui prit innocemment la main 彼女は無邪気にも彼の手を取った。
ここも説明が必要かな。身体部位に関する表現。

誰かの手を取る。 prendre la main à quelqu’un
手(身体部位)の所属主を間接目的補語格において、身体部位は定冠詞をつけて直接目的補語格に置きます。
そこから、代名動詞表現でも、「自分の顔を洗う;se laver la figure 」というように、「自分に」を表す再帰代名詞を間接目的補語格にして、「顔」を定冠詞つきで直接目的補語格にします。直訳すると、「自分に顔を洗う」みたいな意味になるわけ。

その次の文では、le jeune homme baisa innocemment la main de la jeune demoiselle
となっていて、「la main de la jeune demoiselle お嬢さんの手」に接吻した、と手が直接目的補語で、手の所有者のお嬢さんはそのシンタグムに所属していますが、これは、この文になると、すでに「手」が主題化しているからで、前の「彼女の手をとる」という、対人的な動作とはすでに違うレベルの記述なのだ。

それで、訳ですが、
キュネゴンドははっとしてハンカチを落としてしまい、カンディードがそれを拾った。彼女は清らかな様子で彼の手を取った。青年も清らかな様子でお嬢様の手に口づけした。あつく、やさしく、妙なる気持ちを込めて。

それで、どうなったか?
leurs bouches se rencontrèrent, leurs yeux s’enflammèrent, leurs genoux tremblèrent, leurs mains s’égarèrent.
二人の唇は出会い、目は燃え上がり、膝はがくがくと震え、お互いの手はあてどなくお互いを求めてさ迷った。

で、どうなったか?
Monsieur le baron de Thunder-ten- tronckh passa auprès du paravent, et voyant cette cause et cet effet, chassa Candide du château à grands coups de pied dans le derrière ;
トゥンデール・テン・トゥローンク男爵がその屏風のそばを通りがかられて、この原因と結果をご覧になり、カンディードの尻に一蹴とばし、お城から追放してしまわれた。

で、どうなったか?


Cunégonde s’évanouit ; elle fut souffletée par madame la baronne dès qu’elle fut revenue à elle-même ;
キュネゴンド姫は気を失って、我を取り戻すやいなや、男爵の奥様から平手打ちをくわされることにあいなった;

まあ、そうだろうねえ・・・
で、ちょっとだけ文法事項ですが、
dès qu’elle fut revenue à elle-même ここの時制ですが、主文が直接法単純過去なのに対して、dès que … (「… するやいなや」という時間差を表す接続詩句)の従属節の時制は、「前過去 le passé antérieur」、すなわち、主節の過去時点において、すでにそれ以前に完了していた事態を表す完了相の複合時制:「助動詞の単純過去+過去分詞」です。それについては、石井さんの78頁を参照しょう。

で、どうなったか?
et tout fut consterné dans le plus beau et le plus agréable des châteaux possibles.
そして、可能な城のなかの最も美しく最も心地よき、かのお城においては、すべてが茫然自失の態と打ちなりき。

つまり、だれもが目をむき、気絶してしまいそうな、大スキャンダルと受けとめられた、ということさ!

まとめ
 城へと戻ってくる途上、姫はカンディード君にばったりと出くわして顔を赤らめた。カンディード君のほうでも頬を真っ赤にした。姫は彼に、かろうじてボンジュールと途切れ途切れの声で言い、カンディードのほうは自分がいったい何を言っているのやら分からないまましどろもどろに姫と会話を交わしたのだった。その翌日、夕食の後、食事の席を立ったところで、キュネゴンド姫とカンディード君は、屏風の後ろでまたしても鉢合わせしたのだった;キュネゴンド姫ははっとして驚きのあまりハンカチを落としてしまい、カンディード君がそれを拾った。すると彼女は清らかな様子で彼の手をそっと取った。青年も清らかな様子で、お嬢様の手に接吻した。あつく、やさしく、妙なる気持ちを込めてね。そして、二人の唇は出会い、瞳は燃え上がり、膝はがくがくと震え、お互いの手はあてどなくお互いを求めてさ迷いまさぐり合った。そのときちょうど折悪しく、トゥンデール・テン・トゥローンク男爵が屏風のそばを通りがかられて、この原因と結果をご覧になり、カンディードの尻をおもいっきり一撃蹴とばし、お城から追い出してしまわれた。キュネゴンド姫は気を失ってしまったが、我を取り戻すやいなや、こんどは男爵の奥様から平手打ちをくわされる羽目にあいなった。そして、可能な城のなかでも最も美しく、最も心地よき、かのお城におかせられては、すべてがこの大スキャンダルに茫然自失、この世の終わりかとも受けとめられたのであった、とさ。

というわけなのだ。



 つまり、この第一章で、カンディード君の幸福なお城での幼少時代が終わることになったわけ。そして、彼は、これから、世界の冒険に出発することになります。

  この第一章は、「楽園追放 le Paradis perdu 」のエピソードというわけなのだ。













 さて、これで、やっと『カンディード』第一章が終わりだ。

 思ったより、時間がかかった。というか、これをこのように書き下ろしてくるのは、先生にとっても結構大変だったよ。

  他の本に執筆作業に影響が出て、編集者に文句を言われてしまった。
  ともあれ、九年ぶりのフランス語教師の経験としては端的に面白いね。
  で、今後どうするかな。

 それを、考えるためにも、みんなから第一章の感想を書いて送っておくれ。
どんな、観点からでもいい。分かんなかったところ。フランス語として難しいところ。
少し自信がついたところ。

 まだ、しばらくは続けたいと思うが、みんなのリアクションをみてから考えることにするよ。

  リアクションペーパーは「課題コーナー」に設定しようね。
  では、また。


                    2017年9月3日 

                             石田英敬

ps. 長いテクストなので、タイプミスなどバグがあると思う。それからリンクが効かないところも出る可能性がある。その場合は、自分で検索をかけてみて、それでも難しいようなら連絡してくれば何とかするよ。

1 件のコメント:

  1. 新記号論で石田先生のことを知り、このブログに飛んできて、この記事を発見し、フランス語の文法書と辞書を購入して、まったくフランス語に触れたことはなかったのですが、第一章を読み切ることができました.ありがとうございます.

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